2017年01月17日人生を決めるのは出逢い運かもしれませんなあ。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
「1曲目は歌に歌手がぶら下がり、2曲目は歌と歌手が等しくなり、3曲目は歌手が歌を引っ張る」
歌手の世界にはこんな言葉があるそうですね。
歴史に「もしも」という言葉は禁句ですけど、私たちの人生を考えるとき、「もしも出逢えていなかったら」という運が大きくものを言うことに気づきますね。
五木ひろしさんのヒット曲「千曲川(山口洋子作詞・猪俣公章作曲)」は詞よりも曲が先にできていたそうです。元もとはほかの女性歌手に書いた曲を、作詞の山口さんが聞くや、イメージが湧いてきて、結果、五木さんが歌うことになったとか。
「紅白歌合戦のトリにふさわしい歌ができた」と喜んだそうですが、女性歌手の身になれば、まいったなあ、と残念がっていたでしょうね。
運不運は紙一重。この世界には、努力や才能だけでは通用しない次元があることに怖さを覚えます。
「努力もしましたがやっぱり出逢い運が良かったからです」
成功する人は謙虚なのではなくて、事実を語ってるにすぎないと思うんですね。
けど、「出逢い運」を呼び込む資質てのはやはりあるようで、その人に備わった天分ではないかしらん。つまり、出逢い運がすり寄ってくる「何か」を持ってるわけですよ。
いま、実は神保町の喫茶店でピコピコ書いてるわけですが、目の前は岩波書店です。
創業者は岩波茂雄。信州諏訪の男ですよね。この版元、「初代に名門無し」という通り、元もとは吹けば飛ぶような古本屋だったんですよ。
当時も今も大スター作家の夏目漱石との「出逢い運」で急成長するわけです。
漱石門下には多くの天才、秀才、異才がいましたが、最古参格の門下生に安倍能成という人間がいました。後の学習院院長ですよ。で、彼の縁で漱石とのお目通りがかなうようになりますと、思い切って、いま新聞に連載している小説を出版させてくれないか、と頼みこむわけね。
もちろん漱石ですから大手から引く手数多ですよ。なにより古本屋に任せるなんてしませんよ・・・普通はね。
けど、あまりにもしつこいのでとうとう許しちゃうわけ。話を聴くと、金がないので出版費用まで漱石に貸して欲しい、というんですから、厚かましいにもほどがありますよね。
おもしろいのは漱石です。
「全額出そう。装幀も自分でやろう。ただし売上は折半だ」
これね、なかなか凄い判断ですよ。というのも、どんな文豪でも印税は売上の1割なんです。ところが折半なら5倍儲かるわけでしょ。
たいした商売人です。
で、この記念すべき初刊行本が名作『こころ』なんですね。「1冊目は作家にぶら下がり」の典型かもしれませんな。
漱石が岩波をエコ贔屓したのは、岩波が誇れるものは熱意しかない若造だったからではないか、と思うんですね。
「この若いヤツ、おもしろいから育ててやるか」
大物にはそんな気概がありますから。
私ごとで恐縮ですけど、大昔、会社に勤めながら、26歳のときから一流企業の経営者たちをゲストに、毎月、手弁当で勉強会を開催してきたんですね。
ゲストはご縁だけでお招きしましたが、講演料は一度も支払いませんでした。だって、お金ないもん。でも、引き受けてくれるわけですから、こちらも不思議で不思議でなりません。で、まじまじと訊いたことがあるんです。
「先にいる人は後から来る人に教えてあげる義務がある」
「お礼するなら君の後から来る人にすることだ」
かっこいいじゃないの。ああ、そうか、漱石と岩波の関係なのか、と感じ入ったことを覚えています。
大切なことは、若さが武器になると自覚することですよ。そして若さというのは年齢ではなくて精神的な若さ、ということではないかなあ。
物怖じせず、ダメ元で挑戦してこその若さ・・・かな。
「Take a leap of faith.」
いざとなったら、目をつぶって跳ぶしかないんです。計算尽くで人生が動くはずがありませんもの。
「出逢い運」の女神てのは、じっとしてる人より、失敗続きであちこち頭をぶつけながら汗を流して走り回ってる人が好きなのかもしれません。
さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は「京女の嘘 後編」(井上章一著・864円・PHP研究所)です。
歌手の世界にはこんな言葉があるそうですね。
歴史に「もしも」という言葉は禁句ですけど、私たちの人生を考えるとき、「もしも出逢えていなかったら」という運が大きくものを言うことに気づきますね。
五木ひろしさんのヒット曲「千曲川(山口洋子作詞・猪俣公章作曲)」は詞よりも曲が先にできていたそうです。元もとはほかの女性歌手に書いた曲を、作詞の山口さんが聞くや、イメージが湧いてきて、結果、五木さんが歌うことになったとか。
「紅白歌合戦のトリにふさわしい歌ができた」と喜んだそうですが、女性歌手の身になれば、まいったなあ、と残念がっていたでしょうね。
運不運は紙一重。この世界には、努力や才能だけでは通用しない次元があることに怖さを覚えます。
「努力もしましたがやっぱり出逢い運が良かったからです」
成功する人は謙虚なのではなくて、事実を語ってるにすぎないと思うんですね。
けど、「出逢い運」を呼び込む資質てのはやはりあるようで、その人に備わった天分ではないかしらん。つまり、出逢い運がすり寄ってくる「何か」を持ってるわけですよ。
いま、実は神保町の喫茶店でピコピコ書いてるわけですが、目の前は岩波書店です。
創業者は岩波茂雄。信州諏訪の男ですよね。この版元、「初代に名門無し」という通り、元もとは吹けば飛ぶような古本屋だったんですよ。
当時も今も大スター作家の夏目漱石との「出逢い運」で急成長するわけです。
漱石門下には多くの天才、秀才、異才がいましたが、最古参格の門下生に安倍能成という人間がいました。後の学習院院長ですよ。で、彼の縁で漱石とのお目通りがかなうようになりますと、思い切って、いま新聞に連載している小説を出版させてくれないか、と頼みこむわけね。
もちろん漱石ですから大手から引く手数多ですよ。なにより古本屋に任せるなんてしませんよ・・・普通はね。
けど、あまりにもしつこいのでとうとう許しちゃうわけ。話を聴くと、金がないので出版費用まで漱石に貸して欲しい、というんですから、厚かましいにもほどがありますよね。
おもしろいのは漱石です。
「全額出そう。装幀も自分でやろう。ただし売上は折半だ」
これね、なかなか凄い判断ですよ。というのも、どんな文豪でも印税は売上の1割なんです。ところが折半なら5倍儲かるわけでしょ。
たいした商売人です。
で、この記念すべき初刊行本が名作『こころ』なんですね。「1冊目は作家にぶら下がり」の典型かもしれませんな。
漱石が岩波をエコ贔屓したのは、岩波が誇れるものは熱意しかない若造だったからではないか、と思うんですね。
「この若いヤツ、おもしろいから育ててやるか」
大物にはそんな気概がありますから。
私ごとで恐縮ですけど、大昔、会社に勤めながら、26歳のときから一流企業の経営者たちをゲストに、毎月、手弁当で勉強会を開催してきたんですね。
ゲストはご縁だけでお招きしましたが、講演料は一度も支払いませんでした。だって、お金ないもん。でも、引き受けてくれるわけですから、こちらも不思議で不思議でなりません。で、まじまじと訊いたことがあるんです。
「先にいる人は後から来る人に教えてあげる義務がある」
「お礼するなら君の後から来る人にすることだ」
かっこいいじゃないの。ああ、そうか、漱石と岩波の関係なのか、と感じ入ったことを覚えています。
大切なことは、若さが武器になると自覚することですよ。そして若さというのは年齢ではなくて精神的な若さ、ということではないかなあ。
物怖じせず、ダメ元で挑戦してこその若さ・・・かな。
「Take a leap of faith.」
いざとなったら、目をつぶって跳ぶしかないんです。計算尽くで人生が動くはずがありませんもの。
「出逢い運」の女神てのは、じっとしてる人より、失敗続きであちこち頭をぶつけながら汗を流して走り回ってる人が好きなのかもしれません。
さて、今日の「通勤快読」でご紹介する本は「京女の嘘 後編」(井上章一著・864円・PHP研究所)です。