2003年04月07日「社長から社員への手紙」「天才になる!」「女はみんな女優になれる」
1 「社長から社員への手紙」
池森賢二著 飛鳥新社 1700円
コンビニでお馴染みの化粧品、健康食品会社ファンケルの社長さんですね。
少し前、この人の講演録を頂いたことがあるんですが、その時の創業時代の苦心などは一切、省かれていました。まっ、しかたないか。本書は広報誌に綴った社員へのメッセージをそのまま本にした、というものです。
著者が化粧品業界へ飛び込んだのは1980年(昭和55年)です。
当時、化粧品業界はすでに成熟産業といわれていました。現に、成長率は年1〜3%だったそうです。
しかし、当時、化粧品業界では皮膚トラブルが多発し、女性の不安は募るばかり。そこに「安全性」をうたって登場したのがファンケル。
販売された無添加化粧品は、まさに不安を安心に変えてくれたと大変な評判を得ることができたそうです。
無添加のメーキャップ化粧品のベルメール・シリーズの口紅に使われている色素のうち、紅花の色素で、ごく一部の人がアレルギーになることを知り、昨年、お客様にこの事実を正直に報告し、発売を中止しました。
その結果、百数十人の方々から反応がありました。
主な内容は、「唇が荒れたり腫れたりしたにもかかわらず、まさかファンケルの口紅が原因だなどと思わず信じて使い続けてきた」というものでした。無添加でも、材料自体にアレルギー反応がある人は少なくないんですね。
で、怒られて当たり前のはずなんですが、お客のうち90%を越える人が励ましの言葉を送ったという。
「よく正直に発表してくれた、原因がわかりほっとした」
「この正直さがファンケルらしい良いところだ。私はアレルギーを起さずに気に入って使っていたが益々ファンケルに対する信頼感が増した」
「これにこりずにぜひ次の新製品にチャレンジしてほしい、そのときはアレルギー体質の私がモニターになってやる」
お客のやさしさはなぜなんだろう、と痛感したそうです。
著者は化粧品業界一本槍ではなく、ガス会社の製造、経理、営業などと、いろんな仕事を体験しています。
で、独立したものの失敗。
そこで、クリーニング業界に飛び込んで、借金を返済するんですね。
この業界は全国に20万箇所も受付があるんですが、完全に過当競争に陥っている業界で20年前から寡占なんです。けど、クリーニングの営業マンとして、他人のやらない独特のセールスを展開。これは不満を徹底的に調査し、お客が困っている「夜」に的を絞って注文、配達などをしたんですね。
創業時の目標は月300万円の売上。それだけあれば、家族を養っていけたからです。
宣伝しようにも、カメラマンに写真を撮ってもらうお金がなく、自分で撮ります。スポットライトが買えないときは外の自然光で撮る。スポットライト(確か2500円)が買えるようになって、毛布に化粧品をのせ、影が写らないように2箇所からライトを当てて撮る知恵も一人で学んだ。
自分で撮った写真で手書きのチラシをつくり、一軒一軒、自分で配って歩いた。注文がもらえかと、自分で配達をする。配達時にお客との会話のなかでヒントをつかむと、その都度チラシを作り替える。そんな中から、化粧品の通信販売のノウハウができあがっていった。
いまはすべてが整い満たされている。うまくいって当たり前、という気持ちをだれもが持っている。
そこが実は弱点になっているんですね。
「化粧品が私の妻を傷つけていた」
「高価な健康食品で人を健康にすることはできない」
「毎日食べるごはんで健康になれたらいいのに」
「この国はテレビも新聞も雑誌もみんな若者のほうを向いている」
「男の肌は丈夫だなんてセクハラじゃないですか」
こんなコピーを作っています。
著者は小田原駅から通ってるみたいですが、JR東海の「みどりの窓口」でのできごと。
新幹線を利用するとき、いつも不愉快な思いをしていると言います。というのも、眉間にたてじわをよせイライラして客にあたり、「ありがとうございます」も言ったことのない40代半ばの係員によく会うからだ。
「あぁ、今日はいいことがなさそうだ」と憂鬱になる。
ところが、ある日、胸に見習いと名札をつけた若いフレッシュな新卒社員が担当で、気分がいい。大きな声で「お客様○○まででございますね」「ついでに○○までの特急券もご用意いたしましょうか」「どうぞ切符をご確認ください」「ありがとうございました」と、実に気持ちがいい。
「今日の出張はいいことがありそうだぞ」
ふと、顔を上げてフレッシュマンの奥を見たら、なんと「不愉快男」がフレッシュマンの指導役として彼を見張っていたそうです。
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2 「天才になる!」
荒木経惟著 講談社 660円
天才アラーキーの本です。
すべて、インタビューでまとめられているから読みやすいこと。5分もあれば、読めますよ。
この人、わたしが大好きな浅丘ルリ子さんと上野高校で同級生だったのね。フォークダンスの時には、友人に頼んで一緒に踊ってもらったらしいよ。
まっ、そんなことはどうでもいいんですけど。
父親は下駄職人。それがまた、痛快な人で、店のオブジェとして巨大な実物看板を作っちゃうんですね、下駄の。銅版か鉄板かで作ったんで、戦争の時には供出を命じられたみたい。
その時には、近所の子供たちがみんな記念撮影したってくらいだから、まっ、下町の名物だったことは間違いありません。
また、この親父が大のカメラ好き。しかも腕前はピカイチで、学校の遠足や卒業式、あるいは地域のイベントの際には必ず、出張カメラマンとして依頼が来るほど。だから、もうプロだったわけです。
家にも暗室まであるんだからね。
で、著者はそんな旅行があると、親父さんに連れられて同行するわけです。この親父さん、最高に誉め上手。
当時、小学生だった著者に、「ノブのほうがスナップがうまいから、おまえが撮れ」とみんなの前で言われて、高松宮妃が園児にほほえみかけているシーンなどをしっかり撮ってるんですね。
もう小学生の時にはアシスタントをしてたんです。もちろん、旅費などはすべてタダ。
こんな具合に、親父さんとこんな生活を送っていたら、門前の小僧でプロのカメラマンになるのも理解できるなぁ。ここが大事なところだと思うんですね。父親の後ろ姿というのは、やっぱり子供は見てますよ。たとえば、わが家のチビでも、幼稚園に上がる前から、わたしがいない時は書斎のでっかい椅子に座って、ペンをもってデタラメの字を書いてたらしいです。完璧に真似するんですよね。
大学は写真学科のある千葉大に行きます。ところが、これが大失敗。写真は写真でも、撮影とかではなくて、科学的に現像とか写真学を究めるとこだったんですね。
けど、著者は趣味と実益を兼ねて、自分の写真をあちこちのカメラ雑誌に投稿します。
そして、これでそうとう稼いでいたんです。
また、名前が掲載されたり、賞を取ったりするから、有名になるんですね。
で、就職は先輩のつてで電通です。これが試験では日大芸術学部の連中にはかなわないわけ。なにしろ、こちらはカメラマンとしての基礎を叩き込まれてるからね。
けど、そこは天才アラーキー。この試験ではなにがいちばん求められているか、ってことを試験中に読み解いてしまいます。
「テクニックはなくても大丈夫。要は構成力と色彩感覚だ」
結果はたった1人だけ、「あいつ、面白いから入れとけ」。で、その人が実力者だから、入社できたってわけ。だって、あとは全員、反対だったんだもの。
でも、入社早々から、言われた仕事はしない。マイペース。でも、賞なんかたくさん取ってるから、一目置かれてたみたいで、人物写真しか興味がないから、その時だけご登場という形。
その頃には、「あの電通の女陰カメラマン」と周囲に言われてたようです。
で、社内でも問題になったりして、ある時、上司から「おまえはこんなところにいる人間じゃない」。
そのひと言で辞めちゃいます。ホントは首だったんですね。
「あの上司は偉かった。もし、オレが10年、ここにいたとしたらダメになってたね」
わたし、この言葉、よーーくわかります。
引き留めてくれる人もありがたいけど、「いや、辞めたほうがいい」と背中を押してくれる人。こういう人がホントはありがたいんです。
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3 「女はみんな女優になれる」
野中マリ子著 クレスト社 1300円
役者の卵を預かるようになって30年。たとえば、今井美樹、西田ひかる、松坂慶子、松雪泰子などなど。
次々とスターを育てた「野中塾」の秘密が明かされています。普通の女の子が女優に変身する過程というのは面白い。
著者はいまだも現役の女優です。金八先生が再放送されてますが、あれに出てますよ。
彼女の指導法の一つに、台本全体と自分が出ているシーンのエッセンスを文章にさせることがあります。原稿用紙に何枚も書くわけではありません。手短に凝縮して書くんです。
たとえば、ファミリー・レストランでアルバイトをしている。そんな時に街角で友だちと会った。
「ネ、あなたいま何してるの?」
「ファミリー・レストランでアルバイト」
「大変ね」
「楽しいわよ。みんないい人だし」
「フーン」
友だちとの会話とは、だいたいこのようなものでしょう。いちいち事細かに状況を説明したりはしません。ほんの一言か二言で、その状況や気持ちを伝えることができます。
こんなやり方で、壁にぶつかって悩んでいる女優志願の子を指導するわけです。
女優の中には、松雪泰子のように、役が演じられないというレベルではなく、監督や演出家から言われている意味がわからない、という人もいます。
そのたろにも、与えられた台本の要約をさせる。その中で、自分の役柄はどんな性格の人物像なのかを考えさせる。だけと、彼女は最初、何のためにそれをするのか、どうやってそれを書いたらいいのかすらわからなかったらしいね。
このトレーニングを続けていくうちに、周囲の指示や説明がピンと来るようになっていくんですね。
だから、俳優の修業はむずかしい。
テクニックをいくら学んだとしても、それが表現力につながるとは限らない。呼吸法や歩き方、笑い方、泣き方等々、基礎的な勉強は大切だが、役者が「人間を生きる」という無上の喜びを味わうには、日々の生活をどれだけ豊かな心で過ごすかがもっとも大事なことなんですね。
墨田ユキという女優がいます。「墨東奇談」で主役を射止めましたけど、大役で自信がない。そこで、させた勉強も自分が出ているシーンを的確につかみ取り、文章化して表現させること。
自分が演じてるわけですから、そのシーンではどんな感情で、どういう演技を要求されているかを把握して書かなければならない。
「役で生きる」とは、自分の心をその役柄の人間へと動かす、生理を変えるということ。心のありようを変える。心が変わり、生理が変われば、声も仕草も言葉遣いも自然にその役柄にふさわしく変わっていくのだ、という。
「可能性が低いから挑戦しない」という人がいるけれども、それはウソで、本当はその意志がない。
意志のある人は夢を実現するためには、自分が持っている資質をどのように伸ばしていけばいいのか、そのためにはどんな勉強をすればいいのかを考える。たとえ、結果的に一流にはなれなくても、好きな道を歩けるのなら、どんな苦労もガマンができる。実際にどれくらい苦労するかはやってみなければわからないが、少なくともスタートラインに立てるのはその覚悟をした人だけです。
だから、泣いたり怒ったりする課題を与え、一人ひとりを指導すると、中に必ず「できません」、「ごめんなさい」と言い出す子がいる。しかし、それを絶対許さない。
役者にとって大切なのは、何よりも想像力だからだ。
看護婦の役をやるのに、実際、看護婦を経験する必要もないし、刑事役をやるのに刑事になる必要もない。もちろん、演ずる役によっては、その世界のことを勉強することはあるにしても、最後に要求されるのはどう演ずるかという想像力でしかない。
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