2012年11月12日昭和天皇と田中真紀子さん。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
田中真紀子文部科学相が来春予定していた秋田公立美術大(秋田市)など3つの大学の新設を不認可としましたね。
マスメディアが拍手喝采する勘違いしたんでしょうね。バッシングの嵐でした。いまの民主党はなにやっても潰されますよ。消費税増税を通したら利用価値なんかもうないんですから。官僚はもう使用済み、粗大ゴミ使いですよ。
真紀子さんの意見は至極当然ですよ。
「大学関係者が審議会委員の大半。そのあり方に疑問を呈した」
「大学の数が多すぎる」
「量より質が重要だ」
ま、だれでもそう考えますわな。
けど、ルールは大学新設については文科省が定めた設置基準に基づいて「審議会」が教育態勢や財務状況などを審査する、ということ。で、最終的な可否を判断するのは文科相。で、今回はちゃぶ台返しとなったわけですね。
けど、これは大臣としての裁量権の逸脱以外のなにものでもありません。ルールが間違っているなら正すべき。けど、ダメなルールでもルールはルール。でないと、行政は混乱しますよ。
4年制大学は507校(90年度)から783校(2012年)へと増えてます。志願者が増えたんじゃないの。大学設置基準がゆるゆるになったから。
ゆるゆるになると、アホな学生も入学できますし、アホな経営陣も補助金目当てで学校でもつくるべえか、という目ざとい連中が出てきてもおかしくありません。あげく、定員割れもたくさんあります(私大では46%!)。ま、すでに破綻。近々、破綻という学校は山ほどあるでしょうな。
でもさ、まともな学生さんは格付け会社よりも賢いはずですよ。偏差値」という格付けできっちり値付けしてます。今回の3大学にしたって、今後どうなるかはマーケット=学生さんが決めます。文科省ではありません。
昭和天皇と陣笠大臣を同じ文脈でお話することなど畏れおおいのですが、今回はひらにご寛恕賜りたいと思います。
終戦直後、日本のマスメディアも外国のそれも、「天皇が開戦を命じたから開戦し、終戦を命じたから終戦になった」と盛んに宣伝しました。
ま、国民は洗脳されてしまいました。一部のわけしり屋を除けばいまでもそうかもしれません。
日本には憲法があります。天皇も、大臣、国民もこの憲法にしたがっています。
「内治にしろ、外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策を立て、これを規定に遵(したが)って提出して裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。
もしそうせずに、私がその時の心持ち次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、その後、責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持ちによって、何となるかわからないことになり、責任者として国政に就き、責任を執ることができなくなる。
これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、立憲の君主として、私にはそんなことはできない」(『侍従長の回想』・藤田尚徳著・中央公論新社)
天皇陛下と補弼する大臣との距離感がよくわかります。
昭和14年4月、昭和天皇は「天皇の大権を犯したものではないか」と、きわめて特別に、厳しい口調で発言されたことがあります。
それは日本の致命傷となった「日独伊三国同盟」の交渉時に、大島駐独大使(陸軍中将)と白鳥駐伊大使が、「独伊が第三国と戦う場合は日本が参戦する」という意思を勝手に表明したことによるものです。
独伊が英仏と戦争することになってしまえば、日本は自動的に参戦することになるわけです。
こういう重大事を本国の訓令も受けず、大使レベルで勝手に表明するとは、大権を犯すものだ、という正論を述べられたのです。
どこぞの総理大臣は閣議も経ずに、国会で審議もせずに、消費税増税やTPPについて国際会議などで好き放題に言い放ってきましたが、戦前なら辞職では済みませんよ。
おっちょこちょいの政権。ものを考えない大臣。なぜか絶妙に合ってますな。サッカーやってると思ってたら、いつの間にかラグビーに変わってた。。。ではあかんねん。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『小説講座 売れる作家の全技術』(大沢在昌著・角川書店)です。詳細はこちらからどうぞ。
マスメディアが拍手喝采する勘違いしたんでしょうね。バッシングの嵐でした。いまの民主党はなにやっても潰されますよ。消費税増税を通したら利用価値なんかもうないんですから。官僚はもう使用済み、粗大ゴミ使いですよ。
真紀子さんの意見は至極当然ですよ。
「大学関係者が審議会委員の大半。そのあり方に疑問を呈した」
「大学の数が多すぎる」
「量より質が重要だ」
ま、だれでもそう考えますわな。
けど、ルールは大学新設については文科省が定めた設置基準に基づいて「審議会」が教育態勢や財務状況などを審査する、ということ。で、最終的な可否を判断するのは文科相。で、今回はちゃぶ台返しとなったわけですね。
けど、これは大臣としての裁量権の逸脱以外のなにものでもありません。ルールが間違っているなら正すべき。けど、ダメなルールでもルールはルール。でないと、行政は混乱しますよ。
4年制大学は507校(90年度)から783校(2012年)へと増えてます。志願者が増えたんじゃないの。大学設置基準がゆるゆるになったから。
ゆるゆるになると、アホな学生も入学できますし、アホな経営陣も補助金目当てで学校でもつくるべえか、という目ざとい連中が出てきてもおかしくありません。あげく、定員割れもたくさんあります(私大では46%!)。ま、すでに破綻。近々、破綻という学校は山ほどあるでしょうな。
でもさ、まともな学生さんは格付け会社よりも賢いはずですよ。偏差値」という格付けできっちり値付けしてます。今回の3大学にしたって、今後どうなるかはマーケット=学生さんが決めます。文科省ではありません。
昭和天皇と陣笠大臣を同じ文脈でお話することなど畏れおおいのですが、今回はひらにご寛恕賜りたいと思います。
終戦直後、日本のマスメディアも外国のそれも、「天皇が開戦を命じたから開戦し、終戦を命じたから終戦になった」と盛んに宣伝しました。
ま、国民は洗脳されてしまいました。一部のわけしり屋を除けばいまでもそうかもしれません。
日本には憲法があります。天皇も、大臣、国民もこの憲法にしたがっています。
「内治にしろ、外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策を立て、これを規定に遵(したが)って提出して裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。
もしそうせずに、私がその時の心持ち次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、その後、責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持ちによって、何となるかわからないことになり、責任者として国政に就き、責任を執ることができなくなる。
これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、立憲の君主として、私にはそんなことはできない」(『侍従長の回想』・藤田尚徳著・中央公論新社)
天皇陛下と補弼する大臣との距離感がよくわかります。
昭和14年4月、昭和天皇は「天皇の大権を犯したものではないか」と、きわめて特別に、厳しい口調で発言されたことがあります。
それは日本の致命傷となった「日独伊三国同盟」の交渉時に、大島駐独大使(陸軍中将)と白鳥駐伊大使が、「独伊が第三国と戦う場合は日本が参戦する」という意思を勝手に表明したことによるものです。
独伊が英仏と戦争することになってしまえば、日本は自動的に参戦することになるわけです。
こういう重大事を本国の訓令も受けず、大使レベルで勝手に表明するとは、大権を犯すものだ、という正論を述べられたのです。
どこぞの総理大臣は閣議も経ずに、国会で審議もせずに、消費税増税やTPPについて国際会議などで好き放題に言い放ってきましたが、戦前なら辞職では済みませんよ。
おっちょこちょいの政権。ものを考えない大臣。なぜか絶妙に合ってますな。サッカーやってると思ってたら、いつの間にかラグビーに変わってた。。。ではあかんねん。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『小説講座 売れる作家の全技術』(大沢在昌著・角川書店)です。詳細はこちらからどうぞ。