2012年06月22日「東京物語」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「思いがけのう大阪へも降りて、敬三にも会えたし、わずか10日ほどの間に子どもらみんなに会えて……」
「ウム」
「孫らも大きうなっとって……」
「ウーム、よう昔から子どもより孫がかわいい言うけえど、おまぁ、どうじゃった?」
「おとうさんは?」
「やっぱり子どものほうがええのう」
「そうですなぁ」
「おなごの子ぁ、嫁にやったらおしまいじゃ」
「幸一も変わりやんしたよ。あの子ももっと優しい子でしたがのう」
「なかなか親の思うようにゃいかんもんじゃ……」
「欲をいや切りゃあにゃあが、まぁええほうじゃよ」
「ええほうですとも よっぽどええほうでさ。わたしらぁ幸せでさあ」
動の傑作「七人の侍」、静の傑作「東京物語」
この映画、むかし、池袋の文芸座で見ましたね。さっぱりわからんかった。つうより、つまんなかった。
それがいまやじっくりと、しんみりと、じわじわと観てしまいます。主人公が他人とは思えなくなった。この映画のストーリーが他人事ではなくなった。つまり、そんだけ年をとったということですな。
やっぱ頭でわかるちゅうことと、心でわかるつうのはちがいまんな。魂のレベルで感応するのはまたちがうもんなんでしょうな。きっと。
なにげない日常の1シーン。そこをきりとって映像にシナリオにしたわけでしょ。で、いきなり感情移入してしまう。
人間通ですな。
「おかあさんたち、満足したでしょうか」
「そりゃ満足しただろう。熱海にも行けたし東京見物できたんだから。しばらくは東京の話題でもちきりだ」
町医者をやってる長男夫婦の会話。それがいきなり「ハハ キトク」という一報が入ります。
この老夫婦、子どもに会いに上京したわけでね。東京見物や名勝などにそもそも関心などありません。親というのはいつもそうですな。
かつてあれだけエネルギーがあった親。落陽のように力が衰えていく。自然、2人で1人になっていくわけですな。夫婦というのは晩年のためにあるのかもしれません。
「東京であんたんとこへ泊めてもろうて、いろいろ親切にしてもろうて……」
「いいえ、なんにもおかまいできませんで……」
「いやぁ、おかあさん言うとったよ。あの晩がいちばんうれしかったいうて。わたしからもお礼を言うよ。ありがと」
「・・・・・・」
「妙なもんじゃ。自分が育てた子どもより、いわば他人のあんたのほうがよっぽどわしらにようしてくれた。いやぁ、ありがと」
戦死した次男の嫁の心遣いがなにより嬉しかった。「優しさ」が見えたからですね。親であること、実子であることに、油断してはいけませんな。
妻に先立たれた男はこれから時間をかけて孤独を味わっていくわけです。
「孤独」という字があります。幼くして親なきを「孤」といい、老いて子なきを「独」といいます。けど、どんなに子どもがたくさんいても「孤独」なんですな。それは教育の問題ではなく環境の問題なんでしょうかね。
♪ボクはもう孤独じゃない。孤独、おまえという友と一緒だから♪
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『何も願わない手を合わせる』(藤原新也著・文藝春秋)です。詳細はこちらからどうぞ。
「ウム」
「孫らも大きうなっとって……」
「ウーム、よう昔から子どもより孫がかわいい言うけえど、おまぁ、どうじゃった?」
「おとうさんは?」
「やっぱり子どものほうがええのう」
「そうですなぁ」
「おなごの子ぁ、嫁にやったらおしまいじゃ」
「幸一も変わりやんしたよ。あの子ももっと優しい子でしたがのう」
「なかなか親の思うようにゃいかんもんじゃ……」
「欲をいや切りゃあにゃあが、まぁええほうじゃよ」
「ええほうですとも よっぽどええほうでさ。わたしらぁ幸せでさあ」
動の傑作「七人の侍」、静の傑作「東京物語」
この映画、むかし、池袋の文芸座で見ましたね。さっぱりわからんかった。つうより、つまんなかった。
それがいまやじっくりと、しんみりと、じわじわと観てしまいます。主人公が他人とは思えなくなった。この映画のストーリーが他人事ではなくなった。つまり、そんだけ年をとったということですな。
やっぱ頭でわかるちゅうことと、心でわかるつうのはちがいまんな。魂のレベルで感応するのはまたちがうもんなんでしょうな。きっと。
なにげない日常の1シーン。そこをきりとって映像にシナリオにしたわけでしょ。で、いきなり感情移入してしまう。
人間通ですな。
「おかあさんたち、満足したでしょうか」
「そりゃ満足しただろう。熱海にも行けたし東京見物できたんだから。しばらくは東京の話題でもちきりだ」
町医者をやってる長男夫婦の会話。それがいきなり「ハハ キトク」という一報が入ります。
この老夫婦、子どもに会いに上京したわけでね。東京見物や名勝などにそもそも関心などありません。親というのはいつもそうですな。
かつてあれだけエネルギーがあった親。落陽のように力が衰えていく。自然、2人で1人になっていくわけですな。夫婦というのは晩年のためにあるのかもしれません。
「東京であんたんとこへ泊めてもろうて、いろいろ親切にしてもろうて……」
「いいえ、なんにもおかまいできませんで……」
「いやぁ、おかあさん言うとったよ。あの晩がいちばんうれしかったいうて。わたしからもお礼を言うよ。ありがと」
「・・・・・・」
「妙なもんじゃ。自分が育てた子どもより、いわば他人のあんたのほうがよっぽどわしらにようしてくれた。いやぁ、ありがと」
戦死した次男の嫁の心遣いがなにより嬉しかった。「優しさ」が見えたからですね。親であること、実子であることに、油断してはいけませんな。
妻に先立たれた男はこれから時間をかけて孤独を味わっていくわけです。
「孤独」という字があります。幼くして親なきを「孤」といい、老いて子なきを「独」といいます。けど、どんなに子どもがたくさんいても「孤独」なんですな。それは教育の問題ではなく環境の問題なんでしょうかね。
♪ボクはもう孤独じゃない。孤独、おまえという友と一緒だから♪
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『何も願わない手を合わせる』(藤原新也著・文藝春秋)です。詳細はこちらからどうぞ。