2002年05月13日「日本人のためのイスラム原論」「数学嫌いな人のための数学」「食う寝る坐る 永平寺修行記」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「日本人のためのイスラム原論」
 小室直樹著 集英社 1600円

 あの博学コムロ先生の著書です。
 この人には思い出があります。わたしが社会人1年目の時、まさにカッパブックスをステージとしてコムロさんは大活躍してました。あの名著「ソビエト帝国の崩壊」もそうでしたが、カッパで精力的にいい仕事をしてたんですね。
 でも、依頼するとしても、この先生のところには電話もない。で、電報で何回も定期的に「こんな企画あるんですけど、書きませんか」と打ってたわけ。
 ところで、わたしの著書を読んだ方はご存じの通り、出版編集という仕事が嫌いで新人のくせに他部門への異動を何度も直訴してたのか、何とか通った日。それも、社内で挨拶がはじまるという30分くらい前に、コムロ先生から電話が入ったんですね。
 「いま、入院してるんだけど、来られますか?」
 「もちろん、参上します」
 で、銀座の菊池病院に行きましたよ。あの銀座第一ホテルの隣にあった病院です。行くと、寝てました。
 わたしが立てた企画は「日中米ソ 世界戦略のシナリオ」なんてものでしたが、いま思えば、日本に戦略なんてありませんものね。ソ連もじきに無くなっちゃうしね。でも、それが初対面でした。

 さて、本書はめちゃくちゃ面白い本です。たった450ページ程度の量でイスラムを解説するという無謀な試みでもありますか、ある程度、成功してると思いますよ。
 いや、ほかのイスラム学者の著作ではなんらわからなかった謎がいくつも氷解したのですから、大成功といっていいかもしれません。
 みなさん、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、そして仏教、さらには儒教、中国人の歴史教・・・これらの特長とか違いとかがすぐに答えられますか。でないと、アメリカ同時多発テロ事件の根元に何が横たわっているかもわからないと思いますよ。

 さて、イスラム教では宗教はそのまま法です。法とは、神との契約のことですね。それに戒律、規範、国の法律。その4つがすべて一致して狂いがないのが、イスラム教なんです。
 イスラム教の信者にとって、法を守ることはそのまま神を信じることに繋がります。

 この点、キリスト教には法もなければ規範もありません。
 規範というのは、「あれをしろ」「これをするな」という命令ですから、これがないということは、問われるのは内面そのものだけです。信じているか、信じてないか、外面的な行為はなんら問わない。
 内面だけを問う。これがキリスト教です。
 たとえば、「人、もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ」(マタイ福音書)「汝らの敵を愛し、汝らを責むるもののために祈れ」なんてのがありますけど、これらはすべて心構えであって、規範ではありませんね。
 ですから、良きクリスチャンであることと、良く市民であることとはなんら矛盾しないんです。市民が守るべき法に従わなかったからといって、それは信仰にはなんら関係ありません。
 安土桃山時代、江戸時代に「隠れキリシタン」がいて、火あぶりの刑に処られましたが、ホントは「踏み絵」でもなんでもしちゃえばいいんです。キリスト教は内面しか問わないんですから、どんな行為をしようが関係ありません。

 イスラム教はご存じの通り、1日6回、メッカを向いて祈りを捧げたり、ブタ肉を食べないとか、細かくやるべきこと、やってはいけないことを決めています。
 なぜ、外面的な事柄をそれほど厳しく問うかといえば、規範を破ったかどうかを明確に判定できるからですね。
 だって、内面的なこと、たとえば、「神を信じているかどうか」なんて測定できませんものね。内面のことなど覗けないでしょ。
 その点、外面的なもので判断すれば、黒か白かはっきりできます。グレーゾーンはありませんものね。

 一方、ユダヤ教の場合もイスラム教同様、徹底的に細かい戒律を決めてます。
 たとえば、神を礼拝するとき、その奉納物として許されるのは、金、銀、青銅、青・紫・緋色の毛糸、亜麻布、山羊の毛皮、赤く染色した雄羊の皮、いるかの皮、アカシアの材となってます。
 これは有名な「十戒」ですが、これは規範の代表的なものですね。

 ところで、仏教において悟りを求めて修行者になる場合、まず行われるのが受戒です。これは先師から戒律を与えられ、それを守ることを誓う儀式で、悟りを開くために正しい方法を釈迦が示したものなんです。
 戒律を守ることとは、釈迦の教えに従うことにほかならないんです。最初というか、本家本元は戒律つという規範があったんです。

 しかし、これが日本の場合、これがめちゃくちゃになります。
 なにしろ、753年に鑑真和尚が訪れるまで日本には戒律がなかったんですよ。
 わたしは薬師寺の西岡棟梁を訪ねたあと、近くの唐招提寺を訪問したことがありますが、「あぁ、鑑真さんは律宗だったんだな」と遅ればせながら気づいたことがありました。
 日本にまだ戒律がないことを知り、これでは「仏作って魂入れず」の典型だとハッとしたんでしょう。6回目の渡航でやっとたどり着いてくれました。その時には、失明されていたことは有名な話ですね。
 鑑真さんは日本仏教界の命の恩人なんです。
 日本最初の受戒のときには、聖武上皇が参加し、朝廷は吉備真備を派遣して「今後、すべて受戒はお任せしたい」というメッセージを伝えたほどです。

 でも、それを最澄がすべて廃止してしまいました。
 最澄といえば、仏教界のエリートを次々と輩出した天台宗の総元締めですよ。一遍、法然、栄西、日蓮、道元・・・みんな天台ですよ、元もとは。
 でも、この人は授戒を廃止します。外面的規範は不要、内面の信仰を問うだけでした。つまり、形式を問わず、実質的な内容そのものに注視したわけです。
 「形じゃないんだよ。心なんだよ」
 まっ、こういうわけでしょう。天台本覚論とは、「人間は迷ったままでも成仏できる」ってものですからね。
 これがエスカレートすると、どうなるか。般若湯という名のお酒が回し飲みされる。妻帯した坊主が出てくる(親鸞は正式に結婚していましたね)。
 
 以来、日本人は自分の理屈に合うようにどんどん宗教を変えていきます。
 現在では、結婚式はキリスト教、しかも仏滅を避けて大安吉日にする。子どもが産まれたらお宮参り。育てば、七五三。元旦を祝って初詣。それから、七夕、クリスマスにバレンタインデー。で、死んだら今度は仏式で葬式を営む。この時も友引は避けますね。
 大安、仏滅というのは「六曜」ですから、これは道教の流れを汲む陰陽道なんです。干支など、まさにそうですね。
 なんというか、ものすごい柔軟性なんですね。クジラの胃袋というべきか。雑食というか、なんでも取り入れてしまう。しかし、文化として残らないものもたくさんあったはずです。

 こういう雑食の民族性には一神教は似合いません。
 だから、イスラム教は日本では増えません。
 「キリスト教も一神教じゃないか?」
 そうです。仏教と似て、規範もなにもない緩やかな宗教ですが、これも一神教といえば、一神教ですから、日本では増えません。
 それが証拠に、キリスト教式に結婚式を挙げても、どこのだれがクリスチャンに改宗しましたか。相変わらず、お宮参りや初詣に行ってるでしょ。
 日本人の場合、新しもの好きですから、いったんすべてを受け容れてしまいます。でも、気にくわなければすぐに吐き出しちゃうんですね。
 で、そのうち、テイストに合ったものだけ残す。すべてファッションとして扱ってるんです。

 ところで、現在、日本にいるムスリム(イスラム教信者)の数は公称20万人ですが、その大部分は出稼ぎイラン人などですね。日本人でイスラム教に改宗した人も5万人程度。その半分を占める女性は、ムスリムと結婚するために改宗したわけです。
 ですから、実質的には2〜3万人といわれますが、下手すると数千人というのが実態でしょう。
 世界人口で考えますと、ムスリムは12億人ですよ。アメリカでは、600〜800万人、中国ではウイグル自治区のムスリムは有名ですし、ロシアにも無数のムスリムがいますね。
 これらの布教は「右手にコーラン、左手に剣」と言われた評判と異なり、平和に進められました。
 キリスト教の十字軍はそれこそ、布教に名を借りて殺戮の限りを尽くしましたけど、イスラム教はそうじゃないんです。これはキリスト教サイドのネガティブキャンペーンだったんですね。
 ところで、「コーラン」はアッラーの教えを大天使ガブリエルがマホメットに伝えた言葉をまとめたもので、マホメット自身の言葉は何一つありません。
 マホメットはあくまでも預言者であり、キリストと違って、神や神の子ではありません。たんなる人間なんです。

 もう止めます。これでも、まだ3分の1も話ができていません。あとは実際に買って読んでください。
 250円高。購入はこちら


2 「数学嫌いな人のための数学」
 小室直樹著 東洋経済新報社 1600円

 同じく、コムロ先生の本です。
 これは数学をベースに論じた論理学の本です。
 コムロ先生はマックス・ウェーバーの大ファンで、「日本人のためのイスラム原論」同様、ウェーバーの著作をベースに世界の宗教について言及してます。

 そう言えば、マックス・ウェーバーは「最高の役人は最低の政治家である」と喝破したことがあります。
 「職業としての政治」の中だったと思いますが、役人というのは「正解のある世界で早く、効率的に解くことが得意な人種」です。
 ですから、問題が起こると、いつ、どこの、どの部分に、その正解(法律的根拠)が書いてあるかを見つけるのが得意なのです。
 ところが、こういう人間は創造性がありません。正解のない問題、あるいはこれから正解を作っていかなければならないケースでは、もうお手上げなのです。

 この場合は政治家が出張っていかなければ、話にならないのです。
 しかし、ここに賄賂がもらえる話には力を入れるが、国益にはなんら関心のない政治家がいたとしましょう。
 こんな政治家を前に、「こうすべきです」「このほうが国のためです」とアピールしても、「余計なこと言うな」と殴られるだけです。
 自分の損にしかなりません。自分の損になることはだれでも嫌がりますか、日本人でエリートと言われる人間は、基本的に危ないことは下っ端がすることで、安全第一は自分たちの既得権益だと認識してますから、「触らぬ神に祟りなし」となるのは当然の帰結です。

 さて、アリストテレスの論理学は以下の3通りです。
 1矛盾律−−「正しい」と同時に「正しくない」ということはありえない。
 2排中律−−「正しい」と「正しくない」以外の第3のこと(中間)もあり得ない。
 3同一律−−「正しいことは正しい」。
 しかし、日本人の論理システムにはこれだけではありませんね。日本人の頭っていろんな思想が入るんです。
 矛盾を平気で受け容れてしまうところがあります。これはバカなのではなく、わたしはかえって頭がいいのだと確信しています。

 二元論で凝り固まった人、黒白をつけないと我慢できない人。この人たちには日本人をやめないと苦しいかもしれません。いま、国会で注目されている有事法制問題など、「自衛隊は戦力ではない」などという論拠はもう通りませんからね。
 150円高。購入はこちら


3 「食う寝る坐る 永平寺修行記」
 野々村馨著 新潮文庫 629円

 著者は大学在学中から中国やチベットなどの辺境の地を好んで旅するバックパッカー。それが30歳のときに、なにを思い立ったか、突然、出家して永平寺(全国1万5千の寺を持つ曹洞宗の大本山)に上山してしまいます。
 で、1年間、雲水として修行を積む。娑婆に戻って、デザイン事務所で仕事をするうち、「あれを記録に残しておこう」と通勤時間に修行記を書き散らし、家でワープロに打ち込む。そして、5年かけてまとめたのがこの本です。

 剃髪し、寺から指示された準備をし、永平寺の最寄り駅から山を踏み分けて入っていく。さすがに緊張します。ちょうど、雨が降ってきた。門前町に差し掛かる。戻るなら、いましかない。
 結局、歩き始めます。ある茶店の前を通りかかると、中から急に老婆が出てきてこう言うんですね。
 「雲水さん、頑張って」
 その瞬間、寒さと緊張でこわばっている頬から熱い涙が流れ落ちて止まらないのです・・・。

 雲水ってのは大変ですね。なにが大変か。
 まずは座禅でしょうね。入山するときも待たされる。部屋に通されても、新入りを指導する古参雲水が来るまで待たされる。これが数時間、ずっと座禅。足が痺れるなんてものじゃない。
 次は食事です。朝、昼、そして薬石という名の晩飯があります。「みんなで仲良く団らん」なんてことはありません。話しちゃダメなんです。
 しかも、これは作法が事細かに決められてます。ご飯、みそ汁をどの順序で食べるか。肘の張り方、姿勢、スピード、お代わりのサイン、すべてに作法通りを要求されますから、間違えるたびに殴られ、蹴られ、もう悲惨ですよ。
 「食事が怖い」
 これは雲水だれもが最初、経験することでしょう。殴られたり、蹴られたりするくらいなら、食べない方がましですもんね。味などわかりません。

 でも、みんな、ゴミ箱を漁るほど腹を空かせるんです。人よりも多く食べないともたない。それほど、少ないんですね。
 だから、2カ月も過ぎると、脚気にかかる人間が出てきます。つめが伸びない、むくむ、手足がパンパンに腫れるかといって、肉は弾力がない。排尿の回数が異常に増える。キズが治らない。すなわち、含水炭素の過剰摂取(コメばかり食べている)とビタミンBの欠乏、そして栄養が足りないんです。

 この世界には民主主義はありません。
 なんてたって、永平寺なんですから。古参に対しては、絶対服従。なにしろ、目を合わせても殴られます。言葉は「はい」「いいえ」の2つだけ。
 これを大学教育を受けたり、大学院の卒業者が真面目にやるんですね。
 話をするときは相手の目を見る。自分の意見をきちんと言う。これがいままでの教育でしたが、ここでは、いきなりそれらをすべて取り上げられます。
 そう、イメージとしては軍隊がいちばん近いかもしれません。

 著者はある日、思い立って上山しましたけれども、たいていの雲水はそうじゃありません。その多くは寺に生まれて落ち、跡継ぎとなるべく運命づけられた人間たちなのです。
 「就職するより、楽だと思って」
 そういう脳天気な人間も少なくありません。
 でも、一夜にして、この甘い考えはたたき壊されます。
 この仕事、大変なんですよ。わたしだったら、務まらないと思います。

 作法ってのは、まず無理です。
 どこに何を置くか、どちらの方向に向けて、どのくらいの間隔をあけるか。これらもすべて決まっているのです。少しでも違うと、すべて取りあげられてしまいます。
 歩き方、掃除の仕方も作法があります。もちろん、服の着方、たたみ方、仕舞い方もすべてそうです。順序、方法がきちんと定められているのです。
 間違えると、殴られます。
 作法ってのは甘くないんですよ。
 どのくらい開祖道元が徹底したか・・・。あの「正法眼蔵」にどう書いてあるかを少し紹介します。
 これは驚きですよ。
 参考までに、「正法眼蔵」とは道元が32歳のときに著した「弁道話」から、54歳のときに記した「八大人覚」に到るまで全95巻が綿々と執筆されたものです。正法眼とは、仏の正しい教えを明らかに映し出す眼を蔵することをいいます。

 さて、睡眠について、「正法眼蔵 弁道法」の中で寝臥の法を定めています。
 「寝臥する場合は、必ず右脇を下にして眠り、左脇を下にして眠ってはならない。臥すときは必ず頭を仏に向けよ。うつぶせになって眠ってはならない。両膝を立てて眠ってはならない。仰向けになって、足を組んで眠ってはならない。両足を揃えて伸ばし、眠ってはならない。着物をまくり上げて眠ってはならない。素裸になったり、不体裁なさまで、無頼の者のようにしてはならない。帯を解いて眠ってはならない」
 これが眠るときの作法です。事細かに書いてあり、これを守らないといけないわけです。
 「寝ちゃったらしらないもんね」では済まされないのです。

 トイレでも作法は徹底的に要求されます。
 次は「正法眼蔵 洗浄の巻」の一節です。
 「東司(とうす−トイレのこと)へ行くには、必ず手巾を持つ。手巾は二重にして、左肘の衣の上に掛けるがよい。東司に着くと、手巾を竿に掛けよ。その掛け方は、肘に掛けた時と同じようにするがよい。もし袈裟をつけていたならば、袈裟は手巾と並べて掛けるがよい。落ちないようにちゃんと並べて掛けるべきである。乱暴に投げ掛けたりしてはいけない。衣は脱いで手巾の傍らに掛けよ。そして、手巾で衣を結わい、衣に向かって合掌する。次に襷を取って両肘に掛けよ。そして、手洗い場へ行き、水桶に水を汲み、それを右手にさげ、厠へおもむく。水桶の水はいっぱいにしてはならない。九分を限度とする・・・厠に入ったら左手で扉を閉めよ・・・」
 まぁ、詳細に渡ることには驚きます。
 このあと、便器のまたぎ方、屈み方、大小便の仕方まで解説してあるのです。
 「用を足したならば、箆(へら)で拭き取るがよいまた、紙を用いる方法もあるが、古紙を用いてはならない。字を書いた紙を用いてはならない・・・」とどんどん細部に入っていきます。ざっと4ページ分はびっしりと説明されています。

 そして、最後はどうなっているか。
 「このようにすることは、すなわち、仏国土を浄めることであり、仏国を荘厳することであるから、慎重に行い、慌ただしくしてはならない。急いで終わらせ、早く帰ろうなどと思ってはならない。秘かに、東司に仏法を説くという真理を忘れてはならない」
 いやはや大変なものです。24時間365日、これすべて禅なんですね。トイレも禅、着替え、食事も禅。禅、禅、禅・・・なんです。

 では、その禅について、道元はどう言っているか。「正法眼蔵 坐禅儀の巻」には次のようにあります。
 「参禅とは、すなわち坐禅である。まず坐禅を行うには静かなところがいい。敷物は厚く敷くべきである。風や煙を入れてはならない。雨露を漏らしてはならない。温かく、そして昼も夜も暗くないのがよい。冬は暖かく、夏は涼しくすることが正しい法である・・・袈裟を着けよ。坐蒲を敷くがよい。坐蒲は足の下全体に敷くのではなく、後方、尻の下に敷くべきである・・・」
 これまた、詳細にその作法を説明しているわけです。
 で、もちろん、これらの方法を勝手に変えてはいけません。書かれた通り、言われた通りにする。できないと、殴られたり、蹴られたりするわけです。
 「どうして、こんなことするの?」
 「これが何になるの?」
 「なぜ」という言葉はタブーなんです。作法や行いに1つ1つ、なぜなどと聞いていたら、仕事は進みません。ここで重要なことは、ただその行いに徹することにあります。
 これは仕事の半端なくせに、近頃、生意気な新入社員に1度、上山させてやりたいっていう経営者は少なくないでしょうな。

 ところで、雲水の朝は午前3時半にはじまります。
 以前、修道院の人たちがこの時間に起床していることを聞いて、間違ってもわたしには無理だと感じたことがありますが、雲水も同じなんですね。
 
 こんなきつい環境ですから、当然、脱走者も出てきます。
 例年、2月から受入がはじまり、百数十人が上山します。そのうち、数人は逃げちゃいます。
 でも、逃げるといってもお金はありません。上山の時に取りあげられてますからね。
 また、町に出るには作務衣を着るのが普通で、黒い衣で出ることなどありませんから、「あっ、脱走だ」と町の人が通報してくれるわけです。タクシーの場合も通報してくれることになってます。

 いかに厳しく指導すべき雲水とはいっても、永平寺にとっては預かり者です。だから、一人前にして下山させる義務と使命があるわけです。
 出家という言葉がありますが、これは家を出て仏門に入ることを意味しますが、実家が寺でその跡継ぎとして永平寺に入る場合は在家と呼ばれるのです。

 著者は1年間、永平寺で修行します。
 最後の最後、彼は泣く子も黙る鬼軍曹ばかりが集まる「監院寮」に入ります。監獄の監ですから、イメージもシビアなものがありますが、これは監督の監であり、永平寺の総責任者である監院(役職)に仕え、秘書的な任務、身の回りの世話の一切を担当する役目です。
 これはいってみれば、永平寺という会社の社長、会長、役員、大株主たちを相手にするわけですから、気苦労がめちゃくちゃ多いんです。
 たとえば、風呂を用意するとき、「はい、沸きました。どうぞ」などと旅館の仲居さんみたいなことしちゃダメなんです。監院に風呂ができた、なんてことを報告すべきものではない。だから、監院が入りそうな時間を想定して、あらかじめ湯を沸かしておくわけです。
 これも例によって細かく作法が決められてますから、温度は○○度、お湯の量は上から何センチ・・・これらもきっちりとやらねばなりません。それも役員みんなの分をするわけですよ。

 雲水はべつに1年だけと決められているわけでもありません。2年でも3年でもいいんです。
 彼が1年で下山すると聞いたとき、監院は「もっといたほうがいいな」とまで言ってくれました。でも、下山します。
 2月になると、これから上山する新入生が入ってきます。彼らのうちの1人と目があった時、彼は殴れなくて、思わず目を伏せたと言います。
 「去年、われわれを怒鳴り、平手打ちにした古参の立場になってみると、それが精神的にいかに大変なことであるかがよくわかった。だれでもニコニコして『良き人』でいるほうが楽なのだ。あの古参たちに対して、改めて頭の下がる思いがした」

 人間というのは、「頭でわかること」と「身体を通じてはじめてわかること」の両方があります。
 経験しないとどうしても理解できない。そういう心境に到らない。すんなり胃の腑に落ちない。こういうことがありますね。
 著者も自分が古参になったとき、はじめて、古参の立場を理解できたわけです。時間をかけて、いろんな経験をしていると、真っ暗でなにも見えなかったものが少しずつ少しずつ見えてきます。しかも、その多くは人生を変えるような大きなことが少なくありません。
 簡単に変わるものは程度の低いものです。
 あっという間に変わる。あっという間に悟る。あっという間にわかる。そんなものは、本来、どうでもいいテーマなんです。

 さて、著者は1年間の修行でどう変わったのか。
 蚊を叩き殺す前に、一瞬、躊躇するようになった。
 必要以上に多く食べることをしなくなった。
 必要以上に深く考えることをしなくなった。
 そして、泣ける男になった。
 「この程度のことかもしれない。しかし、これも気のせいかもしれない・・・ボクは近頃、あの永平寺での1年を少しずつ忘れ始めてきた。これも自然の道理である・・・」
 忘れるということは、無くなることではない。身体の細胞に深く入り込んで自分のものになってしまったということではないでしょうか。
 インナートリップ(心の旅路)はいつも思い出の形を取るのです。
 300円高。購入はこちら