2011年11月25日「昔日の客」 関口良雄著 夏葉社 2310円
今回は特別に「中島孝志の聴く! 通勤快読」をオープンします。もちろん、会員の方は音声でも聴けますからね、iPodやケータイでご堪能ください。
本書も読後、即、アマゾンに出品したら、すぐ売れちゃいました。みな、よお知ってますなあ。
さてと、今回は20分しゃべり倒してしまいました。ご安心ください。面白いですから。
『ざっくりハイボール』(テレ東・千原ジュニアさん司会)の番組で、「勝手に感謝状」という企画があるんですけどね。
お笑い芸人ピースの又吉直樹さんのエピソードが紹介されたんですね。
(続きは会員のみ視聴できます)なのですが、今回はオープン。
「お笑いと本とサッカーでだいたい僕は構成されている」とか。髪の長い方が又吉さん。
「本屋に行ったら装丁がめちゃ渋い本を見つけたんですよ。タイトルが『昔日の客』。昔、古本屋の店主が書いたエッセイが絶版で復刊された本。面白そうやなと思って買ったら、めちゃいい本で、その古本屋に来たお客さんとか小説家との交流とかを書いてるんです」
「登場人物がみな本好き。こんないい本を復刊させた出版社はどこやろって見たら、夏葉社って書いてあったんです。知り合いの本関係の人に聞いたら、吉祥寺で1人でやってる出版社やって」
数日後、小島慶子アナがパーソナリティをするTBSラジオ『キラ☆キラ』の本紹介コーナーで披露。
2週間後、下北沢で、2、3度行ったことある古本屋に入ると、またかっこいい装丁本を発見。それは上林暁という小説家の短篇集(『星を撒いた街』)でした。
これも見たら「夏葉社」と書いてある。「また夏葉社か・・・」と思ってレジに持っていくと、今まで喋ったこともない店長さんから話しかけられた。
「又吉さんですよね?」
「そうです」
「夏葉社の方から、この本は又吉さんが来たらお代はいらないって言われてますんで」
又吉さんは、ここが行きつけの店だともなんとも、ラジオではしゃべってなかったのに。本当に『昔日の客』の世界観が現実に起こってしまったわけです。
『昔日の客』は東京大森の古本屋「山王書房」の店主関口良雄さんによる遺稿集を復刻したものです。
尾崎士郎、上林暁、三島由紀夫。。。たくさんの文人に愛された古本屋さんによる本と作家のすてきな話・・・。
面白いな、と思った箇所がなぜか又吉さんとかぶってました。もち、もっとたくさんあるんですけど、又吉さんがラジオで披露してたのは1つだけ(時間ないからねえ)。「伊藤整氏になりすました話」というエッセイがそれ。ちょっとご紹介しましょう。
(引用)
人違いをして声をかけたとか、かけられたとかいう経験は、だれでもあることです。もちろん著者にもね。
年も押しつまったある日、私は国立に住む兄の家に金を借りに行った。
帰途、西荻窪で途中下車して、駅の側にある、むさしの書林という古本屋に入った。
10冊ほどの本を抜き取ると、おやじさんの前においた。その時までだまっていたおやじさんは、意外な程大きな声で、
「先生、しばらくでした。伊藤整先生でしたね」
「やあー、おじさん暫くでした。よく覚えていてくれたね」
年が明けて、桜が咲くころ、兄の家に金を返しに行った帰りに、むさしの書林に立ち寄った。
暮れと違って本の売れるところである。この時には5,6人の客が入っていた。
「先生、いらっしゃい。いつぞやはどうも有難うございました」
身を乗り出すようにして、相変わらず大きな声で、呼び止められた。やはり、おやじさんは店に入った時から、私に気がついていたのである。
「明日、先生のお近くまで行く用事がありますから、ついでにこの本をお届けします」
「親切はありがたいが、これから高円寺の友人の家に寄って、いま買った本について一緒に調べなければならないことがあるので」
出版記念会(横光利一集の発刊)が大隈会館で開かれたとき、著者も招かれた、という。平野謙、中村真一郎と、学会・文人が130余名も集まる盛会だった。こともあろうに、私にまで指名して、何か一言と言われた。
挿話を5分ばかりしゃべり、そこで閉会となった。
その時である。人ごみの中を、私の方に向かって眼鏡の奥の方で微笑しながら歩いてくる人がいた。
伊藤整先生だった。
「あなたの話、面白かったですよ」と言ってくださった。
私はペコリと頭を下げた。
引用終わり。腹の底からクククと笑えてきます。
あと少しご紹介しましょう。
「君んとこは小説本ばかりだなー、何か川柳の本はないか」
「おいておりません」
老人はしばらく棚を見まわしていたが、
「そうか、うちの倅は小説を書いているんだ」
「どなたですか」
「三島由紀夫っていうんだ」
「ああ、そうですか、三島さんならよく知っております」
「君知っているか」
そこで初めて老人は相好を崩した。そんなことがあって、2年して三島由紀夫はあのようなことになった。
昭和30年ごろ、三島由紀夫は私の店に近い馬込の高台に越してきた。あるときは新婚早々の夫人と一緒に、あるときは一人で店によく来た。何か話しかけながら大声でよく笑った。
その頃、中央公論社から出た「文章読本」に触れて、「ご主人、これは内緒の話だが、あの本は寝ころびながら口述筆記でできた本ですよ」と言った。「花ざかりの森」に進んで署名もしてくれた。
私には尾崎さんが亡くなってしまったという感じよりは、尾崎さんは実によく生きたという感じの方が、はるかに強い印象となって残っているのはどうしたことであろうか。
「モシ、モシ、尾崎だ」
あんなに衰弱していられる尾崎さんから、今頃、電話がかかるはずがないと思った。私は「どなたですか」と聞き返した。
「尾崎だ、尾崎だよ」
「あ、先生でしたか。何か起こりましたか」
「何も起こりやせん。君に聞きたいことがあってな。今日、君がおれの枕許で、ホラ、あのう『女房の…』という俳句、あの下の句をちょっと教えてくれ」
私は思わず大声で笑いだしてしまった。いつか自分の笑い声が作り笑いになっているのに気が付いた。私は女房に気づかれないように、そっと下の句を告げた。
「有難う」と電話は切れた。その時の、何ともいえない侘しい尾崎さんの電話の声は、いつまでも私の耳に残っている。
東京の街を歩いていて思うことは、1億や2億のビルがゴロゴロしていることである。
明治から今日まで約100年間に刊行された日本民族の大いなる遺産である文学書の山も、このビルひとつ作る金があれば、めぼしいものはほとんど集まるだろうから、貴重な文化財とかなんとかいっても、古本なんていうものはたかがしれたものだと思うのである。
10年もの間、棚に根が生えたように動かなかった久米正雄の本20数冊が下ろされた時には、商売と言いながら、久米さんとも愈々お別れかと一寸した感傷が胸に浮かんだ。先生方の顔は古本の埃と流れ出る汗でクシャクシャになり、額からはポタリポタリと玉の汗が落ちた。積み重ねた古本の上にも落ちて染みを作った。
私はこの玉の汗が、日本近代文学館の基礎を作るのだと思った。
本書は著者の意思を大切にされたご子息が出版を企画。残念ながら完成版は生前には間に合いませんでしたが、ここをこうしよう、これも入れよう、あれも入れたい、というやりとりは父子ともに楽しかったと思いますよ。最高の親孝行です。
そんなご子息が後書きにこんなことを。。。
まだ、私が中学生の頃だったでしょうか、父はお客さんと夢中になって話していました。
古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから、私が敬愛する作家の本たちは、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ。
父の仕事を誇らしく思い、感激して胸が詰まりそうになりました。
昨年33回忌を迎えて、私は「昔日の客」の復刊を願うようになりました。
そういう意思で復刻されたんですね。
古本屋さんというと、どんなイメージがありますか。文化人、作家のパートナー的な役割というポジションもあれば、稀覯本で一儲けという商売人まで、幅が広いでしょうね。どちらも大切ですし、どちらも実践されていることでしょう。プロなんですからね。
少なくともいえることは、普通の書店さんよりも本の中身についてはめちゃ詳しい、ということですね。たんに古い本ならなんでもいいわけではなく、専門特化している本の目利き=プロだからですね。
残しておくべき本を状態良く残す。そして、後世につなげる。そういう時間軸の中で文化の架け橋の仕事をされているんです。
電子出版? 古本屋さんの出番がなくなりますがな。
ぜひ「中島孝志の聴く!通勤快読」をお読みください、お聴きください。合掌。
本書も読後、即、アマゾンに出品したら、すぐ売れちゃいました。みな、よお知ってますなあ。
さてと、今回は20分しゃべり倒してしまいました。ご安心ください。面白いですから。
『ざっくりハイボール』(テレ東・千原ジュニアさん司会)の番組で、「勝手に感謝状」という企画があるんですけどね。
お笑い芸人ピースの又吉直樹さんのエピソードが紹介されたんですね。
(続きは会員のみ視聴できます)なのですが、今回はオープン。
「お笑いと本とサッカーでだいたい僕は構成されている」とか。髪の長い方が又吉さん。
「本屋に行ったら装丁がめちゃ渋い本を見つけたんですよ。タイトルが『昔日の客』。昔、古本屋の店主が書いたエッセイが絶版で復刊された本。面白そうやなと思って買ったら、めちゃいい本で、その古本屋に来たお客さんとか小説家との交流とかを書いてるんです」
「登場人物がみな本好き。こんないい本を復刊させた出版社はどこやろって見たら、夏葉社って書いてあったんです。知り合いの本関係の人に聞いたら、吉祥寺で1人でやってる出版社やって」
数日後、小島慶子アナがパーソナリティをするTBSラジオ『キラ☆キラ』の本紹介コーナーで披露。
2週間後、下北沢で、2、3度行ったことある古本屋に入ると、またかっこいい装丁本を発見。それは上林暁という小説家の短篇集(『星を撒いた街』)でした。
これも見たら「夏葉社」と書いてある。「また夏葉社か・・・」と思ってレジに持っていくと、今まで喋ったこともない店長さんから話しかけられた。
「又吉さんですよね?」
「そうです」
「夏葉社の方から、この本は又吉さんが来たらお代はいらないって言われてますんで」
又吉さんは、ここが行きつけの店だともなんとも、ラジオではしゃべってなかったのに。本当に『昔日の客』の世界観が現実に起こってしまったわけです。
『昔日の客』は東京大森の古本屋「山王書房」の店主関口良雄さんによる遺稿集を復刻したものです。
尾崎士郎、上林暁、三島由紀夫。。。たくさんの文人に愛された古本屋さんによる本と作家のすてきな話・・・。
面白いな、と思った箇所がなぜか又吉さんとかぶってました。もち、もっとたくさんあるんですけど、又吉さんがラジオで披露してたのは1つだけ(時間ないからねえ)。「伊藤整氏になりすました話」というエッセイがそれ。ちょっとご紹介しましょう。
(引用)
人違いをして声をかけたとか、かけられたとかいう経験は、だれでもあることです。もちろん著者にもね。
年も押しつまったある日、私は国立に住む兄の家に金を借りに行った。
帰途、西荻窪で途中下車して、駅の側にある、むさしの書林という古本屋に入った。
10冊ほどの本を抜き取ると、おやじさんの前においた。その時までだまっていたおやじさんは、意外な程大きな声で、
「先生、しばらくでした。伊藤整先生でしたね」
「やあー、おじさん暫くでした。よく覚えていてくれたね」
年が明けて、桜が咲くころ、兄の家に金を返しに行った帰りに、むさしの書林に立ち寄った。
暮れと違って本の売れるところである。この時には5,6人の客が入っていた。
「先生、いらっしゃい。いつぞやはどうも有難うございました」
身を乗り出すようにして、相変わらず大きな声で、呼び止められた。やはり、おやじさんは店に入った時から、私に気がついていたのである。
「明日、先生のお近くまで行く用事がありますから、ついでにこの本をお届けします」
「親切はありがたいが、これから高円寺の友人の家に寄って、いま買った本について一緒に調べなければならないことがあるので」
出版記念会(横光利一集の発刊)が大隈会館で開かれたとき、著者も招かれた、という。平野謙、中村真一郎と、学会・文人が130余名も集まる盛会だった。こともあろうに、私にまで指名して、何か一言と言われた。
挿話を5分ばかりしゃべり、そこで閉会となった。
その時である。人ごみの中を、私の方に向かって眼鏡の奥の方で微笑しながら歩いてくる人がいた。
伊藤整先生だった。
「あなたの話、面白かったですよ」と言ってくださった。
私はペコリと頭を下げた。
引用終わり。腹の底からクククと笑えてきます。
あと少しご紹介しましょう。
「君んとこは小説本ばかりだなー、何か川柳の本はないか」
「おいておりません」
老人はしばらく棚を見まわしていたが、
「そうか、うちの倅は小説を書いているんだ」
「どなたですか」
「三島由紀夫っていうんだ」
「ああ、そうですか、三島さんならよく知っております」
「君知っているか」
そこで初めて老人は相好を崩した。そんなことがあって、2年して三島由紀夫はあのようなことになった。
昭和30年ごろ、三島由紀夫は私の店に近い馬込の高台に越してきた。あるときは新婚早々の夫人と一緒に、あるときは一人で店によく来た。何か話しかけながら大声でよく笑った。
その頃、中央公論社から出た「文章読本」に触れて、「ご主人、これは内緒の話だが、あの本は寝ころびながら口述筆記でできた本ですよ」と言った。「花ざかりの森」に進んで署名もしてくれた。
私には尾崎さんが亡くなってしまったという感じよりは、尾崎さんは実によく生きたという感じの方が、はるかに強い印象となって残っているのはどうしたことであろうか。
「モシ、モシ、尾崎だ」
あんなに衰弱していられる尾崎さんから、今頃、電話がかかるはずがないと思った。私は「どなたですか」と聞き返した。
「尾崎だ、尾崎だよ」
「あ、先生でしたか。何か起こりましたか」
「何も起こりやせん。君に聞きたいことがあってな。今日、君がおれの枕許で、ホラ、あのう『女房の…』という俳句、あの下の句をちょっと教えてくれ」
私は思わず大声で笑いだしてしまった。いつか自分の笑い声が作り笑いになっているのに気が付いた。私は女房に気づかれないように、そっと下の句を告げた。
「有難う」と電話は切れた。その時の、何ともいえない侘しい尾崎さんの電話の声は、いつまでも私の耳に残っている。
東京の街を歩いていて思うことは、1億や2億のビルがゴロゴロしていることである。
明治から今日まで約100年間に刊行された日本民族の大いなる遺産である文学書の山も、このビルひとつ作る金があれば、めぼしいものはほとんど集まるだろうから、貴重な文化財とかなんとかいっても、古本なんていうものはたかがしれたものだと思うのである。
10年もの間、棚に根が生えたように動かなかった久米正雄の本20数冊が下ろされた時には、商売と言いながら、久米さんとも愈々お別れかと一寸した感傷が胸に浮かんだ。先生方の顔は古本の埃と流れ出る汗でクシャクシャになり、額からはポタリポタリと玉の汗が落ちた。積み重ねた古本の上にも落ちて染みを作った。
私はこの玉の汗が、日本近代文学館の基礎を作るのだと思った。
本書は著者の意思を大切にされたご子息が出版を企画。残念ながら完成版は生前には間に合いませんでしたが、ここをこうしよう、これも入れよう、あれも入れたい、というやりとりは父子ともに楽しかったと思いますよ。最高の親孝行です。
そんなご子息が後書きにこんなことを。。。
まだ、私が中学生の頃だったでしょうか、父はお客さんと夢中になって話していました。
古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから、私が敬愛する作家の本たちは、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ。
父の仕事を誇らしく思い、感激して胸が詰まりそうになりました。
昨年33回忌を迎えて、私は「昔日の客」の復刊を願うようになりました。
そういう意思で復刻されたんですね。
古本屋さんというと、どんなイメージがありますか。文化人、作家のパートナー的な役割というポジションもあれば、稀覯本で一儲けという商売人まで、幅が広いでしょうね。どちらも大切ですし、どちらも実践されていることでしょう。プロなんですからね。
少なくともいえることは、普通の書店さんよりも本の中身についてはめちゃ詳しい、ということですね。たんに古い本ならなんでもいいわけではなく、専門特化している本の目利き=プロだからですね。
残しておくべき本を状態良く残す。そして、後世につなげる。そういう時間軸の中で文化の架け橋の仕事をされているんです。
電子出版? 古本屋さんの出番がなくなりますがな。
ぜひ「中島孝志の聴く!通勤快読」をお読みください、お聴きください。合掌。