2003年03月17日「社員はこの型破り教育で伸ばせ」「走るジイサン」「桂枝雀のらくご案内」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「社員はこの型破り教育で伸ばせ」
 中村義一著 三笠書房 1500円

 著者は三鷹光機という社員30人の会社の創業者です。「表通りをバスが走ると、建物が揺れる」という本社は二階建ての木造家屋。
 いったい、どんな商品を作っているかというと、天体望遠鏡、脳神経外科用の手術用顕微鏡、それにスペースシャトルに搭載されている特殊カメラといった特殊精密光学機器です。
 あのライカと提携し、ライカがこの会社の技術を販売しているんです。元々はライバルだったんですが、適わないことがわかった。そこで、提携してセールスに回ったらしいですね。

 この会社は学歴不問です。
 実際に大学から紹介される大学生、院生でものになるのは少ないそうです。去年、東大院卒が1人だけモノになりそうなので採用したようです。けど、これはレアケース。たいてい、試験でみんな落ちてしまうんです。

 採用試験は一次試験は「絵」です。たとえば、テニスボールを描かせる。物理的な発想をする人は、三面鏡のいずれにも映った簡単な円を描くそうです。もちろん、コンパスで実物大の円を描いてもダメ。
 絵はイメージ力のチェックになるんですね。
 絵が終われば、昼食。この時、定食屋で煮魚定食を食べさせる。そこで箸の持ち方、使い方をチェックするんですね。不器用できれいに食べられない人はダメ。機械の細かい部品が作れないからですね。
 筆記試験もありますが、五問と簡単な数学です。れは一題できればそれでいいんです。
 問題は最終試験です。
 それがなんと、「模型飛行機」の作成。これがいちばん配点が高く、いちばんよく飛んだら80点。
 早い話が物作りが好きかどうかをチェックしてるんですね。
 これはいいまで採用で失敗してきたからなんです。話のうまい人間、学歴だけは立派だが、開発や製造、設計の現場がまるっきりダメだった人を採用して、大失敗したんです。
 そこで「物作り」というキーワードに忠実に採用しようと決意したわけ。

 非接触形状測定装置はドル箱の技術です。これは物体に触れないで、光で形を測定する技術です。
 いま、100万分の1ミリ=ナノの単位まで精度が上がってますが、これがこの会社の独壇場なんですね。

 この人はニコンに勤務した時、親父と呼んでいる課長職に徹底的にしごかれたそうです。その弟子たちが大田区の物作りを支える職人や中小企業の経営者に多いんです。
 不況で、いま、大田区の職人たちは仕事がないと言います。
 けど、著者に言わせると、「彼らは一種類の仕事しかできない。その仕事が無くなったと、ほかの仕事ができない。これをやらせたにいちばんだ、と威張ってみても、需要そのものが無くなってしまったら干上がるだけ。それは世の中に利用されるだけの職人だ」
 たった一つの技術で食べていると、ここで錯覚するんですね。好況の時はなおさらそうです。
 中小企業の社長たちは大企業を利用しているつもりでいた。高いお金を投資して大型機械を導入したんです。職人も社長もやることが無くなり、こぞってゴルフに行った。大企業は次から次へと仕事をくれると思っていたから安心していた。
 ところが、不況になったら仕事など無くなった。大企業の仕事が無いんだから、下請けが潤うはずがないんです。

 著者は一つの技術ではダメ。最低、三つの技術を勉強する。その組み合わせでどんどん勉強する。ものにする。そして、大企業が5〜6年は追いつけない技術を開発するんだ、と。
 パテントはもちろん、取りますけど、これはまったく当てにしない。日本の技術開発は大企業がどんどん真似して横取りしてしまうんです。だから、裁判にもかけない。大企業が追いつかない技術開発をどんどん展開することで凌ぐしかないそうです。
 一度、小渕首相がこの事実を聞き及んで、もっとパテントも権利を強めようとしたらしいですが、次の森さんになって元の木阿弥になったとか。いろいろ、裏であったんでしょうかねぇ。
 150円高。購入はこちら


2 「走るジイサン」
 池永陽著 集英社 420円

 これ、すばる新人賞を受賞した作品なんだけど、六十過ぎのジイサンが3人。いつも喫茶店に集まってるわけ。
 で、1人は定年と同時に離婚を突きつけられ、1人は仲の良い夫婦者なんだけど、ワケありの様子。実際、あとで大事件を引き起こすんだけどね。
 主人公の作次は妻に死なれた後、1人息子とその妻と同居。嫁から、「わたし、年寄りが嫌いなんです」と面と向かって言われる始末。そして、困ったことにこの嫁にオンナを感じてしまうわけです。

 その時、自分の頭に一匹の「サル」が乗っかってしまうんですが、これがこの小説では狂言回しをすることになります。

 周囲には独り言を言ってるように聞こえるんだけど、このサルと会話してるんですね。
 世の中にはこういう作次みたいな人が多いそうです。
 たとえば、ある人は頭にエッフェル塔が生えてしまったために横にもなれない。寝る時は、壁や机に背を立てかけて休むんです。
 精神的な病なんですが、多いようです。

 周囲から嫌われるジイサン。いったい、どうしてか。そして、どう生きていくべきか。こんな悩みを抱えながら、嫁の不倫告白を機会にどんどん存在感を増すジイサン。
 ジイサンを取り巻くいろんな人間ドラマ。哀しいけど、生きるということをもう一度、確認させてくれたな。
 200円高。購入はこちら


3 「桂枝雀のらくご案内」
 桂枝雀著 ちくま文庫 660円

 いやはや、文庫も高くなりました。
 落語にこってるから、またまた買っちゃいました。

 この頃、毎週、寄席に通ってますもんね。
 この3月は鈴本、末広と通い詰めました。先週土曜日には隣(書斎の隣)の図書館で歌丸さんの弟子の花丸さんの落語が1時間半も楽しめました。この人、先月、三吉演芸場で聞いたんだけど、創作落語が面白いの。なんたって、タダでしたもんね。ちっちゃい子供まで来てたけど、みんなちゃんと聞いてるね。びっくりしました。
 この21日は国立演芸場で林家いっぺいの真打ち興業があるんだけど、無理でしょうな。もう完売だろうね。
 で、4月は歌丸さんの独演会がにぎわい座であります。それに国立演芸場の定席、そして5月にかけては、柳家喬太郎を追いかけようと思ってます。この人、創作落語が抜群だもの。

 わたしの好きな落語家は小三治、こぶ平、桂歌春(昔の桂枝八)、柳家はん治、もちろん、歌丸、夢丸、一朝、円弥、小朝は当たり前です。

 「じゃ、仕事してないんだ?」と思うかもしれませんが、4〜5月にかけて出す本として、自著と他人のプロデュース本とを合わせて、すでに9冊分、書き上げております。
 マーケティングの失敗というか、版元の自己都合というか、またまたシーズンが集中してしまいますが、あと、4月中にほかの出版社との出版点数の約束を果たせば、単行本については今年1年の仕事はもう終わりです。
 もう5月以降は書きません。じっくり勉強させて頂きます。

 さて、本書ですが、関西落語の雄として嘱望された枝雀師匠の好きな落語61題を本人自ら解説してる本です。
 関東落語でも多々、演じられている噺があります。けど、微妙に違うんですね。
 たとえば、うどん文化の関西では、関東の「時そば」が時うどんになったりしてますね。時そばというのは、江戸時代、そばは二八そばで2×8の16文と決まってました。ところが、2人合わせても15文しかない。
 そこで、ずるい奴が悪知恵を絞りまして、「1つ、2つ、3つ、4つ、5つ・・・8つ、いま何時だ?」
 「9つです」
 「10、11、12、・・・」と数えて16文にしちゃうという噺です。

 61題もありますからね、寄席に行っても、時々、この中のネタはやってますね。
 でも、枝雀師匠がチェックしてないものでもたくさんいいネタがあります。
 たとえば、「心眼」ですね。これは浅草演芸ホールの舞台中央に大書されてる文字が「心眼」ですね。これなんか、いいですよ。
 目が不自由な色男の按摩さんが1人。横浜の仲間にバカにされて帰ってきます。器量は悪いが、よくできた女房がたいそう御利益のある神社に願をかけて、これを治すんです。
 治ると、浅草寺で芸者のきれいな姐さんがファンだ、と知人から聞かされます。ちょうど、その姐さんが現れて、2人でしっぽりと料理屋に入って・・・。帰りが遅くて心配になった女房が浅草寺まで来ると、あっちに仲良く歩いていく2人づれを発見。後をつけていくんですね。
 そこで現場を取り押さえる。あたふたしてるところで、夢が覚めるんです。汗びっしょりの亭主。
 「おまえさん、どうしたんだい?」
 「いや、なに、もう願なんかかけなくていいぞ。おれは目が開かなくてもいいや」
 タイトルが「心眼」。味があるでしょ。

 笑点でお馴染みの三遊亭円楽師匠。
 この人は人情物の落語が得意な人ですね。とくに、わたしが好きなのは「中村仲蔵」ですよ。

 江戸時代、芝居が好きで好きでしょうがない男がやっと念願叶って歌舞伎に入門することができた。入門することさえ稀なんです。彼の熱意と努力は尋常ではない。それで見かねたある師匠が弟子にしてくれたわけですな。
 といっても、梨園(歌舞伎界のこと)は血筋がものをいうから、彼のようなどこの馬の骨かわからないような人間には大した役など回ってきません。いい役は血統書付きのエリートが演じますからね。
 どんな「くすぶり」でも、芝居が好きで芝居のまねごとができるだけでも嬉しい。もちろん、仲蔵は人一倍、精進もします。

 そんなとき、彼は「仮名手本忠臣蔵」の五段目に登場する斧定九郎(おの・さだくろう)の役をもらうんです。
 五段目というのは芝居が朝から通しで一日中行われていた時代、ちょうど昼時に当たるから別名「弁当幕」と呼ばれてたんです。その時間帯の役だから、やっぱり大したことはありません。いまはたいへんな役ですからね、仲蔵のおかげですな。
 役をもらったときの仲蔵の嬉しかったこと。奥さんと手に手をとって喜んだ。師匠にも報告した。師匠も力のない田舎芝居出身の人だから、いわゆる「檜舞台」など経験していない。仲蔵の喜びを自分のことのように喜んでくれた。
 そんなある日、ものすごい夕立ちがあった。
 酒屋の前で雨宿りしている仲蔵の前をザァッと突っ切り、酒屋に二本差しの武家人が入ってきます。髪は床代がなくて伸ばしっぱなし、夏なのに冬物の袷(あわせ)を裏をはがして着ている。しかし、顔は苦み走ったいい男。
 「酒をくれ」といって一気にごくりと飲み干す。雨宿りしようとするものの、「傘をお持ちに」という主人に「ありがたい」と広げてみれば、これがほとんど破れていて使えない。
 「バカにされたものよのぅ。これでも元をただせば直参旗本。落ちぶれるっていうのはこういうことか」と傘を捨てて去っていく。
 その一部始終を見ていた仲蔵は感動に打ち震えます。
 「これだ。これがオレのやる斧定九郎だ・・・」
 斧定九郎はもともと旗本なんです。それが落ちぶれ果てて、とうとう山賊をするところまで落ちた男です。名門に育ちながらも運命に翻弄されて落ちていく。そんな人物を演じるんです。
 それまでの役者はどうせ弁当幕の人物として山賊の格好で登場していただけ。これを仲蔵は独特の演出、趣向でガラリと変えます。
 芝居の初日、髪をざんばら髪にした仲蔵は袷の裏を引きはがし、頭から水をかぶって登場した。まさに、あのときの直参旗本ですよ。
 「なにか舞台に雨でも降ってるようですよ」
 「えぇ、そうですね」
 観客が芝居を見ずに弁当を楽しんでいると、水が降ってきます。雨かなと、ふと舞台を見上げるとそこにはいままでだれも見たことがない定九郎がいるわけです。これにはお客さんがみんなあっけに取られます。弁当を持ったまま動けない。
 このとき、円楽さんのうまいこと。
 
 「芝居小屋は水をうったように静かになる。みんな仲蔵の定九郎に度肝を抜かれたんですね。みなさんね、あまりに感動すると、人間、拍手などできませんね。拍手をするなんてのはね、まだ心に余裕があるときです。あまりの名人芸を目にした時ってのは、拍手したり、笑ったりするなんて余裕はありませんね。・・・ちょうど、いまのような状態です」
 150円高。購入はこちら