2015年04月04日奈良の櫻は満開一歩前です!
カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」
昨日の夜は新地。そのまま京都に戻り、朝から奈良の明日香へ。
目的は「箸墓古墳」にお詣りすること。
何度も言ってますが、琉球最後のノロともいうべきH先生の霊視によりますと、「絹でできた長い裾のきれいな女性。とても悲しい顔をしている。時代? 聖徳太子よりずっと昔の人」とのりうつって語るわけで。。。
女性? う〜ん。梶芽衣子さんとか。あの人も「女囚さそり」では長い長い、そうか、パンタロンやったなあ。つうことは、綾瀬はるかさんとか。。。ま、私の守護霊にはならんわな。
そうか、卑弥呼か。ま、最後の最後に行ければいいわけで。。。
大和八木で下車。まずは岡寺。川原寺とか聖徳太子が生まれたとされる橘寺、飛鳥寺=元興寺、橿原神宮(会員です)等々は、すでに詣りました。ご紹介済みですね。
で、あのとき行きそこなった岡寺に行かなくちゃ。日本三大仏(銅像の東大寺毘盧遮那仏、木像の長谷寺十一面観世音菩薩)の1つ、塑像の如意輪観音菩薩に会いにいかなくちゃ。
これが如意輪観音座像。日本最大塑像。もち重文。
ここには金銅の如意輪観世音菩薩半跏思惟像もあるんです。弘法大師が御本尊の大如意輪観音坐像をつくるとき胎内に納めた仏ですね。いまは京都国立博物館に寄託されてます。
隣に開山堂。多武峰妙楽寺(=談山神社)から移築されました。
阿弥陀三尊像です。
さらにさらに奥の奥に登っていきますと文字通り「奥の院」が。。。
「弥勒の窟=石窟堂」の奥に弥勒菩薩座像がいらっしゃいます。
さて、談山神社にまいりましょう。近くに蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳もありますが、これもすでに紹介してますしね。
祭神は中臣鎌足です。元々は寺院なの。
678年、長男の僧定恵が十三重塔造立。1532年に再建されています。もち重文。
ちょっと撮ってもらいました。戦前の紙幣デザインにもなってますね。
境内の外には後醍醐天皇ご寄進の石灯篭(重文)があります。
う〜ん、かなりカットしました。いい写真がたっくさん。明日も奈良の旅ですな。
目的は「箸墓古墳」にお詣りすること。
何度も言ってますが、琉球最後のノロともいうべきH先生の霊視によりますと、「絹でできた長い裾のきれいな女性。とても悲しい顔をしている。時代? 聖徳太子よりずっと昔の人」とのりうつって語るわけで。。。
女性? う〜ん。梶芽衣子さんとか。あの人も「女囚さそり」では長い長い、そうか、パンタロンやったなあ。つうことは、綾瀬はるかさんとか。。。ま、私の守護霊にはならんわな。
そうか、卑弥呼か。ま、最後の最後に行ければいいわけで。。。
大和八木で下車。まずは岡寺。川原寺とか聖徳太子が生まれたとされる橘寺、飛鳥寺=元興寺、橿原神宮(会員です)等々は、すでに詣りました。ご紹介済みですね。
で、あのとき行きそこなった岡寺に行かなくちゃ。日本三大仏(銅像の東大寺毘盧遮那仏、木像の長谷寺十一面観世音菩薩)の1つ、塑像の如意輪観音菩薩に会いにいかなくちゃ。
これが如意輪観音座像。日本最大塑像。もち重文。
ここには金銅の如意輪観世音菩薩半跏思惟像もあるんです。弘法大師が御本尊の大如意輪観音坐像をつくるとき胎内に納めた仏ですね。いまは京都国立博物館に寄託されてます。
隣に開山堂。多武峰妙楽寺(=談山神社)から移築されました。
阿弥陀三尊像です。
さらにさらに奥の奥に登っていきますと文字通り「奥の院」が。。。
「弥勒の窟=石窟堂」の奥に弥勒菩薩座像がいらっしゃいます。
さて、談山神社にまいりましょう。近くに蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳もありますが、これもすでに紹介してますしね。
祭神は中臣鎌足です。元々は寺院なの。
678年、長男の僧定恵が十三重塔造立。1532年に再建されています。もち重文。
ちょっと撮ってもらいました。戦前の紙幣デザインにもなってますね。
境内の外には後醍醐天皇ご寄進の石灯篭(重文)があります。
う〜ん、かなりカットしました。いい写真がたっくさん。明日も奈良の旅ですな。