2016年08月16日「大徳寺聚光院」が特別公開されとります。。。
カテゴリー中島孝志の「日本伝統文化研究会」」
今夜は五山の送り火ですな。墓前で送り火という方多いでしょ。
五山の送り火はBS放送でしか流さないでしょ。夜中のニュースでちらと紹介されるくらいでしょうかね。
さて、先週たまたま京都におったんですが、1日早いか遅ければ聚光院の特別公開を拝見できたようです。物事やっぱタイミングですな。
ま、いずれ拝見すればいいわけで。つうより、去年、原原メンバーは特別に拝見してるわけ。去年の4月13日と22日のブログにもしかと書いてました。
わが原原主宰の「日本伝統文化研究会」つう「講」で「京都怨霊ツアー」てなもんを開催したわけ。花見も舞妓も少々飽きまして。つうか、金沢とか新潟の芸妓を見てるとねえ。ほかに付加価値というか企画しないとつまらないっしょ。
で、ご一緒するSさんから塔頭の住持をご紹介頂きましてね。いつもは非公開の聚光院でお薄とお菓を頂戴した後、国宝とか重文の数々までご案内頂まして感謝感謝でございます。
それがただいま一般公開してるわけ(17年3月26日まで。要予約)。
どうして気づいたかというと、新幹線のホームに上がるエスカレーター乗ってたら、おっきな看板。。。ん? もしかして聚光院? でも、あそこ非公開じゃね? てなわけで、もう一度エスカレーターに乗って確認。
これが大きくどーんとあったわけ。
そうか、そうだったのか・・・。
一般公開してたのね。なにが公開されてるかつうと・・・。
・本堂(重文)
・狩野永徳筆『花鳥図』『琴棋書画図』(いずれも国宝)
・狩野松栄筆『蓮池藻魚図』『瀟湘八景図』『竹虎遊猿図』(いずれも国宝)
・方丈(本堂)庭園「百積の庭」(名勝)
・茶室「閑隠席」「枡床席」(いずれも重文)
・千住博画伯筆 障壁画『滝』
これはミモノですよ。
お薄とお菓子を頂いたのも、住持のお話を承ったのも『滝』のある部屋でした。その後、狩野派の国宝を拝見した時、彩色より水墨画のほうが歴史の風雪に耐える、つうお話を伺ったことを覚えとります。
聚光院は笑嶺宗訴が開山でして、千利休も参禅しとります。その関係か、聚光院にお墓があるわけで。となりますと、三千家の菩提寺になるのも当然。
利休の月命日(28日)には三千家の持ち回りで月釜がかけられます。いつもは観光客はシャットアウト。けど、この日だけはフリー。
利休のお墓にも詣らせて頂きました。
そもそも、お茶は臨済宗の栄西が禅を伝えるとともに肥前の背振山で栽培して『喫茶養生記』を著し、禅とともに興隆します。元々は、最澄と一緒に唐から帰朝した永忠が嵯峨天皇に自ら煎じ奉ったのが広まるきっかけ。いわば、「健康ドリンク」だったわけ。また禅の世界では覚醒剤としての効能もあったと思います。
室町時代になりますと、村田珠光によって茶道として創始されます。この珠光の師匠が一休ですね。
昔、一休寺を訪れたことがあります。自衛隊のそばなのよ。
一休は珠光に対して禅の公案を投げかけます。
「趙州和尚(中国唐代の禅の高僧)に、ある雲水が仏法の大意を訊ねると、趙州は喫茶去(茶を喫んで来なさい)と答えた。この公案をどうみるか」
珠光は黙然としたまま。一休は茶を運ばせて珠光に勧めます。珠光が茶碗を手にのせたとき、怒声とともにその茶碗を叩き落とします。珠光、微動だにせず礼をして座を立つわけ。
玄関へさしかかると、背後から呼びとめます。
「先ほどは茶を喫む心得をきいた。もしその心得を離れ、無心に茶を喫むときの心はどうか」
「柳は緑、花は紅」
一休はにっこり笑って印可を与えます。
柳は緑、花は紅。あったりまえのこってす。あるがまま。無為自然。無心。飾らない心。直心。Let it be・・・。
よけいなこと考えるから疲れるわけでね。もっと自分に正直にならんと。正直になって人を傷つけない。そんな人に私はなりたい。宮沢賢治か!
さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は「『スイス諜報網』の日米終戦工作 前編」(有馬哲夫著・新潮社・1512円)です。
五山の送り火はBS放送でしか流さないでしょ。夜中のニュースでちらと紹介されるくらいでしょうかね。
さて、先週たまたま京都におったんですが、1日早いか遅ければ聚光院の特別公開を拝見できたようです。物事やっぱタイミングですな。
ま、いずれ拝見すればいいわけで。つうより、去年、原原メンバーは特別に拝見してるわけ。去年の4月13日と22日のブログにもしかと書いてました。
わが原原主宰の「日本伝統文化研究会」つう「講」で「京都怨霊ツアー」てなもんを開催したわけ。花見も舞妓も少々飽きまして。つうか、金沢とか新潟の芸妓を見てるとねえ。ほかに付加価値というか企画しないとつまらないっしょ。
で、ご一緒するSさんから塔頭の住持をご紹介頂きましてね。いつもは非公開の聚光院でお薄とお菓を頂戴した後、国宝とか重文の数々までご案内頂まして感謝感謝でございます。
それがただいま一般公開してるわけ(17年3月26日まで。要予約)。
どうして気づいたかというと、新幹線のホームに上がるエスカレーター乗ってたら、おっきな看板。。。ん? もしかして聚光院? でも、あそこ非公開じゃね? てなわけで、もう一度エスカレーターに乗って確認。
これが大きくどーんとあったわけ。
そうか、そうだったのか・・・。
一般公開してたのね。なにが公開されてるかつうと・・・。
・本堂(重文)
・狩野永徳筆『花鳥図』『琴棋書画図』(いずれも国宝)
・狩野松栄筆『蓮池藻魚図』『瀟湘八景図』『竹虎遊猿図』(いずれも国宝)
・方丈(本堂)庭園「百積の庭」(名勝)
・茶室「閑隠席」「枡床席」(いずれも重文)
・千住博画伯筆 障壁画『滝』
これはミモノですよ。
お薄とお菓子を頂いたのも、住持のお話を承ったのも『滝』のある部屋でした。その後、狩野派の国宝を拝見した時、彩色より水墨画のほうが歴史の風雪に耐える、つうお話を伺ったことを覚えとります。
聚光院は笑嶺宗訴が開山でして、千利休も参禅しとります。その関係か、聚光院にお墓があるわけで。となりますと、三千家の菩提寺になるのも当然。
利休の月命日(28日)には三千家の持ち回りで月釜がかけられます。いつもは観光客はシャットアウト。けど、この日だけはフリー。
利休のお墓にも詣らせて頂きました。
そもそも、お茶は臨済宗の栄西が禅を伝えるとともに肥前の背振山で栽培して『喫茶養生記』を著し、禅とともに興隆します。元々は、最澄と一緒に唐から帰朝した永忠が嵯峨天皇に自ら煎じ奉ったのが広まるきっかけ。いわば、「健康ドリンク」だったわけ。また禅の世界では覚醒剤としての効能もあったと思います。
室町時代になりますと、村田珠光によって茶道として創始されます。この珠光の師匠が一休ですね。
昔、一休寺を訪れたことがあります。自衛隊のそばなのよ。
一休は珠光に対して禅の公案を投げかけます。
「趙州和尚(中国唐代の禅の高僧)に、ある雲水が仏法の大意を訊ねると、趙州は喫茶去(茶を喫んで来なさい)と答えた。この公案をどうみるか」
珠光は黙然としたまま。一休は茶を運ばせて珠光に勧めます。珠光が茶碗を手にのせたとき、怒声とともにその茶碗を叩き落とします。珠光、微動だにせず礼をして座を立つわけ。
玄関へさしかかると、背後から呼びとめます。
「先ほどは茶を喫む心得をきいた。もしその心得を離れ、無心に茶を喫むときの心はどうか」
「柳は緑、花は紅」
一休はにっこり笑って印可を与えます。
柳は緑、花は紅。あったりまえのこってす。あるがまま。無為自然。無心。飾らない心。直心。Let it be・・・。
よけいなこと考えるから疲れるわけでね。もっと自分に正直にならんと。正直になって人を傷つけない。そんな人に私はなりたい。宮沢賢治か!
さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は「『スイス諜報網』の日米終戦工作 前編」(有馬哲夫著・新潮社・1512円)です。