2016年10月09日「怒り」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「怒り」ねえ。怒りつうのは、奇妙なようですけど、これはこれでコミュニケーションの1つでしょ。怒ることで他人=社会と繋がってるわけですからね。
でも、他人=社会と断絶した「怒り」つうのもあるわけでね。もしかすっと、この映画に登場する人たちってほとんどがそうかもしれませんな。「ほとんど」つう意味は「全部」じゃないわけ。ま、それは映画とくにラストシーンを見ればわかるわけで。。。
こんなに絶望的にくっっっらぁぁぁぁい映画も久方ぶりですよ。『血と骨』とか『セブン』『レクター博士もの』以来かな。基本、ビビリなんでね。
先週、東京原原がありましてね。実は1つ質問を忘れちゃったのよ。なんたって東京は2時間しかないので早回し。30分も「まくら」話してかんね。
質問したかったのは単純なことなの。「生」の反対語はなにか?
開始30分前に「小千谷市片貝の花火大会」と「長崎の精霊花火大会」をご覧頂いたので、やめりゃいいのに、「拝火教(ゾロアスター教)」についてついつい話してしまいました。ご案内の通り、拝火教は仏教そして仏教の源流であるバラモン教、ヒンヅー教、シーク教、ジャイナ教からキリスト教、ユダヤ教まで影響してます。
真言密教の護摩焚き、神道の火焚き祭なんてのはまさに拝火教の祭祀そのもの。花火があがるたびに「鍵屋ーー」「玉屋ーー」つうのも、これ、江戸の花火屋さんの屋号つうより、元々はお稲荷さんのことですからね(伏見稲荷大社に詣らなくても、どこかの稲荷神社でお狐さんを見れば氷解しますよ)。
今週は水曜から名古屋原原。大阪入り前に伏見稲荷に寄って3時間ほど登ってこよっかな。もうそんなに暑くないっしょ。京都駅からJRなら2つめ。晴れてりゃ京都市内が一望できます。東福寺まで歩いてすぐ。紅葉には早過ぎますけど。ブームの若冲の墓は隣の石峰寺。残念ながら「若冲五百羅漢」は撮影できませんけどね。
去年3回。今年2回目。
で、拝火教は善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マイニュが交互に世の中を支配し、最終的には善神が悪神を倒す、つう段取りなわけ。
悪神と善神つう二元論。砂漠宗教には珍しく多神教なわけよ。面白いのは、善と悪をどう考えるかなんですけど、善だけを貫徹できればいいけどね。そんな人間なんていないでしょ。ジャイナ教徒なんて生きるための動植物を糧にしなけりゃならない。だから、臨終には即身成仏、餓死をプログラムしてるわけでね。
罪と罰だわな。
悪が目立つのはどういう世界かというと、悪が蔓延した末法の世ではありませんよ。善に満たされた世界だからこそ小さな悪でも目立つわけでしょ。
光は闇が深ければ深いほど輝くわけでね。
不思議なことに、光を求める人ばかり。拝火教にしても善神は多数ですけど、悪神は1つだもん。
「大日如来」にしても「毘盧遮那仏(「光明遍照」を意味するサンスクリット語)にしても、「光」なわけ。でも、この「光」を「光」とするのは「闇」あればこそなのよ。昼日中でも月と星はありますよ。太陽がまぶしくて月も星も見えないだけ。
小さな光でも見えるのは闇が深いからです。
「おまえは大切なモノが多すぎる。ホントに大切なモノはだんだん減っていくんだ」
この映画の内容は。。。ま、野暮なことはやめましょう。
渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、ピエール瀧、高畑充希、宮崎あおい、妻夫木聡(敬称略)等々、日本演劇界のオールスターが揃い踏みですよ。どれだけ脚本がいいかわかろうっつうもの。
しっかし、絶望的に暗い作品です。怒りには、夢と希望のある怒りもあれば、夢も希望もない怒りもあります。あのね、後者はだれも受け取ってくれない怒りではないのよ。怒りたくても怒れない。怒っても爆発できず押し殺すしかない怒り。
だから、絶望的なの。爆発すればガス抜きもできるけど、いつまで経っても消えずにメラメラ燃え続けているような怒り。臨界点に達すると精神を破壊してしまう。
この映画。暗くて暗くて窒息しそうになったけど、松ケンと宮崎あおいさん演じる最底辺の若い恋人に救われたなあ。
1人でもとことん信じてくれる人がいる。人って強いようで弱いからね。だから、私ゃ、「自分を励ませる人がいちばん偉い」って何回も本で繰り返してるわけでね。自分で自分を信じなくちゃならんのだけど、その自分がいちばん最初に自分を信じてあげなかったりするわけさ。
自分すら信じていない自分を、あの人だけは無条件で信じてくれる。心の余裕が「居場所」を産むのよ。「怒り」の反対語は「信頼」とか「愛」なのかもしれないね。そうそう、「生」の反対語はなんやろ?
劇薬ですな、この映画。
でも、他人=社会と断絶した「怒り」つうのもあるわけでね。もしかすっと、この映画に登場する人たちってほとんどがそうかもしれませんな。「ほとんど」つう意味は「全部」じゃないわけ。ま、それは映画とくにラストシーンを見ればわかるわけで。。。
こんなに絶望的にくっっっらぁぁぁぁい映画も久方ぶりですよ。『血と骨』とか『セブン』『レクター博士もの』以来かな。基本、ビビリなんでね。
先週、東京原原がありましてね。実は1つ質問を忘れちゃったのよ。なんたって東京は2時間しかないので早回し。30分も「まくら」話してかんね。
質問したかったのは単純なことなの。「生」の反対語はなにか?
開始30分前に「小千谷市片貝の花火大会」と「長崎の精霊花火大会」をご覧頂いたので、やめりゃいいのに、「拝火教(ゾロアスター教)」についてついつい話してしまいました。ご案内の通り、拝火教は仏教そして仏教の源流であるバラモン教、ヒンヅー教、シーク教、ジャイナ教からキリスト教、ユダヤ教まで影響してます。
真言密教の護摩焚き、神道の火焚き祭なんてのはまさに拝火教の祭祀そのもの。花火があがるたびに「鍵屋ーー」「玉屋ーー」つうのも、これ、江戸の花火屋さんの屋号つうより、元々はお稲荷さんのことですからね(伏見稲荷大社に詣らなくても、どこかの稲荷神社でお狐さんを見れば氷解しますよ)。
今週は水曜から名古屋原原。大阪入り前に伏見稲荷に寄って3時間ほど登ってこよっかな。もうそんなに暑くないっしょ。京都駅からJRなら2つめ。晴れてりゃ京都市内が一望できます。東福寺まで歩いてすぐ。紅葉には早過ぎますけど。ブームの若冲の墓は隣の石峰寺。残念ながら「若冲五百羅漢」は撮影できませんけどね。
去年3回。今年2回目。
で、拝火教は善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マイニュが交互に世の中を支配し、最終的には善神が悪神を倒す、つう段取りなわけ。
悪神と善神つう二元論。砂漠宗教には珍しく多神教なわけよ。面白いのは、善と悪をどう考えるかなんですけど、善だけを貫徹できればいいけどね。そんな人間なんていないでしょ。ジャイナ教徒なんて生きるための動植物を糧にしなけりゃならない。だから、臨終には即身成仏、餓死をプログラムしてるわけでね。
罪と罰だわな。
悪が目立つのはどういう世界かというと、悪が蔓延した末法の世ではありませんよ。善に満たされた世界だからこそ小さな悪でも目立つわけでしょ。
光は闇が深ければ深いほど輝くわけでね。
不思議なことに、光を求める人ばかり。拝火教にしても善神は多数ですけど、悪神は1つだもん。
「大日如来」にしても「毘盧遮那仏(「光明遍照」を意味するサンスクリット語)にしても、「光」なわけ。でも、この「光」を「光」とするのは「闇」あればこそなのよ。昼日中でも月と星はありますよ。太陽がまぶしくて月も星も見えないだけ。
小さな光でも見えるのは闇が深いからです。
「おまえは大切なモノが多すぎる。ホントに大切なモノはだんだん減っていくんだ」
この映画の内容は。。。ま、野暮なことはやめましょう。
渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、ピエール瀧、高畑充希、宮崎あおい、妻夫木聡(敬称略)等々、日本演劇界のオールスターが揃い踏みですよ。どれだけ脚本がいいかわかろうっつうもの。
しっかし、絶望的に暗い作品です。怒りには、夢と希望のある怒りもあれば、夢も希望もない怒りもあります。あのね、後者はだれも受け取ってくれない怒りではないのよ。怒りたくても怒れない。怒っても爆発できず押し殺すしかない怒り。
だから、絶望的なの。爆発すればガス抜きもできるけど、いつまで経っても消えずにメラメラ燃え続けているような怒り。臨界点に達すると精神を破壊してしまう。
この映画。暗くて暗くて窒息しそうになったけど、松ケンと宮崎あおいさん演じる最底辺の若い恋人に救われたなあ。
1人でもとことん信じてくれる人がいる。人って強いようで弱いからね。だから、私ゃ、「自分を励ませる人がいちばん偉い」って何回も本で繰り返してるわけでね。自分で自分を信じなくちゃならんのだけど、その自分がいちばん最初に自分を信じてあげなかったりするわけさ。
自分すら信じていない自分を、あの人だけは無条件で信じてくれる。心の余裕が「居場所」を産むのよ。「怒り」の反対語は「信頼」とか「愛」なのかもしれないね。そうそう、「生」の反対語はなんやろ?
劇薬ですな、この映画。