2014年10月14日学者として教師として。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」という古諺があります。
今回、ノーベル物理学賞を受賞された3人の日本人科学者も、ご本人たちはもちろん素晴らしいけれども、お三方を育てた周囲の力でもあることを皆さん、自覚されておられました。
「モチベーションは怒りだ!」と冗談交じりに本音を漏らされたジョーク好きの中村先生にしても、妨害し虐めた張本人こそが最大の恩人だったかも、と悟っておられることでしょう。
天才科学者は独創的ですから、どうしても周囲から浮いてしまうタイプが少なくありません。
「簡単なことを聞いても難解な回答をする。研究者はつきあいにくいな、と思いました」と父親像を訊かれた娘さんがそう答えていたことが印象に残りました。
研究者は研究内容で評価されますからね。それ以外のことは目をつぶらなくちゃね。
けど、研究者であり、また後進を育成する指導者でもあるわけです。そうなると少し話が変わってきますね。
「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」という通り、ノーベル賞を受賞した人はたくさんいますが、才能を発見し育て上げた人はめったにいないのかもしれません。それほど教育は難しいし、逆に言うと、環境を調えることこそが最高の教育なのかもしれません。
英才教育は受験勉強でもスポーツ、アスリートの世界でも効果的です。環境作りこそが人も動植物も成長させる最高の教師なのでしょう。
世の中には、人を活かす教育者もいれば、人を殺す教育者もいるようです。
「日本にいて何かいいことがあるだろうか。毎年3万人も死んでいくような国(自殺者のことでしょう)よりまし。イスラム国へ行けば本当に貧しいが食べてはいける」
自殺するか? イスラム国に行くか? 究極の選択を迫られているとき、「イスラム国に行ったほうがいいのでは」とアドバイスしたんでしょうな。
就活に疲れた大学生。生きていく希望をなくした大学生。中には、銃をぶっ放したいマニアもいるでしょう。そんな輩でも頭さえ優秀ならば使い道がある。「数学が得意ならぜひほしい」。どうせ死ぬ命なら使い道がある。そのほうが本人のためにもなろうし、なによりイスラム国のためになる。イスラム国シンパの元教授さんはそう考えたのかもしれませんな。。。
もしそうなら、この方は教職にあってはいけない御仁ですな。いまでも同志社の非常勤講師をつとめてるんでしょ(同志社がまともな学校ならたぶん解雇するでしょう)。
学者としては高名な方だそうです。本日の「聴く!通勤解読」でもこの方の本を再録しました。なにが幸いするか、テレビ露出が増えてベストセラーになっています。
情報不足、人脈不足、なにより世間知らずの学生さんに、この人のアドバイスは強烈に効いたでしょうな。傍観するとこ、学生さんたち、カルトにいちばん引っかかりやすいタイプですわな。
頭はいいけど人間関係がつくれない。どこぞのアナリストと同じです。世のため国のためのようなことを書いていますが、頭の中は金のことだけ。ケチな男だから編集者はみな嫌い。仕事でもなければだれも会いたくない。
「イスラム国はあなたを歓迎している」な〜んて、子どもの頃からどこに行っても浮いてる人間が聞いたら、「居場所がようやく見つかった」と小躍りするでしょうね。
イスラム国の月給は50ドル。いまどき5000円なんて小学生でも喜ばないけど、貧しい人々はこれで十分、家族を養えるのです。
イスラム国の傭兵でいちばん多いのはチュニジア人です。「アラブの春」で知られるジャスミン革命発祥の地ですわな。ようやく憲法ができましたけど、国内はめちゃくちゃ。なぜなら観光立国ですからね、ここは。「治安が悪い」という噂でツーリストが来なくなった。
国民は飢えています。だから5000円でも喉から手が出るほどほしい。
リビアの国民。国家は石油が豊穣ですから大金持ち。しかし、カダフィ憎けりゃ袈裟まで憎いで、カダフィに関係する公務員はすべてパージされちゃった。かわりは元軍人たち。役所の戸籍係でもいなくなりゃ行政は滞ります。オイルマネーが国民の末端に流れなくなりました。
国民は飢えています。だから5000円でも喉から手が出るほどほしい。
「生きていてもしょうがないからイスラム国にでも行くか」という学生さんなど羨ましくてたまらんでしょうね。今日明日をも知らぬ命の人からすれば、そんな遠くに行かないで、日本国内で死んで、あんたの臓器を移植してくれよ、と願っていることでしょう。
この学者さんは命の大切さを話したのでしょうか。「個人の自由意思」「分別ある大人の決断」とでも言うのでしょうか。わがこととしてとらえきれない。もしかすると冷たい人なのかも、としか思えないのです。
「ならば、おまえは米軍から殺されているムスリムの気持ちがわかるか?」
日本人はもっと大きな規模で米軍から殺された歴史を抱えています。人の命は全体ではなくいつも個です。息子や娘を殺された家族からしてみれば、米軍だろうとイスラム国だろうと交通事故、病死でも同じです。
戦争で捧げざるを得ない命。平和の中で軽く捨てる命。種類は同じ。しかし比重がちがう。「同じ命」ではない、重みがちがうと思うのです。
日本人の多くは、この学者さんの言動でイスラム教はこういうものなのか、ムスリムはこういう人たちなんだ、と判断するでしょう。これはイスラム教にとってものすごく残念なことだ、と思います。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教(再び)』( 内田樹・中田考著・集英社)です。詳細はこちらからどうぞ。
今回、ノーベル物理学賞を受賞された3人の日本人科学者も、ご本人たちはもちろん素晴らしいけれども、お三方を育てた周囲の力でもあることを皆さん、自覚されておられました。
「モチベーションは怒りだ!」と冗談交じりに本音を漏らされたジョーク好きの中村先生にしても、妨害し虐めた張本人こそが最大の恩人だったかも、と悟っておられることでしょう。
天才科学者は独創的ですから、どうしても周囲から浮いてしまうタイプが少なくありません。
「簡単なことを聞いても難解な回答をする。研究者はつきあいにくいな、と思いました」と父親像を訊かれた娘さんがそう答えていたことが印象に残りました。
研究者は研究内容で評価されますからね。それ以外のことは目をつぶらなくちゃね。
けど、研究者であり、また後進を育成する指導者でもあるわけです。そうなると少し話が変わってきますね。
「千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず」という通り、ノーベル賞を受賞した人はたくさんいますが、才能を発見し育て上げた人はめったにいないのかもしれません。それほど教育は難しいし、逆に言うと、環境を調えることこそが最高の教育なのかもしれません。
英才教育は受験勉強でもスポーツ、アスリートの世界でも効果的です。環境作りこそが人も動植物も成長させる最高の教師なのでしょう。
世の中には、人を活かす教育者もいれば、人を殺す教育者もいるようです。
「日本にいて何かいいことがあるだろうか。毎年3万人も死んでいくような国(自殺者のことでしょう)よりまし。イスラム国へ行けば本当に貧しいが食べてはいける」
自殺するか? イスラム国に行くか? 究極の選択を迫られているとき、「イスラム国に行ったほうがいいのでは」とアドバイスしたんでしょうな。
就活に疲れた大学生。生きていく希望をなくした大学生。中には、銃をぶっ放したいマニアもいるでしょう。そんな輩でも頭さえ優秀ならば使い道がある。「数学が得意ならぜひほしい」。どうせ死ぬ命なら使い道がある。そのほうが本人のためにもなろうし、なによりイスラム国のためになる。イスラム国シンパの元教授さんはそう考えたのかもしれませんな。。。
もしそうなら、この方は教職にあってはいけない御仁ですな。いまでも同志社の非常勤講師をつとめてるんでしょ(同志社がまともな学校ならたぶん解雇するでしょう)。
学者としては高名な方だそうです。本日の「聴く!通勤解読」でもこの方の本を再録しました。なにが幸いするか、テレビ露出が増えてベストセラーになっています。
情報不足、人脈不足、なにより世間知らずの学生さんに、この人のアドバイスは強烈に効いたでしょうな。傍観するとこ、学生さんたち、カルトにいちばん引っかかりやすいタイプですわな。
頭はいいけど人間関係がつくれない。どこぞのアナリストと同じです。世のため国のためのようなことを書いていますが、頭の中は金のことだけ。ケチな男だから編集者はみな嫌い。仕事でもなければだれも会いたくない。
「イスラム国はあなたを歓迎している」な〜んて、子どもの頃からどこに行っても浮いてる人間が聞いたら、「居場所がようやく見つかった」と小躍りするでしょうね。
イスラム国の月給は50ドル。いまどき5000円なんて小学生でも喜ばないけど、貧しい人々はこれで十分、家族を養えるのです。
イスラム国の傭兵でいちばん多いのはチュニジア人です。「アラブの春」で知られるジャスミン革命発祥の地ですわな。ようやく憲法ができましたけど、国内はめちゃくちゃ。なぜなら観光立国ですからね、ここは。「治安が悪い」という噂でツーリストが来なくなった。
国民は飢えています。だから5000円でも喉から手が出るほどほしい。
リビアの国民。国家は石油が豊穣ですから大金持ち。しかし、カダフィ憎けりゃ袈裟まで憎いで、カダフィに関係する公務員はすべてパージされちゃった。かわりは元軍人たち。役所の戸籍係でもいなくなりゃ行政は滞ります。オイルマネーが国民の末端に流れなくなりました。
国民は飢えています。だから5000円でも喉から手が出るほどほしい。
「生きていてもしょうがないからイスラム国にでも行くか」という学生さんなど羨ましくてたまらんでしょうね。今日明日をも知らぬ命の人からすれば、そんな遠くに行かないで、日本国内で死んで、あんたの臓器を移植してくれよ、と願っていることでしょう。
この学者さんは命の大切さを話したのでしょうか。「個人の自由意思」「分別ある大人の決断」とでも言うのでしょうか。わがこととしてとらえきれない。もしかすると冷たい人なのかも、としか思えないのです。
「ならば、おまえは米軍から殺されているムスリムの気持ちがわかるか?」
日本人はもっと大きな規模で米軍から殺された歴史を抱えています。人の命は全体ではなくいつも個です。息子や娘を殺された家族からしてみれば、米軍だろうとイスラム国だろうと交通事故、病死でも同じです。
戦争で捧げざるを得ない命。平和の中で軽く捨てる命。種類は同じ。しかし比重がちがう。「同じ命」ではない、重みがちがうと思うのです。
日本人の多くは、この学者さんの言動でイスラム教はこういうものなのか、ムスリムはこういう人たちなんだ、と判断するでしょう。これはイスラム教にとってものすごく残念なことだ、と思います。
さて「中島孝志の 聴く!通勤快読」でご紹介する本は『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教(再び)』( 内田樹・中田考著・集英社)です。詳細はこちらからどうぞ。