2010年02月26日全文掲載「人は大切なことも忘れてしまうから」 山田太一著 マガジンハウス 3600円
昭和は遠くなりにけり。かつて、この日、東京に大雪が降ったことがありました。その日、日本を揺るがす大事件が起きましたね。
さて、今回も「中島孝志の 聴く!通勤快読」を全文公開します。なんと上下2段組(1段24行!)・460ページの大著。けど、あっという間に読破。
これ、おもしろい。プロの仕事師たちの体験談が満載されてるんだもん。こういうの大好き。
下手に本人がいろいろ考えて書いてもらうより、こういう「聞き書き」のほうがかえって魅力を引き出すことが少なくありませんね。
わたしもそのうち、「聞き書き=インタビュー」だけで1冊まとめてみよう。この人をインタビューしたい、という具体的な人も企画も通ってますからね。あとはスケジュールの調整のみ。
さて、サブタイトルが「松竹大船撮影所物語」。
これ、映画を取り巻く仕事人たちのインタビュー集なのね。インタビューしてるのは山田太一さんほか、この道のプロフェッショナルたち。驚いたのはマガジンハウスから出版されてること。へえ、いい本出してるじゃん。
山田さんといえば、学校出て松竹入って、いちばん最初についたのが木下恵介監督の『楢山節考』。
ほかに小津安二郎の『彼岸花』。小林正樹監督の『人間の条件』。新人大島渚監督の『愛と希望の街』『太陽の墓場』とか、「不良映画日記」でも紹介した『切腹』も『古都』も『砂の器』もそう。
で、本書なんですけど・・・「忘れてしまうことは、結局、それだけの値打ちしかなかったのだ」と楽天的に考えていた。ところが、これが大間違いだと山田さんは気づくわけですよ。
−−本日はここから先のページも公開させていただきます−−
「いちばん親しい日々を過ごした30数年。その人との記憶があまりにも切れ切れで、昔の姿、動き、表情、声が断片として浮き沈みするばかり」
「諍いと和解の場面は思い出せるのに、そもそもの原因がなんだったのか思い出せない」
人はどんなに大切なことも忘れてしまう・・・。
留めようと努力しなければすべて忘れてしまう・・・。
ある知人の通夜の席でのことだ。愕然とした。
この本を作るために5人の友人たちと会った。別に特別なことではない。年1回会って話をする。昔、松竹の撮影所で仕事をした仲間たち。年中行事なのだ。
「人は大切なことも忘れてしまう」・・・と言い張った。
「そんなものだ」とだれもが言った。
「それでいいのか?」
「それでいい」
「いやダメだ。ここでの話もすべて録音するんだ」
「趣味が悪い」「品がない」「慎みがない」・・・。いろんな否定意見が出た。
大切なこと。宝物。思い出。想い出。追憶。メモリー・・・喪うことは怖いことだと私は思う。
人は忘却力があるからどんなに辛いことでも癒される。けど、同時に記憶力があるからさりげないことを覚えている。そして、これが生きるエネルギーになる。
夢を食べる獏ではなく、人間は記憶を食べて生きる動物なのかもしれない。
というわけで、本書でインタビューされてるのは、山田洋次監督、篠田正浩監督、岸恵子さん、加賀まりこさん、笠智衆さん、川又昂さん、津川雅彦さん、大島渚さん、木下恵介監督など、たくさん。
篠田正浩さんという監督がいます。『瀬戸内少年野球団』(第1部)を監督した人ね。夏目雅子さん、郷ひろみさんが出たヤツ。渡辺謙さんが夏目さんに横恋慕する義弟役で登場した映画ですね。岩下志麻さんのご主人。
「小津安二郎さんのお弟子さんの中で唯一、監督になった人」として原研吉さんをあげてます。
「小津さんは助監督から監督をなかなかお育てにならなかった」。これ、注目すべきじゃないかなあ。また、これ、坂本龍一さんの本に載ってたんですけど、本書にも音楽家の武満徹さんのインタビューがありますけどね。
坂本さんも武満さんも大の小津ファン。だけど、唯一、気にくわないことがあった。
「音楽がぜんぜんダメ。いつか2人で音楽の部分だけすべて直しちゃおう」なんて話してたとか。
これ、わかります。松竹って、新人の採用では脚本が書けること=文章人間を選んでたわけ。で、それが巧くいってたんだと思う。でも、いまはどうか? 音楽とか絵画とか彫刻とか、お笑いとか、文章よりも音とデザインのセンスに秀でた人が監督してるでしょ。
これ、正解だと思う。
もちろん、脚本も書ければいいし、脚本家のホンを現場で直すのは監督ですからね。でも、資質の部分として条件反射で文章が絵になったり音になる。つまり、脳で同期されて表現されちゃう。これが映像というか、映画という仕事なんでしょうね。
さてさて、池田義徳さんというロケーション・マネージャーのインタビュー。ロケマネというのは、映画の現場の裏方を仕切る仕事なのね。ロケハン(ロケーション・ハンティング)から旅行計画、警察(道路使用等)への撮影許可、旅館の選定・予約・値切り、弁当の調達・配布・・・経理一切はこの人が責任なわけ。いわば、牢名主みたいなもん。
歯に衣着せぬ、痛快まるかじりの人でした。
で、池田さんが「記録」やってたとき、横浜は野毛にいたわけ。昔の松竹は横浜での撮影だと宿泊ロケだったのね。で、ロケだと雨降ると旅館にいるしかない。その旅館というのが紅葉閣。で、この下にあるのが国際劇場。
退屈だから覗いたわけ。
すると、そこにはチビの女の子が当時、人気絶頂の笠置シズ子さんの真似して歌ってた。
もち、これ、後の美空ひばりさんのこと。
「あれ、面白いじゃねぇか」と佐々木康監督。で、連れて来ちゃった。それが『踊る竜宮城』ですよ。ワンシーンだけですけどね。それから『悲しき口笛』にちょっと出たりね。
この映画では、試写会の時、プレスコの部分だけ声が出なかった。そしたら、このおチビちゃん。シャシンに合わせてみごとに歌っちゃった。
振り付けも1回で覚えるし、やっぱ天才ですわな。どうでもいいけど、昔、文化放送で「100万人の英語」というラジオ番組がありました。30分番組でこの後、旺文社の「大学受験講座」が1時間あるわけね。どちらの講師もつとめてたのがJ・B・ハリスさん。
「いままで会った日本人でいちばん英語が巧かったのは美空ひばりさん。パーフェクト。ネイティブとかわりません」
耳がいいんですよ、耳が。
ところで、松竹大船撮影所は2000年6月、山田洋次監督『十五才 学校4』の撮影を最後に閉鎖されましたね。
さて、今回も「中島孝志の 聴く!通勤快読」を全文公開します。なんと上下2段組(1段24行!)・460ページの大著。けど、あっという間に読破。
これ、おもしろい。プロの仕事師たちの体験談が満載されてるんだもん。こういうの大好き。
下手に本人がいろいろ考えて書いてもらうより、こういう「聞き書き」のほうがかえって魅力を引き出すことが少なくありませんね。
わたしもそのうち、「聞き書き=インタビュー」だけで1冊まとめてみよう。この人をインタビューしたい、という具体的な人も企画も通ってますからね。あとはスケジュールの調整のみ。
さて、サブタイトルが「松竹大船撮影所物語」。
これ、映画を取り巻く仕事人たちのインタビュー集なのね。インタビューしてるのは山田太一さんほか、この道のプロフェッショナルたち。驚いたのはマガジンハウスから出版されてること。へえ、いい本出してるじゃん。
山田さんといえば、学校出て松竹入って、いちばん最初についたのが木下恵介監督の『楢山節考』。
ほかに小津安二郎の『彼岸花』。小林正樹監督の『人間の条件』。新人大島渚監督の『愛と希望の街』『太陽の墓場』とか、「不良映画日記」でも紹介した『切腹』も『古都』も『砂の器』もそう。
で、本書なんですけど・・・「忘れてしまうことは、結局、それだけの値打ちしかなかったのだ」と楽天的に考えていた。ところが、これが大間違いだと山田さんは気づくわけですよ。
−−本日はここから先のページも公開させていただきます−−
「いちばん親しい日々を過ごした30数年。その人との記憶があまりにも切れ切れで、昔の姿、動き、表情、声が断片として浮き沈みするばかり」
「諍いと和解の場面は思い出せるのに、そもそもの原因がなんだったのか思い出せない」
人はどんなに大切なことも忘れてしまう・・・。
留めようと努力しなければすべて忘れてしまう・・・。
ある知人の通夜の席でのことだ。愕然とした。
この本を作るために5人の友人たちと会った。別に特別なことではない。年1回会って話をする。昔、松竹の撮影所で仕事をした仲間たち。年中行事なのだ。
「人は大切なことも忘れてしまう」・・・と言い張った。
「そんなものだ」とだれもが言った。
「それでいいのか?」
「それでいい」
「いやダメだ。ここでの話もすべて録音するんだ」
「趣味が悪い」「品がない」「慎みがない」・・・。いろんな否定意見が出た。
大切なこと。宝物。思い出。想い出。追憶。メモリー・・・喪うことは怖いことだと私は思う。
人は忘却力があるからどんなに辛いことでも癒される。けど、同時に記憶力があるからさりげないことを覚えている。そして、これが生きるエネルギーになる。
夢を食べる獏ではなく、人間は記憶を食べて生きる動物なのかもしれない。
というわけで、本書でインタビューされてるのは、山田洋次監督、篠田正浩監督、岸恵子さん、加賀まりこさん、笠智衆さん、川又昂さん、津川雅彦さん、大島渚さん、木下恵介監督など、たくさん。
篠田正浩さんという監督がいます。『瀬戸内少年野球団』(第1部)を監督した人ね。夏目雅子さん、郷ひろみさんが出たヤツ。渡辺謙さんが夏目さんに横恋慕する義弟役で登場した映画ですね。岩下志麻さんのご主人。
「小津安二郎さんのお弟子さんの中で唯一、監督になった人」として原研吉さんをあげてます。
「小津さんは助監督から監督をなかなかお育てにならなかった」。これ、注目すべきじゃないかなあ。また、これ、坂本龍一さんの本に載ってたんですけど、本書にも音楽家の武満徹さんのインタビューがありますけどね。
坂本さんも武満さんも大の小津ファン。だけど、唯一、気にくわないことがあった。
「音楽がぜんぜんダメ。いつか2人で音楽の部分だけすべて直しちゃおう」なんて話してたとか。
これ、わかります。松竹って、新人の採用では脚本が書けること=文章人間を選んでたわけ。で、それが巧くいってたんだと思う。でも、いまはどうか? 音楽とか絵画とか彫刻とか、お笑いとか、文章よりも音とデザインのセンスに秀でた人が監督してるでしょ。
これ、正解だと思う。
もちろん、脚本も書ければいいし、脚本家のホンを現場で直すのは監督ですからね。でも、資質の部分として条件反射で文章が絵になったり音になる。つまり、脳で同期されて表現されちゃう。これが映像というか、映画という仕事なんでしょうね。
さてさて、池田義徳さんというロケーション・マネージャーのインタビュー。ロケマネというのは、映画の現場の裏方を仕切る仕事なのね。ロケハン(ロケーション・ハンティング)から旅行計画、警察(道路使用等)への撮影許可、旅館の選定・予約・値切り、弁当の調達・配布・・・経理一切はこの人が責任なわけ。いわば、牢名主みたいなもん。
歯に衣着せぬ、痛快まるかじりの人でした。
で、池田さんが「記録」やってたとき、横浜は野毛にいたわけ。昔の松竹は横浜での撮影だと宿泊ロケだったのね。で、ロケだと雨降ると旅館にいるしかない。その旅館というのが紅葉閣。で、この下にあるのが国際劇場。
退屈だから覗いたわけ。
すると、そこにはチビの女の子が当時、人気絶頂の笠置シズ子さんの真似して歌ってた。
もち、これ、後の美空ひばりさんのこと。
「あれ、面白いじゃねぇか」と佐々木康監督。で、連れて来ちゃった。それが『踊る竜宮城』ですよ。ワンシーンだけですけどね。それから『悲しき口笛』にちょっと出たりね。
この映画では、試写会の時、プレスコの部分だけ声が出なかった。そしたら、このおチビちゃん。シャシンに合わせてみごとに歌っちゃった。
振り付けも1回で覚えるし、やっぱ天才ですわな。どうでもいいけど、昔、文化放送で「100万人の英語」というラジオ番組がありました。30分番組でこの後、旺文社の「大学受験講座」が1時間あるわけね。どちらの講師もつとめてたのがJ・B・ハリスさん。
「いままで会った日本人でいちばん英語が巧かったのは美空ひばりさん。パーフェクト。ネイティブとかわりません」
耳がいいんですよ、耳が。
ところで、松竹大船撮影所は2000年6月、山田洋次監督『十五才 学校4』の撮影を最後に閉鎖されましたね。