2012年11月01日夢を追い続ける。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
1枚のFAX。いまの時代、メールでしょ。だれ?
なるほど。石川さんだ。。。
石川慶蔵さん。昔、PHPに勤務してたときの隣の部門の上司。といっても、なぜかよく呑んだし。鹿児島大学の空手部出身で、義兄(弁護士)の後輩でもありましてね。
PHPには石川さんと同期の北村さんという素晴らしい上司がいましてね。この人は部下の手柄を横取りしたりしない(そういう人が多かったの)。失敗は自分が責任をとって部下を守る、という人でしたね。ま、私がサラリーマンをできたのもこの人がいればこそ。
石川さんとは同じ法人営業をしていながら、一緒に仕事することはなかったんですけどね。
去年、電話。
「近々、会わない?」
「喜んで」
変わりませんな。聞けば、佐賀で段ボール屋さんをしてるとのこと。
で、いま、有田焼を世界に向けて猛烈に発信してるんだとか。
「なんかいい知恵ない?」
「いま考えられているアイデアをとことん推進すれば道は拓けてくるんじゃないですか?」
あれから1年。。。久しぶりに元気な姿を拝謁。
この日曜日、「夢の扉 NEXTDOOR」(TBS系・日曜日午後6時半〜)に「蘇れ!世界を感動させた有田焼」と題して、石川さんが登場。視聴率8%超で、この番組では最高だったとか。
11年前に大腸がんで入院。6角形の台湾製万華鏡。目の前で花火が次々に開くようで恐怖が去り心が落ち着いた。
石川さんは病床で2つしたためていたそうです。1つは手術が失敗したとき、妻子に別れを告げる遺書。もう1つは万華鏡開発のための県への商品開発補助金の申請書。
万華鏡をほかの患者さんにも貸してあげると、みな笑顔に変わる。「人に喜ばれる有田焼」が見つかった。
有田町には100の窯元があります。石川さんがやってきた時、有田焼の売上は落ち込んで、最盛期の3分の1。いまや7分の1。
よし、有田焼で万華鏡をつくろう。。。けど、有田焼の工法は秘伝ですから、窯元はその方法をさらしません。でも、そんなことを言っている余裕があるかどうか。。。
ここらへん、自前主義で勝手に落ち込んでいった日本の製造業に似てますな。すべては客が決める。生殺与奪権は客が握ってるんですよね。
ついに有田焼万華鏡が完成。次は有田焼万年筆。これが2008年のG8北海道洞爺湖サミットで贈答品に選ばれます。
有田焼プロジェクトには地元の窯元やガラス製造など異業種十社。万華鏡にしても、日本ではおもちゃでも欧米ではアート。意識を変えなくちゃ。
世界的に有名な万華鏡作家山見浩司さんの力が不可欠。有田に招いて九州陶磁文化館へご案内。400年前、職人が腕を振るったヨーロッパ帰りの金襴手を前にすると、「値段なんかつけられへん」とうなった。
本物はすべてpriceless。
「400年後の人たちが感動するものをつくりませんか?」
とはいっても、業界低迷で技能の高いろくろや絵付け職人は次々にリストラされているのが現実。万華鏡やその派生商品で職人が活躍できる場を広げなければ有田再生はできないでしょう。
「有田焼は間違いなく『宝の山』。不可能とあきらめる前に、衆知を集めて可能にする努力をしなければ」
衆知を集める。幸之助さんがいちばん大切にしていた経営の要諦です。幸之助さんのDNAはここでもしっかり生きてますな。
頑張れ、石川さん!頑張れ、有田!!
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『決闘裁判』(山内進著・講談社)です。詳細はこちらからどうぞ。
なるほど。石川さんだ。。。
石川慶蔵さん。昔、PHPに勤務してたときの隣の部門の上司。といっても、なぜかよく呑んだし。鹿児島大学の空手部出身で、義兄(弁護士)の後輩でもありましてね。
PHPには石川さんと同期の北村さんという素晴らしい上司がいましてね。この人は部下の手柄を横取りしたりしない(そういう人が多かったの)。失敗は自分が責任をとって部下を守る、という人でしたね。ま、私がサラリーマンをできたのもこの人がいればこそ。
石川さんとは同じ法人営業をしていながら、一緒に仕事することはなかったんですけどね。
去年、電話。
「近々、会わない?」
「喜んで」
変わりませんな。聞けば、佐賀で段ボール屋さんをしてるとのこと。
で、いま、有田焼を世界に向けて猛烈に発信してるんだとか。
「なんかいい知恵ない?」
「いま考えられているアイデアをとことん推進すれば道は拓けてくるんじゃないですか?」
あれから1年。。。久しぶりに元気な姿を拝謁。
この日曜日、「夢の扉 NEXTDOOR」(TBS系・日曜日午後6時半〜)に「蘇れ!世界を感動させた有田焼」と題して、石川さんが登場。視聴率8%超で、この番組では最高だったとか。
11年前に大腸がんで入院。6角形の台湾製万華鏡。目の前で花火が次々に開くようで恐怖が去り心が落ち着いた。
石川さんは病床で2つしたためていたそうです。1つは手術が失敗したとき、妻子に別れを告げる遺書。もう1つは万華鏡開発のための県への商品開発補助金の申請書。
万華鏡をほかの患者さんにも貸してあげると、みな笑顔に変わる。「人に喜ばれる有田焼」が見つかった。
有田町には100の窯元があります。石川さんがやってきた時、有田焼の売上は落ち込んで、最盛期の3分の1。いまや7分の1。
よし、有田焼で万華鏡をつくろう。。。けど、有田焼の工法は秘伝ですから、窯元はその方法をさらしません。でも、そんなことを言っている余裕があるかどうか。。。
ここらへん、自前主義で勝手に落ち込んでいった日本の製造業に似てますな。すべては客が決める。生殺与奪権は客が握ってるんですよね。
ついに有田焼万華鏡が完成。次は有田焼万年筆。これが2008年のG8北海道洞爺湖サミットで贈答品に選ばれます。
有田焼プロジェクトには地元の窯元やガラス製造など異業種十社。万華鏡にしても、日本ではおもちゃでも欧米ではアート。意識を変えなくちゃ。
世界的に有名な万華鏡作家山見浩司さんの力が不可欠。有田に招いて九州陶磁文化館へご案内。400年前、職人が腕を振るったヨーロッパ帰りの金襴手を前にすると、「値段なんかつけられへん」とうなった。
本物はすべてpriceless。
「400年後の人たちが感動するものをつくりませんか?」
とはいっても、業界低迷で技能の高いろくろや絵付け職人は次々にリストラされているのが現実。万華鏡やその派生商品で職人が活躍できる場を広げなければ有田再生はできないでしょう。
「有田焼は間違いなく『宝の山』。不可能とあきらめる前に、衆知を集めて可能にする努力をしなければ」
衆知を集める。幸之助さんがいちばん大切にしていた経営の要諦です。幸之助さんのDNAはここでもしっかり生きてますな。
頑張れ、石川さん!頑張れ、有田!!
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『決闘裁判』(山内進著・講談社)です。詳細はこちらからどうぞ。