2005年12月26日「アッコちゃんの時代」 林真理子著 新潮社 1575円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 いよいよ、2005年も今週いっぱいですね。行く年、来る年。なんと、来週はもう「happy new year」ですよ。週末には除夜の鐘だなんて、本当に参りました。
 今年の年末は仕事でちょっと京都にいます。てなわけで、知恩院の鐘を聞くことになるのかな。

 さて、アッコちゃん。これ、週刊新潮に連載されてたヤツね。
 そうか、秘密のアッコちゃんか。チカコはどうしてっかな、と思ってたら、ちと違ったな。ほら、私、連載は読まないのよ。せっかちだから、待ってらんないわけ。だから、いつも単行本になってから読むことにしてんの。

 これ、一応、小説仕立てにしてっけど、登場人物の名前、ほとんど特定できるんじゃない?
 たとえば、主人公のアッコちゃん。本の中では「五十嵐厚子」となってるけど、これ、川○明子さんのことでしょ。バブル当時、六本木をブイブイ言わせてた女性ね。
 「地上げの帝王」と呼ばれた最上恒産の早坂太吉の愛人で、その後、飯倉の「キャンティ」経営者であり、ユーミンとかYMOを売り出した音楽プロデューサーの川○象郎さんの奥さんになった人だよね。
 もち、このプロデューサーは女優として売り出し中だった風○ジュンさんの元旦那さん。一男一女と妻を捨てて、この「魔性の女」に走ったってわけか。
 尾崎豊の奥さんも出てくるし、いまをときめくヒルズ族も出てくるし、「あぁあの人か」と想像して読むと2倍楽しめるかも。

 「頭が悪い女と、器量が悪い女とどちらが嫌い?と問われれば、器量が悪い女と答えるだろう」
 だって、ブスと一緒だと得しないもん。頭悪くても、美人だと男はチヤホヤしてくれるし、ご馳走してくれるんだって。アッコはものすごく合理的な人。

 けど、アッコは自分からものをねだったことはない。ちゃっかりしてるんだけど、ねだるなんて下品なことはしない。それに、超美人のアッコはねだらなくても、男のほうが先回りしてなんでも差し出しちゃうわけ。
 「私は男を奪ったことなど1度もない。男が私を求めただけ」
 そうなのよ。だから、「魔性の女」と呼ばれたわけ。
 地上げの帝王の愛人時代も、ほかの女子大生がバッグだ海外旅行だと物質的快楽を満喫してた時でも、そんなにいい思いしてないらしい。
 「アッコはそんな女じゃない!」って、この地上げオヤジは勝手に偶像化しちゃってたの。せいぜい買ってもらったのはショパールの時計くらい。まっ、これだって500万円もするけどさ。
 
 アッコって、けっしてバブル時代の申し子ではないね。
 いまだって、いるよ。たくさん。
 小説の中でも後半、「小アッコ」が出てくるんだけど、「魔性の女」はいつだっているの。
 なぜかというと、男がそういう女性を求めているから。
 男って、とくに金と力を持った男ってのは、自分の力のバロメーターをいろんなところで確認したいわけ。たとえば、いい仕事、いいギャラ、いい車、いい女・・・つまり、最高の待遇を求めるわけさ。
 魔性の女もそのバロメーターチェック用の1つ。だから、男がいる限り、「魔性の女」のニーズは無くなりませんよ。

 数多くの女性遍歴をしてきた「平成の光源氏」と呼ばれる私からしてみれば、「魔性の女」ってのは性悪女、ずるい女、バカな女、計算高い女とはぜんぜん違うのね。
 自分ではなんの計算もしないし、求めない。でも、男が放っておかない。愛されすぎるつらさもよくわかってる。

 そんな女になってみたい?
 私が女だったら、ゴメンだね。なぜって? どんな花でも散る時があるからさ。
 人間て、男でも女でもある年から上はもう「余計」なのよ。お金でも美貌でも健康でもね。
 超美人でなくてもいいの。「可愛い女」とか「内容のある女(というより人)」がいいわけ。だって、美しさじゃ若い子に敵うわけないじゃん。
 勝負できるのは、中身だよ。人間としての優しさとか奥の深さかな。ヒルズ族あたりじゃそうそう近づけない「いい女」ね。200円高。