2002年08月26日「田中真紀子研究」「和魂洋才のすすめ」「独創力を伸ばす人 伸ばさない人」
1 「田中真紀子研究」
立花隆著 文藝春秋 1500円
真紀子さん辞任の直前に発売されたから、タイミングとしてはベストだったでしょうな。
内容は、真紀子さんというより、角栄さんについてですね。
大下英治さんの「宰相田中角栄と歩んだ女」で佐藤昭さんのことを読んでましたから、理解が早かったです。この本の中でも、「田中角栄と・・・」に触れてました。
いまの日本政治を考えると、角栄時代までプレイバックしないと真実はわからない。
これが本書のスタンスです。
すなわち、自民党政治のビジネスモデルをつくったのが、角栄さんということです。役人を巻き込み、地方の津々浦々まで利権をネットワーク化し、票と金に結びつけて吸い上げる。
やはり、事業家として天才だったんですね。
角栄さんは毀誉褒貶は激しいけれども、あれほど愛されたキャラを持っていました。
それがどうして、真紀子さんは遺伝子を受け継がなかったのか?
それは父親をめぐって佐藤昭という女性と確執があったからではないか。「角栄の人に愛される側面」が逆に反作用を引きおこしている、と指摘しています。
角栄という人は大盤振る舞いが大好きでした。
人が一万円欲しいと思っていたら、二万、三万と渡す人ですよ。だから、みな、感激した、ファンになった。人間通ですね。
それが政策にもすべて反映されてます。
たとえば、ウルグアイラウンド。
これは1995年に協定が発効してますが、それまでに対策費としてばらまかれた金は6兆円です。
機械化推進、コメ乾燥貯蔵成美、農道整備などなどへの手当金ですね。
ところが、実はそれまでにもたっぷりばらまかれてましたから、いまさら、何に使っていいかわからないんです。
で、ほとんどつかみ金同然の扱いになっていたわけです。
どうしてこんなことになったんでしょうね?
おそらく、角栄さんという人の思考回路は、拡大主義だったんでしょうね。
すべてを投資と考え、使ってもどこかで大きく返ってくればいいじゃないか。グロスで儲かれば、それで国の経営は御の字だ、と考えていたように思います。
そのため、保護行政のまま突っ走ったんだ、と思います。
弱い業界は強い業界が支えてあげればいいじゃないか。強い業界にはそれだけ行政的にサービスをするから、まっ、サポートしてやってくれよ。
こんな気分だったんじゃないかなぁ。
こうなると、弱い業界は自助努力などしなくなります。そんな手間暇かかることよりも、政治に依存してしまえば楽だ、効果がある。政治家にとってはこんなにいい話はありませんよ。
特殊法人を山ほど、作ってきたのも、この人ですからね。
いま、小泉さんは「角栄的なもの−−自民党の負の遺産」との訣別を展開中なんですね。
150円高。購入はこちら
2 「和魂洋才のすすめ」
亀井正夫著 竹井出版 1250円
著者は住友電工の社長、会長を務めた人というよりも、昭和56年、土光敏夫さんに口説かれて第二次臨調部会長を引き受け、そして国鉄再建監理委員会委員長として国鉄民営化に尽力した功労者といったほうがいいかもしれません。
もしかすると、日本財界最後の一本筋がピシッと入った哲人経営者かもしれませんね。さもありなん。昭和46年間から12年間、安岡正篤さんが亡くなるまで弟子でした。
残念ながら、つい先頃、鬼籍に入られました。
この本、10年前に出されてるんです。でも、いまこそ読むべきだと思います。
「日本は依然として鎖国状態にある。社会経済の制度慣行が国際ルールにあまりにもかけ離れているではないか。これではセミ鎖国である。政治はいまだに日本列島の海岸線の内側だけの発想に終始し、国際性が欠如している。外交はいつも後手後手、外圧ではじめて発想の転換を行う、それが経済大国といわれる国の真の姿なのか」
まさに、檄文です。
航空行政一つみても、途上国以下ですよ。
24時間稼働の国際空港なんてありませんもの。この人、関空の初代社長ですよ。
アメリカの外交官で阪神総領事のマロットさんという人がいましたが、この人がインド赴任時代の愛犬をワシントンに空輸したんです。
奥さんが空港に受け取りに行くと、15ドル払って、2時間後には連れて帰れた。
その4年後、ダラス空港から伊丹空港に同じように空輸すると、これがなんと2週間もかかった。犬は空腹とストレスで死にそうになっていた、と言います。
なぜ、2週間もかかるのか。
指定の関税業者の商業インポイスつかの書類を書かせられたんですが、これが実に10数枚もある。日本の規則に合致しているアメリカ政府発の健康証明書があるにもかかわらず、検疫です。この手数料たるや、750ドル。
アメリカでは2時間で済むものが日本では2週間、15ドルで済むものが750ドル。
これでは、外国人は日本の行政はバカの集まりとしか認識しないでしょうな。
これは鎖国が続いていると認識されるのも、当然でしょう。
教育改革については、あれもこれもやる必要はない。重点的に三点だけに絞って改革せよ、というのが持論でした。
すなわち、1家庭教育の問題、2教員の質の向上、3大学教育がそれです。
人間の基礎を作るのは家庭です。家庭で基礎ができていると、その上に学校教育が有効になるんですね。いま、教育の崩壊が叫ばれていますが、それは家庭教育の崩壊を意味するのであって、学校教育のそれではない、と思います。
「いま、高杉晋作や坂本竜馬が応募してきても、採用するか?」
面白い視点でしょう。
まず無いでしょうな。「上の言うことをまったく聞かない男など、いらん。会社の言うことに素直に従う社員が欲しい」というのが多くの人事部長の意見ですよ。
さて、国鉄再建に命を賭けて取り組んだのも、58年から62年4月1日にスタートするまでですね。日本人がはじめて外圧成しに改革の狼煙を上げたのは、これが最初で最後かもしれません。
農地解放、財閥解体、教育改革、税制変革・・・すべてアメリカの圧力ですもんね。電力会社九分割の資料を要求したところ、当時の通産大臣曰く、「何一つありません」との回答を寄越しました。
当然です。政府がしたものではなく、アメリカの命令でしたんですから、日本に資料なんて存在しないんです。
「亀井くん、国鉄の再建を引き受けてくれんか? 国鉄をなんとかしないと、日本経済はどうなってしまうかわからん。ボクも命を張ってやるつもりだから、やってくれないか」
土光さんにこう口説かれます。
何度も断っていましたが、最後には引き受けるんです。
もちろん彼は、ほかの財界人にも当たっていました。だって、亀井さんは関西の会社経営者ですからね。
「君の言う通り、ボクもいろいろ当たってみたよ。しかし、だれもやらん。賢い人はたくさんいるが、こんなドロにまみれるような仕事はだれもやらんのだよ
だから、君やってくれんか?」
みんな固辞したんです。
これも当たり前かもしれません。はっきり言って、これは汚れ仕事ですよ。成功の確率は少ない。しかも、国鉄改革については怪死事件が立て続けに起きてますからね。引き受けても何もいいことなんかない。
頭のいい人はみんな断りますよ。
でも、亀井さんは引き受けちゃった。
「それじゃ、土光さん。あなたもボクもバカということですか?」
「まぁ、そうだなぁ。ボクも君のバカなんだ、やろうよ」
当時の国鉄の経営がどうなっていたか?
実に借金37兆円ですよ。いまの国家予算の4割ですよ、この額は。ブラジル、メキシコの累積債務ですら28兆円。それより多い。赤字転落がはじまったのは、昭和39年からです。
で、年間売上は3兆3千億円。
売上の10倍の借金を抱えた会社なんて、もう倒産せざるをえませんね。
でも、分割民営化で再建しようと頑張ったんです。
この時、分割民営化に大反対する経営者たちが押し掛けてきます。陳情の形を取りますけどね。
これが車輌製造会社の連中です。
「いまでも国鉄からの発注が減少してるのに、民営化されたら注文がなくなる。だから、民営化しないでくれ」っていうわけですね。
この人たちは立派な経営者ですね。自分の会社のことだけを懸命に考えてるんですから。
でも、日本のことは考えてません。
「それは逆だろう。いま、赤字だから発注したくてもできない。民営化して儲かるようになれば、車両をカラフルにしたり、私鉄とサービスで競争するようになる。発注は増えてくると思うよ」
亀井さんの言う通りになりました。
けど、以来、この経営者たちはだれ一人として挨拶にも来なかったと言います。勝手な人たちですね。
ところで、国鉄再建(分割民営化)の法案が国会に上程される朝、新聞記者が来ます。
「これ、通りますかね?」
「日本にツキがあれば通る。通らなければ、その時は日本のツキが尽きたときだ」
このセリフは千両役者でも敵いませんよ。
国運を信じて仕事をしてきたんですな。自分の力で何とかなる、という仕事ならこんな表現はしませんよ。
「祈ります、恃みます」という仕事。それだけ困難な仕事だったんだ、とわかるでしょ?
250円高。購入はこちら
3「独創力を伸ばす人 伸ばさない人」
軽部征夫著 祥伝社 1300円
著者は東大名誉教授、というよりも、東大最先端技術開発センターを作った人であり、日本のバイオセンサーの第一人者です。いま東京工科大学バイオニクス学部を創設し、先日も朝日新聞に1ページ写真入りでデカデカと広告が出てましたね。
来月、9月10日開催する「キーマンネットワーク定例会」の特別講師でもありますよ。
やっぱりユニークな人ですなぁ。
技術開発の世界で仕事をしていると、日本と欧米の質の違いがはっきりとわかります。
「日本は長期レンジ、欧米は短期レンジで物事を考える」と思いきや、これがまったく逆。日本は短期、欧米は長期に取り組むんですね。
軽部さんが東工大に新任教授として赴任します。このときも42歳で就任するや、年齢的に早すぎる」と学内外で物議を醸したそうですが、ちょうど、イギリスのクランフィールド大学から派遣された学生がいました。
21歳くらいですが、博士課程の最後の研究を軽部さんのところでやろうとしたわけ。
そこで研究テーマに対して、ほかの学生同様、その手順や方法を懇切丁寧に指導したわけ。ところが、この人、ぜんぜん動こうとしないんですね。
日本人なら、テーマが与えられたら、すぐにスタートしますよ。でも、彼はまったくやろうとしない。
で、時々、フラッと訪ねてきては、「教授のアイデアは何に由来しているのか?」「あの装置はどういう原理なのか?」とばかり聞いてくる。やがて頻繁に訪問してくるようになると、今度は、「あなたの方法とは違うけど、こんな方法でわたしはチャレンジしてみたい。知恵を貸してくれ」と言い出す始末。
そこに到るまでに半年過ぎてるわけ。
ところが、これが彼のオレジナリティの源泉なんですね。満を持して取り組むまで、自分独自の研究かどうかを吟味してるんですね。
日本の戦後を支えてきたのは、実は短期促成栽培回収システムであり、こういうオリジナリティを重要視する方法ではありませんでした。だから、「ライバルよりも先に早くカタチにしろ」と発破をかけられる技術者、研究者はたくさんいたはずです。
でも、いま、これに類することがすべて曲がり角に来てるんです。
このスタイルは大学でも同様です。研究者は大学にきた翌日から仕事が待ってます。
もう作業員の一人に組み込まれてしまいます。研究者は組織の一員であって、与えられたテーマを忠実に処理することが求められてきたわけです。
「イギリス人が発見し、アメリカ人が論文に書いて発表し、日本人が製品にする」
こんな「日本人の技術タダ乗り論」が長年、揶揄されてきました。
でも、たとえば、ノーベル賞。その生命科学分野一つとっても、アメリカの研究者数は日本の2倍、研究費はなんと4倍です。2倍の人間が4倍のお金を遣ってるんですから、10年分くらい、水をあけられるのも当然といえば、当然かもしれません。
実は、日本と欧米とでは、子どもの教育方法からしてまったく違います。
そして、それが独創力の開発に与える影響がものすごいんです。
たとえば、彼がアメリカ留学中に、子どもが幼稚園に入りました。行ってビックリ、何カ月経っても一向に授業が始まらないんです。子どもたちは勝手にパラパラと好きなことをしてるだけ。
「高い月謝を払ってるのに、けしからん」と、3カ月目に思い切って文句を言った。
「いったい、どんなカリキュラムで教えてるのか?」
ところが、その回答を聞いて唖然、呆然。ニッコリ笑って、「ノー・カリキュラム」と言うではありませんか。これにはたじろいだそうです。
「カリキュラムなどありません。わたしたちは、その子が何に興味を持つかを見つけるてやるのだ」
7〜8人に1人の教師がついて、子どもたちの間を歩きながら、「それはこうしたら?」とか「こう描いたら」とアドバイスするに徹っするんです。彼らは3〜4歳の子どもに「自分が好きなのは何か?」「自分らしさとは何か?」を発見させることが教育の目的としていたんですね。
自分で自分の個性を発見する。そのサポーターであり、アドバイザーなんです。
その後、日本に帰ってくると、このカルチャーギャップのおかげでトラブルが発生します。
幼稚園の先生から呼び出しを受けたんです。
「おたくのお嬢さん、色盲じゃありませんか?」
どうも、真鯉のお絵かきをするとき、彼女はムラサキ色で描いたらしいんです。みんなは緋鯉は赤、真鯉は黒で描いていた。これが「常識」ですもんね。
でも、この常識は日本の従来の教育における常識ではありませんか?
アメリカ流の教育では、「自分のフィーリングで色を使うこと」が求められますものね。
日本は「偉大なる常識人」という名の平凡人を生み出す仕組みがそこかしこに張り巡らされているようです。製品作り同様、規格外に外れない人間作りののためには最適の教育かもしれません。
でも、こういう教育からはピカソもミケランジェロも生まれないでしょうな、絶対。
みなさん、9月10日の「キーマンネットワーク定例会」、ぜひ参加してね。
300円高。購入はこちら