2015年04月06日鎌倉の櫻は満開でした!

カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」

 忘れないうちにご連絡。1月に名古屋原原でご講話頂いた山田豊文先生が、本日、テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」《午後11時15分〜》に出演されます。
 テーマは「大ブーム!?断食?はカラダに良い?悪い?」とのこと。必見です。。。


 京都と奈良を少し歩いてみて、そうだ、鎌倉だ。毎月行ってるわけでね。けど、ほとんど素通り。用事すまして帰るだけだもん。ちょうど桜の季節でもありますし。たまにはとっくりじっくり歩いてみよかいな。。。
 
 鎌倉駅で降りるとついつい右に向かっちゃう。ちがいますな。左にいかんとね。

 鶴岡八幡宮ですな。チビの頃に行きましたなあ。遠足もここだしね。
 鳩がたっくさんいたんだよね。えさ持ってると鳩が寄ってくるつうより、奪いに来るわけ。ヒッチコックの映画みたいなもんね。

 鶴岡八幡宮は1063年、源頼義が石清水八幡宮護国寺を鎌倉の由比郷に勧請したのが始まりで、源義家(八幡太郎義家)が修復。その後、源頼朝が現在の地に遷したわけ。


御祭神は八幡神。すなわち応神天皇。比売神それに応神天皇の母親である神功皇后です。

 本宮は大石段の上。大石段は61段あります。


2010年の強風で倒壊。若芽が生えてます。立派に再生しますよ。

 建長寺まで散歩。かなりの上り坂ですけどね。建長寺、正確には巨福山建長興国禅寺です。 


櫻が満開。京都と奈良ではちと早かったですが、ここはドンピシャ。

 どうして日本人は櫻が好きなんでしょうね。櫻が好きなのか、それとも春が待ち遠しいのか。その両方なんでしょうな。
 クリスマスにしても冬至から始まりますよね。いちばん陽が短い日の翌日から始まるわけ。やはり月よりも太陽神なんでしょう。

敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山櫻花
 
 本居宣長ですね。この人ほど櫻好きもいないですね。遺言にわざわざ墓の周囲には山櫻花を植えてくれ、そんだけ、と言ってたくらいっす。

 山櫻は必ず花と葉が一緒に出ます。櫻は花が咲いてから葉っぱが出るんじゃありません。それは明治になってからつくられた染井吉野でね。
 実は、いちばん低レベルの櫻でした。植木屋さんが育てやすかったんです。応援したのは文部省。だから、小学校の校庭はどこも櫻の木があったんです。結託してたんですね。

 江戸時代だって全国どこにも櫻の名所があったんです。当時の庶民は花を愛でるレベルの高い日本人だったんすよ。

 もっと昔になると、万葉の時代は櫻より萩。で、梅。中国は梅ですからね。ところが、御所でおわかりの通り。左近の桜、右近の橘でしょ。橘は聖徳太子ご生誕の橘寺が有名ですね。田島守がもってきたわけですね。「柑橘類」という通りね。
 
 スカイツリー駅の前の名前、業平橋。在原業平は六歌仙ですね。

世の中に たえて櫻のなかりせば 春の心は のどけからまし

 こんな歌を詠んでますね。この業平の辞世の句が素晴らしい、と賞賛したのが宣長の師匠とも言うべき契沖という人でした。

ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを

 死はいつだって突然のものです。正直ですね。なんのてらいもありません。

ああいやだ ホントにいやだ とてもいや 地獄に堕ちるの めっちゃいやどす

 これ、私の辞世の句。いまから用意してんの。馬っ鹿ですねえ。  
 ところで、染井吉野のような便利な櫻がない時代、いったい、どこの、だれが、全国に行き渡るだけの櫻の苗を用意したんでしょうか。。。ちょっと考えてみてください。正解は原原でね。


山門です。

 建長寺の隣は桑田佳祐さん卒業の鎌倉学園。だから、彼、ここでライブしてますよね。


右が法堂。この天井にあるのが「雲龍図」ですよ。

ほら、建仁寺の双龍と同じ作者。だれかは調べてくださいね。

仏殿には本尊の地蔵菩薩坐像があります。これ、とってもいいです。

 さて、精進落としではないですが、かなり歩きましたので、いつもの松原庵でいっぱい。


滋賀の「喜楽長(辛口純米吟醸)」。ほんのり翠色なんよ。

ご自慢の手打ちそば。

江ノ電の由比ヶ浜駅前。バーもテラスも座敷もある蕎麦屋さん。

 つまみ、かなりいけますよ、ここは。シーズンは予約しといたほうがいいかも。けど朝一番なら大丈夫じゃないかなあ。私? 予約したことないなあ。たいてい1人だもんね。


 さて、今日のメルマガでご紹介する本は「今井舞がゆく!気になる「あそこ」見聞録」(今井舞著・新潮社・1296円)です。