2013年01月01日謹賀新年。今年もよろしく!!

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 新年あけました。今年もよろしくお願い申し上げます。
 2013年はあなたにとってさらによりよい年でありますように。。。

 寒いですね。熊本に来ております。昼まで少し雪が舞っておりました。

 元旦になりますと、私の頃は「東西隠し芸大会」という番組なんぞが人気がありましてね。クレージーやドリフの面々、あるいはマチャアキが大活躍。ま、ナベプロが制作してたんですから当たり前ですわな。

 で、番組の最後に必ず合唱してたのがこの唄でした。

♪年の初めの ためしとて
 終わりなき世の めでたさを
 松竹立てて 門ごとに
 祝う今日こそ 楽しけれ♪

「一月一日」という唄です。これ、皇室の弥栄を祈る歌なんですよ。作詞は第80代出雲國造、出雲大社宮司の千家尊福さん。作曲は宮内省雅楽長の上真行さん。1月5日になりますと、出雲大社の説教始祭でやはり合唱するわけです。

 戦後、一部の日本人は「君が代」は国歌かどうかと神経質に問題にしてきました。橋下徹さんは卒業式や入学式で起立もせず斉唱もしないアホな教職員に激怒して改めさせたのはご存じの通り。
 しかし、そういう輩もこの唄にはなんの抵抗もなく、つまり、政治的意思もなく歌ったことでしょう。気にとめないのは無知か、あるいはすっかり生活に根付いているからでしょう。

 正月は太陰暦(旧暦)の第1月のことです。1年を12カ月に分け、その始まりの月を祝うことから「正月」というわけです。

 先祖供養というとお盆とお彼岸だと思い込んでいますが、実はお正月もそうなんです。死者を供養する斎日です。正月になぜかお墓参りをしたくのなるのはDNAのなせるわざ。正解です。

 正月は1日だけです。

 わが国では古今、大晦日になりますと、歳神様がその年の「古い魂」を更新して「新しい魂」を運んできます。そして元旦を迎えます。だから「正月はめでたい」わけです。
 神様が新しい魂を持って来てくださるから寝ずに待たなければなりません昔は松明を掲げて戸口をドンドン叩いて、寝てる人々をわざわざ起こして回ったほどです。

 子供たちがいちばん楽しみにしてるのはいまも昔も「お年玉」でしょう。わざわざ故郷に戻るのもお年玉をガメるため、という人も少なくないでしょう。
 このお年玉も神様が運んでくるのです。玉=魂です。新しい1年間を生き抜く魂のエネルギーこそが「お年玉」なんですね。主が家を代表して「お年玉」を受け取って家族に分けます。魂は丸いから、玄関には大きな丸い鏡餅を飾り、年の数だけこの餅を食べます。

 会う人ごとに「おめでとうございます」とお互いに挨拶しますが、これも新しい魂が漲っていることへの祝辞なんですね。
 
新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ 吉事(万葉集 大伴家持)


 さて、政権も代わり、世紀末的なド素人政治からプロ政治へと転換するのでは、と期待される向きも多いと思います。選挙前から円安になるなど、海外の投資家はよくわかっております。ま、アメリカ政府の意向を受けたファンドにしてみれば為替も株価もこのくらいは操作できるでしょう。

「アベノミックス」とメディアは命名してますが、円高対策、景気対策、株価対策などを見ますと、実は12年前の森政権とクリソツであることにお気づきでしょうか。「歴史は繰り返す」と言いますけど、わずか12年。つまり、政策に目新しいものはなにもない、ということですね。

 願わくば、公共投資にしても過去の延長線ではなく、「未来」に生きる投資案件を心がけるべきでしょう。古い古いケインズ流政策が役立たずなことは、この20年間で見てきた通りです。

 京都議定書、公共事業、国債発行シーリングなどなど、ド素人政権が決めたことはすべて逆転させてもいいくらいです。たとえば新幹線投資。コストの高い新幹線より優先すべきはLCCの拡充でしょ。国内の土建事業よりも国内外にブリッジした事業にマネーも含めた資源を振り向けるべきでしょうね。

「豊かになりたい」と考えることはいいですが、「豊かでなければいけない」と考えることはいかがなものか。1人1人の日本人にとって「豊かさ」とは何なのか? 「豊かさ」の定義を元旦にしておきたいものです。

 古今、日本は貧しかった。これは海外からの渡来人から明治期のお雇い外国人もそう思っていたようですね。

 けど、貧しさの中でも、日本人は精一杯創意工夫して生きてきました。なにより注目すべきことは、貧しさが当たり前すぎて、なぜ貧しいのか、その反省と探求があまりにも抜け落ちていました。だから、貧しさをそれほど苦とも思わずに生きられたのでしょう。

 豊かであるとか貧しいとか、比較することからすべての悩みは生まれているようです。相談できる仲間がいる。伴走してくれる仲間がいる。箱根駅伝の選手たちも伴走する仲間の声援がどれだけエネルギーになっているか、わかりません。

 いまの日本に足りないのは、「伴走」です。一緒に走ってくれる仲間なのかもしれません。