2012年07月21日センチメンタル・ジャーニーその2

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 今日は東京原原の打ち上げです。メンバーの方はご参集ください。

 さて、橿原神宮の第1鳥居から神饌田まで行ったら、なんと隣の駅に着いてしまいましたよ。
 ここは畝傍山の東。北は神武天皇御陵ですな。きつい日差しを避けるのは樹だけ。まともに浴び続けたので全身から汗が噴き出し、500ミリリットルの水を3本立て続けに飲んでも足りないほど。

 ああ、シャワー浴びたい。Tシャツ脱いで頭から水をかぶるなんて、神社の中ではできんわなあ。

 これから橘寺へ。聖徳太子様の生まれたところ。明日香ですな。正式名は「仏頭山上宮皇院菩提寺」なのよね。もち、本尊は聖徳太子様。それと如意輪観音さん。

 橘寺と呼ばれるのは、垂仁天皇の命で不老不死の果物を取りに行った田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことから。
 橘ゆうたら「右近の橘、左近の桜」という通り、御所でも皇居でもコンビですわな。この実が改良されてできたのがミカンですな。だから柑橘類とゆうでしょ。

 目的は蓮華塚を見たかったから。橿原神宮で神饌田を見たかったのと同じ。ここは別名「畝割塚」。なんのことはない。大化の改新以前から税収のために土地測量の基準を作らなければならなかったわけ。で、その単位となる「畝」を決めたのがここなのね。畝つうのは畝傍山の畝のことですな。


蓮華塚。1畝=100平米。ま、固定資産税をつくったのは太子様ということでんな。

往生院の天井画。260点もありまっせ。

太子様が愛した黒駒。日本原産の馬ですな。

 ここ明日香はとても豊穣な盆地。さすがに昔の人々は自然の要塞であり、豊穣の地を選びましたな。文化文明は飛鳥川が運んでくる。この「関所」の守りをしたのが蘇我蝦夷と入鹿。彼らの領地は大和三山を見渡せる高台にありました。

 明日香は棚田の宝庫ですな。まことに見事。9月に入ると彼岸花が咲きます。日本でいちばん美しいのがここ。「彼岸花は毒」といわれるのは迷信。水にさらすと無毒になります。飢饉のとき最後の最後に食用にするため、ふだん食べられたら困るんで「毒」と称したわけですな。


棚田。整然としてますな。日本は土地が狭く山が多い。だからこのような作り方をせざるをえません。知恵ですな。上から下へとつくるのが日本流。水は山からとりますからね。


高台から石舞台石窟を臨む。左右の石はそれぞれ60〜70トンもあります。

とっても涼しい。蘇我馬子の墓ですな。

日本最古の本格的寺院飛鳥寺。釈迦如来像(通称:飛鳥大仏)。

 帰りは橿原神宮駅からどういくか?

「名古屋まで何分ですか?」
「2時間」
「京都は?」
「50分」
「京都まで1枚ください」

 近鉄特急で京都かあ。久しぶり。京都は祇園祭ですな。テレビで見てたけど暑そうですなえ。昔、壬生に住んでたとき、小雨の祇園祭でね。不快指数100%。うだるような暑さでフラフラ。熱中症だったんでしょうな。それに比べれば今年は快適ですな。

 京都に向かう途中、「西の京」を通り過ぎます。薬師寺入山口ですな。30年前、西岡常一棟梁にお会いしました。3時間たっぷりお話を承りました。20年後、なぜか薬師寺菅主の安田暎胤さんと知り合い、横浜に来られるたびに呼んでもらっていろんな人を紹介してくれましたね。不思議なご縁ですなあ。

 寺田駅通過。京都の壬生に移る前に3カ月だけ過ごしたところ。会社が用意したせこい借り上げアパートでね。駅まで30秒というのだけが取り柄。午後7時になると店がすべて閉まります。食事ができない。いまでは様変わりしてるでしょ。コンビニだってあるでしょ。ま、30年前のことですからね。

 思い出すなあ。京都に引っ越した当日。京都駅前の会社にちょっと寄って人事部をひやかし、出町柳からとことこ電車に乗って一乗寺で映画を見ました。「金環食」と「華麗なる一族」。山崎豊子原作ですな。

 帰りに一乗寺の王将でメシ&ビール。王将初体験。安くて美味い。壬生には第1号店がありました。京都にいた頃は王将、天下一品、ミンミン、第一旭、四条河原町の春陽堂、それと四条大宮にあったレストラン風車。。。春陽堂と風車は探したけどありませんでしたな。

 そうか、気づかぬうちに30年か。。。ホントに気づきませんでしたな。