2002年09月02日形而下と形而上

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右手にソロバン、左手に論語


 たとえば、ここに茶碗が一つあるとしましょう。

 これを見たときの態度で真っ二つに分かれます。

 「これは素晴らしい。どうすればここまでの色が出せるんだ? なんと味わいのある形ではないか・・・」

 これは形而上的な発想です。

 では、形而下とは?

 「これは売れる! なんといっても渋めの色がいいじゃないか。よし、百個取り寄せよう。一個千円だとして、十万円のコストか。ならば、一個一万円で売れば、差し引きは・・・」と考えるのが形而下的発想なんですね。

 商売人は形而下的な発想ができなければ話になりません。芸術家は形而上的な発想がなければ、これもダメです。

 「では、経営者はどうでしょうか?」

 経営者は形而下、形而上、いずれの発想も同時にできなければ一流にはなれないんです。右手にソロバン、左手に論語というわけです。


社風が人を動かす

 形而下だけが極端に発達している二流、三流経営者も少なくありません。

 たとえば、BSE問題が発生し、政府が買い上げると聞いたとき、「チャンス到来。このどさくさに儲けてやろう」と考えついた人など、この典型でしょうね。彼らはたしかに一を聞いて十を知り、目から鼻に抜けるだけの才覚を持っています。

 しかし、品格、品性がない。あるのは商売の才覚だけ。だから、インチキしても恥じない。ファインプレーよりフェアプレーのほうが重要だ、ということに気づいていないんです。見つからなければ、もっと続けていたでしょうね。

 こんな経営者の下にはろくな社員が育たないと思います。なぜなら、やっていいことと悪いことの価値基準がトップ自ら間違っているからです。

 逆に形而上だけが発達した経営者もたまに見ますね。本人は芸術家気取りで、「経営は芸術です。美の探求です」と言いながら、たくさんの不良債権を抱えているんですから、これまた話にならない。こんな経営者はさっさと引退してもらって、パリにでも行ってもらったほうがいいでしょう。

 問題は社員、部下ともに、経営者、上司が形而上であるか、それとも形而下なのかで、自分の価値観まで変えてしまうということです。これが社風の怖さですね。

 「そんな命令を出した覚えはない」と経営陣は言い張るかも知れませんが、実は社風という会社の価値観が人を動かしているんです。

 やはり、経営者の責任は免れませんな。