2012年11月13日「モリー先生との火曜日」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「ビアニストになるんじゃなかったのか?」
「大人になってからやめた。いまはスポーツジャーナリストをしてる」
「人生に手遅れなんてないさ。気づいたときがそのときだよ」
「だれもが死の話題から避けようとする。不幸に生きていることとはちがうのにね」
「若くなりたい?」
「わたしにも若い頃はあったが惨めだった。現代は若さを賞賛する文化だからね。けど22歳も78歳も同じくらい幸せだ。加齢は退化ではなく成長だ。どんなときに年を怖れるか? 人生に意味が無くなったときだ」
「悔いがある」
「先生に?」
「たくさんな・・・自惚れ、プライド、見栄、無情な心」
「オヤジの最期について話そう」
「?」
「恐怖で死んだ。家の外で新聞を読んでいると強盗が銃を向けた。オヤジは逃げた。もっとひどい経験もあったろうに、どうしてあんなに怖れたのか。心臓が力尽きた」
「・・・」
「長年、心を閉ざし、理解しようとしなかった。オヤジはおびえて生きていたのに、求めるだけで自分はなにもしなかった。なんと愚かだったんだろう」
「・・・」
「すべての人を許すんだ・・・わたしは幸せだ。満たされている。痛みと愛はともにいい教師だ」
モリーと話すうちに、彼の心の中でなにかが変わった。けど、「遅すぎたわね」と恋人にはふられ、コラムの仕事も失い、時間だけがたっぷり残った。
そして考えた。仕事、金、野心・・・これらのものに人は埋もれてしまう。ほんとうに必要なものだろうか?
「変な質問をしてもいいですか?」
「お好きなように」
「もし24時間、健康な身体で過ごせるとしたら何をします?」
「素敵な質問だよ。24時間か・・・」
「聞かせてください」
「甘いパンと紅茶の朝食。ランチには友人を招待するサラダとか簡単なものだ。そして公園を散歩。木々には鳥がいる。友人たちと話し友情を確かめ合う。夕食は店に絶品のパスタを味わいにいく。それから大好きなダックだ。ダックは好きか? 次はもちろんダンスだ。素敵なパートナーと疲れるまで踊り続ける。そして家に帰り、眠る」
「普通の1日ですね? 妻子は登場しない?」
「言う必要はあるまい。当然、彼らはいる」
「埋葬地を決めたよ。丘にある木の下だ。池を臨み、思考にふけるのにはうってつけだ」
「そこで考えごとを?」
「死んだら無理だ。悩みごとを話しに来てくれ」
「先生が死んだら話を聞けない」
「わたしが死んだら、きみが話せ。わたしは聞き役に回る」
「先生が命を削って教えても、わたしはいっこうに成長しない。人を愛しても死ぬ、愛さなくても死ぬ。愛したって変わらない。その苦しみから逃れられるんですか?」
「手を握ってくれ」
「先生の死を受け容れられない」
「死で人生は途切れるが、絆は切れない。ミッチ、相変わらずサヨナラがへただな」
「・・・」
「次のレッスンは来週の火曜日だ」
土曜日にモリーは亡くなります。
どうして火曜日だったのか? モリー先生は毎週火曜日に学生相談をしてたから。
やり手のスポーツライター、ミッチ。テレビで恩師の大学教授モリーのインタビューを目にします。仕事に忙しくて約束をずっと果たしていなかった。勇気を出して16年ぶりに会いに行きます。そこから毎週火曜日のマンツーマン・レッスンがはじまったわけです。
原作はミッチ・アルボムが書いたノンフィクション。難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授の「最後の授業」を記録したもの。97年度の世界的ベストセラー。名優ジャック・レモンの遺作としても知られています。
できの悪い生徒を教え続けたモリー先生。一生かかるレッスンもあります。だからいまでもレッスンは続いてるんですね。テーマは・・・「人生」です。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『世界最終恐慌への3000年史』(鬼塚英昭著・成甲書房)です。詳細はこちらからどうぞ。
「大人になってからやめた。いまはスポーツジャーナリストをしてる」
「人生に手遅れなんてないさ。気づいたときがそのときだよ」
「だれもが死の話題から避けようとする。不幸に生きていることとはちがうのにね」
「若くなりたい?」
「わたしにも若い頃はあったが惨めだった。現代は若さを賞賛する文化だからね。けど22歳も78歳も同じくらい幸せだ。加齢は退化ではなく成長だ。どんなときに年を怖れるか? 人生に意味が無くなったときだ」
「悔いがある」
「先生に?」
「たくさんな・・・自惚れ、プライド、見栄、無情な心」
「オヤジの最期について話そう」
「?」
「恐怖で死んだ。家の外で新聞を読んでいると強盗が銃を向けた。オヤジは逃げた。もっとひどい経験もあったろうに、どうしてあんなに怖れたのか。心臓が力尽きた」
「・・・」
「長年、心を閉ざし、理解しようとしなかった。オヤジはおびえて生きていたのに、求めるだけで自分はなにもしなかった。なんと愚かだったんだろう」
「・・・」
「すべての人を許すんだ・・・わたしは幸せだ。満たされている。痛みと愛はともにいい教師だ」
モリーと話すうちに、彼の心の中でなにかが変わった。けど、「遅すぎたわね」と恋人にはふられ、コラムの仕事も失い、時間だけがたっぷり残った。
そして考えた。仕事、金、野心・・・これらのものに人は埋もれてしまう。ほんとうに必要なものだろうか?
「変な質問をしてもいいですか?」
「お好きなように」
「もし24時間、健康な身体で過ごせるとしたら何をします?」
「素敵な質問だよ。24時間か・・・」
「聞かせてください」
「甘いパンと紅茶の朝食。ランチには友人を招待するサラダとか簡単なものだ。そして公園を散歩。木々には鳥がいる。友人たちと話し友情を確かめ合う。夕食は店に絶品のパスタを味わいにいく。それから大好きなダックだ。ダックは好きか? 次はもちろんダンスだ。素敵なパートナーと疲れるまで踊り続ける。そして家に帰り、眠る」
「普通の1日ですね? 妻子は登場しない?」
「言う必要はあるまい。当然、彼らはいる」
「埋葬地を決めたよ。丘にある木の下だ。池を臨み、思考にふけるのにはうってつけだ」
「そこで考えごとを?」
「死んだら無理だ。悩みごとを話しに来てくれ」
「先生が死んだら話を聞けない」
「わたしが死んだら、きみが話せ。わたしは聞き役に回る」
「先生が命を削って教えても、わたしはいっこうに成長しない。人を愛しても死ぬ、愛さなくても死ぬ。愛したって変わらない。その苦しみから逃れられるんですか?」
「手を握ってくれ」
「先生の死を受け容れられない」
「死で人生は途切れるが、絆は切れない。ミッチ、相変わらずサヨナラがへただな」
「・・・」
「次のレッスンは来週の火曜日だ」
土曜日にモリーは亡くなります。
どうして火曜日だったのか? モリー先生は毎週火曜日に学生相談をしてたから。
やり手のスポーツライター、ミッチ。テレビで恩師の大学教授モリーのインタビューを目にします。仕事に忙しくて約束をずっと果たしていなかった。勇気を出して16年ぶりに会いに行きます。そこから毎週火曜日のマンツーマン・レッスンがはじまったわけです。
原作はミッチ・アルボムが書いたノンフィクション。難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授の「最後の授業」を記録したもの。97年度の世界的ベストセラー。名優ジャック・レモンの遺作としても知られています。
できの悪い生徒を教え続けたモリー先生。一生かかるレッスンもあります。だからいまでもレッスンは続いてるんですね。テーマは・・・「人生」です。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『世界最終恐慌への3000年史』(鬼塚英昭著・成甲書房)です。詳細はこちらからどうぞ。