2013年08月15日靖国は今日も熱かった。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
終戦記念日は混むのでいつも前乗りで参拝することにしております。
靖国神社。1日かけてじっくり見たらいいと思います。わたしが何度見ても気づくのは「南方にて戦死」とか「○○沖にて戦死」という戦死場所についてです。
だいたいこのあたりではないか。死に場所は特定できません。それどころかご遺体も遺骨などもありません。終戦後、南方で戦死された日本兵の遺骨を探して供養する「遺骨収集団」が派遣され、いまもそこかしこで行われています。米兵も南方で戦死していますが、遺骨収集にはまったく関心がありません。
それは御巣鷹山日航墜落事故でも同じでした。いかに日本民族は遺骨にこだわるか、がよくわかります。
神風特別攻撃隊の飛行兵は花と散るのみ。遺骨などはなから諦めざるを得ません。だからこそ、出撃した飛行場が戦死した場所になるのです。
鹿児島の知覧や万世の特攻基地に夫や息子を亡くされたご遺族が集まるのは、ここがほんとうの意味で英霊たちの「墓地」だからです。そして靖国は英霊たちの社というだけでなく、そのご家族やご関係者のための鎮魂の社なのです。
元々、靖国神社は大楠公を祀る社。禁門の変や戊辰戦争の戦死者を祀った招魂社ですね。
それにしても、いつも感じるのは維新政府はなんとケチな人物ばかりだったかということです。西郷どんは西南戦争で、綾瀬はるかさん、いえいえ八重さんの愛した会津志士は戊辰戦争のために、祀られてはおらんのです。
なぜか? 政府に刃向かった賊軍だからです。これでは、敗者と死者だけは常にとことんむち打つ、どこかの人民と五十歩百歩ではないのか。
♪杖をたよりに 一日がかり せがれ きたぞや 会いにきた♪
ちがうでしょ、日本人は。。。憎しみも哀しみもすべて飲み込んで水に流す民族でしょ。全員合祀したらええのんよ。価値観がちがっただけで戦死したんは同じなんじゃけえ(参考までに、西郷どんは、1889年、大日本帝国憲法発布の際に、勅令で朝敵の汚名を除かれ正三位を追贈され、名誉を回復されてるんでごわす)。
昭和天皇も今上陛下もA戦犯が合祀されてから参拝されてない?
そんなことはありません。戦犯はABCとありますけど、カテゴリーが違うから3分類されただけでね。「A級、A級」となにかいちばんひどい罪を犯した連中だ、と聞こえるよう、GHQは国民を洗脳していたのです。
昭和天皇はBC戦犯合祀以降も参拝されています。
参拝できなくなったのは、あの三木武夫のせいですよ。史上最悪のカンノダコンビを除けば、歴代ワーストの首相が、終戦記念日に靖国神社を参拝した時、これまた輪をかけて愚かな社会党の代議士が「政教分離違反やでえ」と大騒ぎしたわけ。
このとき「私的参拝である」と発言しちゃった。どこの世界に「これはプライベートです」なんて首相がいますかね。
で、政府はこんなことを決めちゃった。私的参拝4原則。
1公用車を使用しない。
2玉串料は私費から支出する。
3記帳する際に肩書きを書かない。
4公職者を随行しない。
天皇のお立場では1と4は不可能ですよ。で、1975年の靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑以降、参拝できなくなってしまったのです。
民主党の首相ばかりがたまたまバカだったわけではありません。自民党にも河野某という、子孫に禍根を残す政治家もいたのです。総裁でありながら首相になれなかったのは天佑ですな。
「風立ちぬ」でお馴染み。零式艦上戦闘機。
大東亜戦争時、タイ〜ミャンマー間の泰緬連接鉄道で活躍した機関車。
終戦の日だとこの混みよう。
戦前戦中だけでなく、いつの時代もバカなリーダーはたくさんいたんだ、と思います。政治家の場合は国民がコントロールできますが、戦争の現場ともなると、愚かな指揮官のために犬死にした兵隊はたくさんいたんだ、と思います。
栗林忠道中将や市丸利之助中将、今西均大将のような軍人ばかりではありません。戦地に愛人を引き連れた寺内正毅のような男もいるわけです。で、こういうバカな指揮官の側近は虎の威を借りて方向ちがいの命令ばかりしていたわけです。
いまからでも遅くありません。靖国は(主語です。国営じゃありませんから)すべての戦死者を独自判断で合祀したらいいんです。そして今後、戦死者は出さない、防衛力と外交力で戦争にはさせない、と首相が宣言すればいいんです。だれに? 靖国の英霊に対してです。バカなメディアは世界に向けのメッセージと勘違いするでしょうけどね。
近いうちに「中島孝志の聴く!通勤快読」でご紹介しますが、小松真一著『虜人日記』という本があります。著者は軍人ではありません。純粋な技術者です。大蔵省醸造試験所研修員などをへて、昭和19年、陸軍嘱託としてフィリピンでブタノール研究に従事します。その後、米軍の捕虜となり、レイテ島、ルソン島で収容所生活をおくり、その間、必死の思いで書き綴ったのが本書でした。死後ようやく刊行されると毎日出版文化賞を受賞しました。
軍人ではありませんから、上下関係に拘束されることもありません。戦時中の地位がその後の人生で影響を及ぼされることもありません。組織への配慮も必要ありません。つまり、すべての縛りから解放されているのです。
その彼が敗戦の原因を21カ条に集約しています。
1精鋭主義の軍隊に精鋭がいなかったこと。しかるに、作戦その他で兵に要求されることは、すべて精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
2物量、物質、資源、すべて米国に比べ問題にならなかった
3日本の不合理性、米国の合理性
4将兵の素質低下(精兵は満州、シナ事変で大部分が死んでしまった)
5精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱれ威力なし)
6日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7基礎科学の研究をしなかったこと
8電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9克己心の欠如
10反省力なきこと
11個人としての修養をしていないこと
12陸海軍の不協力
13一人よがりで同情心がないこと
14兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついたこと
15バシー海峡の損害と、戦意喪失
16思想的に徹底したものがなかったこと
17国民が戦いに飽きていた
18日本文化の確立なきため
19日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20日本文化に普遍性なきため
21指導者に生物学的常識がなかったこと
鉛筆もノートもないときに、メモになるものを見つけて書きつづっただけのことはあります。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し」です。
日本は敗けました。けど原爆が開発されたために分割統治されずに済み、毛沢東の共産党軍が蒋介石の国民党軍と内戦状態だったために、戦後、日本は中華民国に統治されずに済んだのです。もし、沖縄戦参戦を条件にしたルーズベルトの提案(「カイロ密談」)にのっていたら、戦後の日本は台湾の属国になっていたかもしれません。そうなると、確実に「1つの中国」に巻き込まれていたはずです。
日本人はどん底の不幸を経験していますが、実はぎりぎりの段階で天佑に何回も救われているのです。それはおそらく目に見えない力の賜だ、と思います。政治家の力などではけっしてありません。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『裕仁天皇の昭和史(前半)』(山本七平著・祥伝社)です。詳細はこちらからどうぞ。
靖国神社。1日かけてじっくり見たらいいと思います。わたしが何度見ても気づくのは「南方にて戦死」とか「○○沖にて戦死」という戦死場所についてです。
だいたいこのあたりではないか。死に場所は特定できません。それどころかご遺体も遺骨などもありません。終戦後、南方で戦死された日本兵の遺骨を探して供養する「遺骨収集団」が派遣され、いまもそこかしこで行われています。米兵も南方で戦死していますが、遺骨収集にはまったく関心がありません。
それは御巣鷹山日航墜落事故でも同じでした。いかに日本民族は遺骨にこだわるか、がよくわかります。
神風特別攻撃隊の飛行兵は花と散るのみ。遺骨などはなから諦めざるを得ません。だからこそ、出撃した飛行場が戦死した場所になるのです。
鹿児島の知覧や万世の特攻基地に夫や息子を亡くされたご遺族が集まるのは、ここがほんとうの意味で英霊たちの「墓地」だからです。そして靖国は英霊たちの社というだけでなく、そのご家族やご関係者のための鎮魂の社なのです。
元々、靖国神社は大楠公を祀る社。禁門の変や戊辰戦争の戦死者を祀った招魂社ですね。
それにしても、いつも感じるのは維新政府はなんとケチな人物ばかりだったかということです。西郷どんは西南戦争で、綾瀬はるかさん、いえいえ八重さんの愛した会津志士は戊辰戦争のために、祀られてはおらんのです。
なぜか? 政府に刃向かった賊軍だからです。これでは、敗者と死者だけは常にとことんむち打つ、どこかの人民と五十歩百歩ではないのか。
♪杖をたよりに 一日がかり せがれ きたぞや 会いにきた♪
ちがうでしょ、日本人は。。。憎しみも哀しみもすべて飲み込んで水に流す民族でしょ。全員合祀したらええのんよ。価値観がちがっただけで戦死したんは同じなんじゃけえ(参考までに、西郷どんは、1889年、大日本帝国憲法発布の際に、勅令で朝敵の汚名を除かれ正三位を追贈され、名誉を回復されてるんでごわす)。
昭和天皇も今上陛下もA戦犯が合祀されてから参拝されてない?
そんなことはありません。戦犯はABCとありますけど、カテゴリーが違うから3分類されただけでね。「A級、A級」となにかいちばんひどい罪を犯した連中だ、と聞こえるよう、GHQは国民を洗脳していたのです。
昭和天皇はBC戦犯合祀以降も参拝されています。
参拝できなくなったのは、あの三木武夫のせいですよ。史上最悪のカンノダコンビを除けば、歴代ワーストの首相が、終戦記念日に靖国神社を参拝した時、これまた輪をかけて愚かな社会党の代議士が「政教分離違反やでえ」と大騒ぎしたわけ。
このとき「私的参拝である」と発言しちゃった。どこの世界に「これはプライベートです」なんて首相がいますかね。
で、政府はこんなことを決めちゃった。私的参拝4原則。
1公用車を使用しない。
2玉串料は私費から支出する。
3記帳する際に肩書きを書かない。
4公職者を随行しない。
天皇のお立場では1と4は不可能ですよ。で、1975年の靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑以降、参拝できなくなってしまったのです。
民主党の首相ばかりがたまたまバカだったわけではありません。自民党にも河野某という、子孫に禍根を残す政治家もいたのです。総裁でありながら首相になれなかったのは天佑ですな。
「風立ちぬ」でお馴染み。零式艦上戦闘機。
大東亜戦争時、タイ〜ミャンマー間の泰緬連接鉄道で活躍した機関車。
終戦の日だとこの混みよう。
戦前戦中だけでなく、いつの時代もバカなリーダーはたくさんいたんだ、と思います。政治家の場合は国民がコントロールできますが、戦争の現場ともなると、愚かな指揮官のために犬死にした兵隊はたくさんいたんだ、と思います。
栗林忠道中将や市丸利之助中将、今西均大将のような軍人ばかりではありません。戦地に愛人を引き連れた寺内正毅のような男もいるわけです。で、こういうバカな指揮官の側近は虎の威を借りて方向ちがいの命令ばかりしていたわけです。
いまからでも遅くありません。靖国は(主語です。国営じゃありませんから)すべての戦死者を独自判断で合祀したらいいんです。そして今後、戦死者は出さない、防衛力と外交力で戦争にはさせない、と首相が宣言すればいいんです。だれに? 靖国の英霊に対してです。バカなメディアは世界に向けのメッセージと勘違いするでしょうけどね。
近いうちに「中島孝志の聴く!通勤快読」でご紹介しますが、小松真一著『虜人日記』という本があります。著者は軍人ではありません。純粋な技術者です。大蔵省醸造試験所研修員などをへて、昭和19年、陸軍嘱託としてフィリピンでブタノール研究に従事します。その後、米軍の捕虜となり、レイテ島、ルソン島で収容所生活をおくり、その間、必死の思いで書き綴ったのが本書でした。死後ようやく刊行されると毎日出版文化賞を受賞しました。
軍人ではありませんから、上下関係に拘束されることもありません。戦時中の地位がその後の人生で影響を及ぼされることもありません。組織への配慮も必要ありません。つまり、すべての縛りから解放されているのです。
その彼が敗戦の原因を21カ条に集約しています。
1精鋭主義の軍隊に精鋭がいなかったこと。しかるに、作戦その他で兵に要求されることは、すべて精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
2物量、物質、資源、すべて米国に比べ問題にならなかった
3日本の不合理性、米国の合理性
4将兵の素質低下(精兵は満州、シナ事変で大部分が死んでしまった)
5精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱれ威力なし)
6日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
7基礎科学の研究をしなかったこと
8電波兵器の劣等(物理学貧弱)
9克己心の欠如
10反省力なきこと
11個人としての修養をしていないこと
12陸海軍の不協力
13一人よがりで同情心がないこと
14兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついたこと
15バシー海峡の損害と、戦意喪失
16思想的に徹底したものがなかったこと
17国民が戦いに飽きていた
18日本文化の確立なきため
19日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
20日本文化に普遍性なきため
21指導者に生物学的常識がなかったこと
鉛筆もノートもないときに、メモになるものを見つけて書きつづっただけのことはあります。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し」です。
日本は敗けました。けど原爆が開発されたために分割統治されずに済み、毛沢東の共産党軍が蒋介石の国民党軍と内戦状態だったために、戦後、日本は中華民国に統治されずに済んだのです。もし、沖縄戦参戦を条件にしたルーズベルトの提案(「カイロ密談」)にのっていたら、戦後の日本は台湾の属国になっていたかもしれません。そうなると、確実に「1つの中国」に巻き込まれていたはずです。
日本人はどん底の不幸を経験していますが、実はぎりぎりの段階で天佑に何回も救われているのです。それはおそらく目に見えない力の賜だ、と思います。政治家の力などではけっしてありません。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『裕仁天皇の昭和史(前半)』(山本七平著・祥伝社)です。詳細はこちらからどうぞ。