2019年06月19日「通勤快読」をオープンします。。。
忘れないうちに(その1)・・・SOX指数が跳ねてますな。朝から景気がいいっすよ。FOMCの利下げ示唆期待。そして米中電話会談が好感されてるんでしょうな。
忘れないうちに(その2)・・・深夜 「3分でわかる!チャートたっぷり!中島孝志の『経済教室』 を配信しています。テーマは 『独り勝ちのアメリカ経済!だれも知らない!「利下げで暴落条件が整う」という摩訶不思議!』 です。
●「聴く!通勤快読」「読む&見る!通勤快読」を公開します。サイト左右に「聴く!通勤快読」と「読む!通勤快読」のサイトがありますんでクリックよろしくです。
月曜配信の『万葉集のこころ 日本語のこころ 前編』(渡部昇一著・WAC)を披露します。
・・・・・引用始まり・・・・・
昔の人は漢語も盛んに勉強したようですが、同時に和語、とくに和歌の勉強もよくしたらしいですね。
「らしいですね」というのは、私の時代にはもう和歌とか漢語の勉強時間はなくなっていたからです。
戦前から終戦直後まで「旧制高校」がありました。
義兄は弁護士ですが、なにを思ったのか、「旧制高校」とくに五高と七高との戦前最後の野球大会に材をとった映画制作にのめりこんだことがあります。
もう10年以上前のことですが、三国蓮太郎さんが主役をつとめてくれ、そこそこヒット作になりました。
五高にしても七高にしても、いったいなんのこっちゃ、と思う人が多いでしょうね。
一高、二高、三高というようにナンバーが振られた高校です。いまでいえば大学の教養課程。旧制高校を経て東京帝国大学なり京都帝国大学に進むわけですから優秀だったと思います。
旧制高校では語学をしっかりたたき込まれます。語学は外国人が担当していました。厳しくて落第する人も多かったようです。
大学の専門課程では外国の文献をたくさん読まなければならないので、戦前の日本では英語、ドイツ語、フランス語は必須。
同時に教養としての漢語がありました。そしてさらに日本の正式な歴史書として『日本書紀』そして『古事記』日本精神の粋が詰まった『和歌』は必須だったのです。
和魂洋才です。
「英数国漢。英語、数学、国語、漢文と言って、漢文は高等学校(旧制)以上の学校に入るための入学試験においては、4大主要課目の1つだった」(12頁)
旧制高校生たちの漢語は「寮歌」によく現れていますよ。
たとえば、日本中から優秀な学生を集めていた旧制第一高等学校=一高の寮歌は有名です。私も高校時代よく歌っていました。いまでも一高、三高、四高、五高、七高、旅順高等学校の寮歌は歌えます。
旅順高校の寮歌は「♪北帰行」というタイトルで知られています。なかなかいい歌ですよ。小林旭さんがよく歌ってました。たしか日活映画「渡り鳥シリーズ」でも歌っていたはずです。
さて、一高寮歌です。
♪ああ玉杯に花うけて
緑酒に月の影やどし
治安の夢に耽りたる
栄華の巷低く見て
向が丘にそそり立つ
五寮の健児
意気高し♪
ものすごいエリート意識ぷんぷんです。国を引っ張る意識満々です。いまの高校生、大学生にこれほど高い意識と自覚があるかどうか疑問です。
「寮歌には実に外来語が多い。漢字を抜いてしまったら、あんまり残りがなくなってしまう。チンプンカンプンだ」(30頁)
漢語が多いですねー。いまでも、小学校、中学校、高校と進むに従って「校歌」漢字が多くなるのではないでしょうか。
「戦前の小学生たちが必ず唄わされた歌に四大節の歌がある。1月1日(元旦、四方拝)、2月11日の紀元節(今の建国記念の日)、4月29日の天長節(今の昭和の日=昭和天皇御誕生の日)、そして11月3日の明治節(今の文化の日=明治天皇の御誕生日)」(12頁)
「1月1日」という歌はご存じでしょう。
♪年の初めの 例しとて
終なき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ♪
作詞は千家尊福です。この人は出雲大社宮司にして、神道大社教管長(初代)、元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)、東京鉄道株式会社社長など歴任・・・というより、出雲大社の宮司を「千家家」で独占させた人として私は認識してます。「北島家」と交代でつとめていたんですよ。
この「1月1日」という歌にも漢語は1つもありません。「松竹」を「マツタケ」と読めば大和言葉です。
渡部先生はおもしろい体験談を披露しています。
「新進言語学者の某君が結婚した。彼を励ますパーティが開かれた。そこにシェイクスピア学者であり演劇人であり、マキュベリに関する著作も出しておられた安西徹雄という人が、歌とギター、フルートが上手であることは以前から知っていたが、ポップスを披露した」
2曲ありまして、「白いブランコ」と「さよならをするために」という歌です。後者の作詞は石坂浩二さんですね。インテリですからわかっていて和語のみを使ったのではないでしょうか。
どちらもビリー・バンバンが歌いました。フォーク・ソングであり、ポップスですよ。
脱線しますけど、ビリー・バンバンて元々、3人組だったんですよ。いまは兄弟デュオですけど、もう1人のメンバーだれか知ってます? ついでにいうと、兄弟は兄弟でも次男と三男のデュオですからね。
歌詞は寮歌とはニュアンスがぜんぜん違います。堅くありません。柔らかいです。
実は、こういう歌詞はたくさんあります。寺山修二作詞でカルメン・マキさんの大ヒット曲「♪時には母のない子のように」がそうですね。ご関心のある方は調べてみてください。
寺山修司なら私は「♪毛皮のマリー」と「♪浜昼顔」が好きですけどね。
「♪時には・・・」ですが、たった1語だけ漢語が使われています。どれか調べてみてください。なるほどなーと感動しますから。
・・・・・引用終わり・・・・・
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忘れないうちに(その2)・・・深夜 「3分でわかる!チャートたっぷり!中島孝志の『経済教室』 を配信しています。テーマは 『独り勝ちのアメリカ経済!だれも知らない!「利下げで暴落条件が整う」という摩訶不思議!』 です。
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月曜配信の『万葉集のこころ 日本語のこころ 前編』(渡部昇一著・WAC)を披露します。
・・・・・引用始まり・・・・・
昔の人は漢語も盛んに勉強したようですが、同時に和語、とくに和歌の勉強もよくしたらしいですね。
「らしいですね」というのは、私の時代にはもう和歌とか漢語の勉強時間はなくなっていたからです。
戦前から終戦直後まで「旧制高校」がありました。
義兄は弁護士ですが、なにを思ったのか、「旧制高校」とくに五高と七高との戦前最後の野球大会に材をとった映画制作にのめりこんだことがあります。
もう10年以上前のことですが、三国蓮太郎さんが主役をつとめてくれ、そこそこヒット作になりました。
五高にしても七高にしても、いったいなんのこっちゃ、と思う人が多いでしょうね。
一高、二高、三高というようにナンバーが振られた高校です。いまでいえば大学の教養課程。旧制高校を経て東京帝国大学なり京都帝国大学に進むわけですから優秀だったと思います。
旧制高校では語学をしっかりたたき込まれます。語学は外国人が担当していました。厳しくて落第する人も多かったようです。
大学の専門課程では外国の文献をたくさん読まなければならないので、戦前の日本では英語、ドイツ語、フランス語は必須。
同時に教養としての漢語がありました。そしてさらに日本の正式な歴史書として『日本書紀』そして『古事記』日本精神の粋が詰まった『和歌』は必須だったのです。
和魂洋才です。
「英数国漢。英語、数学、国語、漢文と言って、漢文は高等学校(旧制)以上の学校に入るための入学試験においては、4大主要課目の1つだった」(12頁)
旧制高校生たちの漢語は「寮歌」によく現れていますよ。
たとえば、日本中から優秀な学生を集めていた旧制第一高等学校=一高の寮歌は有名です。私も高校時代よく歌っていました。いまでも一高、三高、四高、五高、七高、旅順高等学校の寮歌は歌えます。
旅順高校の寮歌は「♪北帰行」というタイトルで知られています。なかなかいい歌ですよ。小林旭さんがよく歌ってました。たしか日活映画「渡り鳥シリーズ」でも歌っていたはずです。
さて、一高寮歌です。
♪ああ玉杯に花うけて
緑酒に月の影やどし
治安の夢に耽りたる
栄華の巷低く見て
向が丘にそそり立つ
五寮の健児
意気高し♪
ものすごいエリート意識ぷんぷんです。国を引っ張る意識満々です。いまの高校生、大学生にこれほど高い意識と自覚があるかどうか疑問です。
「寮歌には実に外来語が多い。漢字を抜いてしまったら、あんまり残りがなくなってしまう。チンプンカンプンだ」(30頁)
漢語が多いですねー。いまでも、小学校、中学校、高校と進むに従って「校歌」漢字が多くなるのではないでしょうか。
「戦前の小学生たちが必ず唄わされた歌に四大節の歌がある。1月1日(元旦、四方拝)、2月11日の紀元節(今の建国記念の日)、4月29日の天長節(今の昭和の日=昭和天皇御誕生の日)、そして11月3日の明治節(今の文化の日=明治天皇の御誕生日)」(12頁)
「1月1日」という歌はご存じでしょう。
♪年の初めの 例しとて
終なき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ♪
作詞は千家尊福です。この人は出雲大社宮司にして、神道大社教管長(初代)、元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)、東京鉄道株式会社社長など歴任・・・というより、出雲大社の宮司を「千家家」で独占させた人として私は認識してます。「北島家」と交代でつとめていたんですよ。
この「1月1日」という歌にも漢語は1つもありません。「松竹」を「マツタケ」と読めば大和言葉です。
渡部先生はおもしろい体験談を披露しています。
「新進言語学者の某君が結婚した。彼を励ますパーティが開かれた。そこにシェイクスピア学者であり演劇人であり、マキュベリに関する著作も出しておられた安西徹雄という人が、歌とギター、フルートが上手であることは以前から知っていたが、ポップスを披露した」
2曲ありまして、「白いブランコ」と「さよならをするために」という歌です。後者の作詞は石坂浩二さんですね。インテリですからわかっていて和語のみを使ったのではないでしょうか。
どちらもビリー・バンバンが歌いました。フォーク・ソングであり、ポップスですよ。
脱線しますけど、ビリー・バンバンて元々、3人組だったんですよ。いまは兄弟デュオですけど、もう1人のメンバーだれか知ってます? ついでにいうと、兄弟は兄弟でも次男と三男のデュオですからね。
歌詞は寮歌とはニュアンスがぜんぜん違います。堅くありません。柔らかいです。
実は、こういう歌詞はたくさんあります。寺山修二作詞でカルメン・マキさんの大ヒット曲「♪時には母のない子のように」がそうですね。ご関心のある方は調べてみてください。
寺山修司なら私は「♪毛皮のマリー」と「♪浜昼顔」が好きですけどね。
「♪時には・・・」ですが、たった1語だけ漢語が使われています。どれか調べてみてください。なるほどなーと感動しますから。
・・・・・引用終わり・・・・・
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