2017年11月03日旅と宿。。。
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
♪浴衣の君はぁぁぁ ススキのかんざしぃぃ
熱燗とっくりぃぃの くびつかんでぇぇぇ♪
これは旅の宿。三連休だそうですね、巷は。こういう時、私は仕事の真っ最中なんすよ。いま取り組んでるのは英会話本。私、自慢じゃないけど、ま、自慢なんすけど、英会話本でミリオンセラーをプロデュースしてますからね。こうつくれば売れる、つうのはわかるんです。
で、顧問先の版元からは英語本でなんかないですか、といっつも聞かれるわけ。みなさんわかってる。当たるとでかいって。だから、どこも英語本、英会話本の企画に飢えてるわけ。
けどさ、そんなに簡単に閃きませんよ。しかたなくかつてのミリオンの二番煎じをやってみたけどダメ。そんなに甘くないっす。
いま、英語本をプロデュースしてましてね。この企画は英語の達人をプロデュースするために仕掛けてるんですけど、なんだかんだといろいろ考えてたら、「あ、これだ!」「これならいける!」とミリオンを仕掛けた時の感触が蘇ってきました。
これは私がやろう! なんでかつうとふつうの本ではないから。かなりぶっ飛んだ企画なのよ。だから。
閑話休題。
旅と宿。つうか、旅の宿。といえば、宮本常一でしょ。かつて、ハマのバーで「読書会」やりましたね。南方熊楠と並ぶ民俗学者宮本常一について2時間では終わらず、焼き肉屋だったか2軒目のバーだったか、結局、6時間ほど講義してしまいましたけどね。
この人の傑作に「日本の宿」つうのがあるわけ。久しぶりに読みましたよ。
さすがに面白い! 何度も復刻されてる名著です。「通勤快読」でもいずれご紹介しますけど。やっぱ民俗学者の旅ってのはこうしてるんだ、つうのが自然に伝わってきますね。
宮本常一の旅をイメージしてもらうなら、芭蕉の旅かもしれません。
旅の主役は旅人ですけど、それだけでは終わらない。旅人はゲストですから。つまり、受け入れ側=宿の人=キャストもいるわけ。で、ゲストとキャストをリンクさせるのはだれか? エージェントです。
日本初のキャストは「御師」ですわな。まあ、伊勢とか大山が有名ですけどね。
宮本常一は面白いこと言ってましてね。「旅に出ろ。旅に学べ。旅に出なければ本を読め」とね。outer tripなのか、それともinner tripなのか。その違いなんでしょうな。
宮本常一の弟子に神崎宣武つう人がいます。この人が若い頃、宮本常一に叱られてトイレで泣いた、と語ってます。生涯一度の悔し泣きだったそうですけどね。
実は、これこそ旅の本質なんですよ。いい師匠ですな。弟子は悔しがらなければいかんですよ。「もう君とは二度と仕事しない!」と激怒されたんですからね。
どういうことかつうと、テーマは「日本の宿研究」。フィールドワークで神崎さんは西日本を担当したわけ。山陽道をひたすら歩いた。何カ月も歩いた。そして本陣等に飛び込んでは話を聞いた。
本陣つうのは宿は宿でも大名が泊まるとこ。街道でも格式あるとこ。ひたすらフィールドワークをして論文にまとめた。そして激怒された。
理由? これが旅の本質なんですよ。
「君はすべて表玄関から入り、すべて表玄関から出て行った。いったいなにを見てきたのか!」
わかります? 民俗学は行間を読む仕事です。だれも語りたがらないことを聞き出す。見栄とウソと秘密を人間力と洞察力で読み取る。それができなければダメ。エリートではできません。ド田舎の年寄りたちに胸襟を開いてもらえるキャラじゃないと。
論文を読めばどんなフィールドワークをしてるか透けて見えます。ああ、こついは上っ面しかとらえてない。
本陣は武士それも大名が泊まるとこです。参勤交代なんぞもそうですね。
どうして本陣と呼ばれるのか? 旅の途中でも、いざとなれば、そこが戦の基地になる。殿が指揮する処になるから本陣。
つうことは、本陣となる宿に急襲を仕掛けられたとき、逃げられるルートと手段が必ず講じられてるわけ。裏に堀割があるとか舟がつないであるとかね。こんなことは表玄関では絶対つかめません。
いちばん大切な情報ってのは表にはないんです。いまも昔も、政治も経済も投資もそう。いちばん大切なことは目には見えない処にあるの。『星の王子様』でもキツネがそう教えてくれたでしょ。
そこを見落とした。「君とは二度と仕事しない」。ありがたい師匠ですな。
「同じ話を少なくとも3人から聞け!」
「じいさんではなくばあさんから聞け」
男は見栄ばかりで自分が恥になることは絶対しゃべらない。自分の都合がいいように加工しちゃうからね。そんなものを信用するな。真実をつかむには本音で語るばあさんから聞き出せ。こんなことは本人が何度も失敗してつかんだ極意でしょうな。
旅があるから宿がある。宿があるから旅がある。
万葉集も旅を詠ったものがたくさんありますよね。芭蕉の「奥の細道」は旅そのものです。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり」
さあて、この三連休、私は仕事です。みなさんは旅ですか。。。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
芭蕉、死の4日前の句でしてね、「辞世の句」なんて理解されてますけど、違うっしょ。夢見る人は死なんて考えません。生きてるから夢見るわけでね。夢があるから生きてるわけで。ああもしたい、こうもしたい、と次から次へとふくらんでるわけで。まえのめりで生きてるのよ。
浮かんでは消え、浮かんでは消え、最期の最期は走馬燈のように今世の映像が流れる、と聞きますけど、諦観なんてそんなさっぱりしたものではなくて、生身の人間がもだえる姿が伝わってきますよ。
思えば遠くに来たもんだ、つう旅をしなくちゃ。せっかく生まれてきたんだから。
熱燗とっくりぃぃの くびつかんでぇぇぇ♪
これは旅の宿。三連休だそうですね、巷は。こういう時、私は仕事の真っ最中なんすよ。いま取り組んでるのは英会話本。私、自慢じゃないけど、ま、自慢なんすけど、英会話本でミリオンセラーをプロデュースしてますからね。こうつくれば売れる、つうのはわかるんです。
で、顧問先の版元からは英語本でなんかないですか、といっつも聞かれるわけ。みなさんわかってる。当たるとでかいって。だから、どこも英語本、英会話本の企画に飢えてるわけ。
けどさ、そんなに簡単に閃きませんよ。しかたなくかつてのミリオンの二番煎じをやってみたけどダメ。そんなに甘くないっす。
いま、英語本をプロデュースしてましてね。この企画は英語の達人をプロデュースするために仕掛けてるんですけど、なんだかんだといろいろ考えてたら、「あ、これだ!」「これならいける!」とミリオンを仕掛けた時の感触が蘇ってきました。
これは私がやろう! なんでかつうとふつうの本ではないから。かなりぶっ飛んだ企画なのよ。だから。
閑話休題。
旅と宿。つうか、旅の宿。といえば、宮本常一でしょ。かつて、ハマのバーで「読書会」やりましたね。南方熊楠と並ぶ民俗学者宮本常一について2時間では終わらず、焼き肉屋だったか2軒目のバーだったか、結局、6時間ほど講義してしまいましたけどね。
この人の傑作に「日本の宿」つうのがあるわけ。久しぶりに読みましたよ。
さすがに面白い! 何度も復刻されてる名著です。「通勤快読」でもいずれご紹介しますけど。やっぱ民俗学者の旅ってのはこうしてるんだ、つうのが自然に伝わってきますね。
宮本常一の旅をイメージしてもらうなら、芭蕉の旅かもしれません。
旅の主役は旅人ですけど、それだけでは終わらない。旅人はゲストですから。つまり、受け入れ側=宿の人=キャストもいるわけ。で、ゲストとキャストをリンクさせるのはだれか? エージェントです。
日本初のキャストは「御師」ですわな。まあ、伊勢とか大山が有名ですけどね。
宮本常一は面白いこと言ってましてね。「旅に出ろ。旅に学べ。旅に出なければ本を読め」とね。outer tripなのか、それともinner tripなのか。その違いなんでしょうな。
宮本常一の弟子に神崎宣武つう人がいます。この人が若い頃、宮本常一に叱られてトイレで泣いた、と語ってます。生涯一度の悔し泣きだったそうですけどね。
実は、これこそ旅の本質なんですよ。いい師匠ですな。弟子は悔しがらなければいかんですよ。「もう君とは二度と仕事しない!」と激怒されたんですからね。
どういうことかつうと、テーマは「日本の宿研究」。フィールドワークで神崎さんは西日本を担当したわけ。山陽道をひたすら歩いた。何カ月も歩いた。そして本陣等に飛び込んでは話を聞いた。
本陣つうのは宿は宿でも大名が泊まるとこ。街道でも格式あるとこ。ひたすらフィールドワークをして論文にまとめた。そして激怒された。
理由? これが旅の本質なんですよ。
「君はすべて表玄関から入り、すべて表玄関から出て行った。いったいなにを見てきたのか!」
わかります? 民俗学は行間を読む仕事です。だれも語りたがらないことを聞き出す。見栄とウソと秘密を人間力と洞察力で読み取る。それができなければダメ。エリートではできません。ド田舎の年寄りたちに胸襟を開いてもらえるキャラじゃないと。
論文を読めばどんなフィールドワークをしてるか透けて見えます。ああ、こついは上っ面しかとらえてない。
本陣は武士それも大名が泊まるとこです。参勤交代なんぞもそうですね。
どうして本陣と呼ばれるのか? 旅の途中でも、いざとなれば、そこが戦の基地になる。殿が指揮する処になるから本陣。
つうことは、本陣となる宿に急襲を仕掛けられたとき、逃げられるルートと手段が必ず講じられてるわけ。裏に堀割があるとか舟がつないであるとかね。こんなことは表玄関では絶対つかめません。
いちばん大切な情報ってのは表にはないんです。いまも昔も、政治も経済も投資もそう。いちばん大切なことは目には見えない処にあるの。『星の王子様』でもキツネがそう教えてくれたでしょ。
そこを見落とした。「君とは二度と仕事しない」。ありがたい師匠ですな。
「同じ話を少なくとも3人から聞け!」
「じいさんではなくばあさんから聞け」
男は見栄ばかりで自分が恥になることは絶対しゃべらない。自分の都合がいいように加工しちゃうからね。そんなものを信用するな。真実をつかむには本音で語るばあさんから聞き出せ。こんなことは本人が何度も失敗してつかんだ極意でしょうな。
旅があるから宿がある。宿があるから旅がある。
万葉集も旅を詠ったものがたくさんありますよね。芭蕉の「奥の細道」は旅そのものです。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり」
さあて、この三連休、私は仕事です。みなさんは旅ですか。。。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
芭蕉、死の4日前の句でしてね、「辞世の句」なんて理解されてますけど、違うっしょ。夢見る人は死なんて考えません。生きてるから夢見るわけでね。夢があるから生きてるわけで。ああもしたい、こうもしたい、と次から次へとふくらんでるわけで。まえのめりで生きてるのよ。
浮かんでは消え、浮かんでは消え、最期の最期は走馬燈のように今世の映像が流れる、と聞きますけど、諦観なんてそんなさっぱりしたものではなくて、生身の人間がもだえる姿が伝わってきますよ。
思えば遠くに来たもんだ、つう旅をしなくちゃ。せっかく生まれてきたんだから。