2006年01月22日これ、かなりいいね。映画「博士の愛した数式」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 人生って、だれと会うかでほとんど決まっちゃうね。
 この事実の前には、素質とか才能とかは霞んでしまうかもしれない。もしかすっと、努力もね。

 「ルート」と博士から名付けられた10歳の少年。彼は博士と会ったことで、数学の面白さ、そして深遠な魅力に惹かれ、数学の先生になります。
 「靴のサイズはいくつかね?」
 「24です」
 「ほぉ、それは実に潔い数字だ。4の階乗だ」
 家政婦をするルートの若き母親が毎朝訪れるたびに、博士はそう聞きます。交通事故の後遺症で、博士の記憶は「80分」しかもたないんです。
 「無限の宇宙からπが舞い降ります。そして、恥ずかしがり屋のiと握手する。彼らは身を寄せ合ってじっと息を潜めています。e(ネピア数)はiもπもけっしてつながらない。でもね、1人の人間がたった1つだけ足し算すると、世界は変わります。矛盾するものが統一され、0、つまり、無に抱き留められます」
 これが博士の愛した数式。

 ご存じ、小川洋子さんの名作「博士の愛した数式」。今日、封切りされました。
 さすがに、この雪の中、年配者ばかりだったなぁ。私より若い人なんて、数えるほどだもの。

 仰々しく、どっさりスターを配したわけでもないけど、信州の大自然を舞台(小説では瀬戸内海なんだけど)に、人の心が交叉し、静かに淡々と物語が流れていく感じ。
 叙情詩のようなイメージを受けたのは、私だけ? そうか、そうか、詩は心の数学だったんだ。
 それにしても、寺尾聰はいい役者ですなぁ。
 謙虚で、素直でそれでいて、個性的で、「素数」のような映画でした。
 

とってもいいリズムの映画です。
 
 小説のほうはね、2004年5月31日の「通勤快読」に書いてます。
 ご参考までに、その時の文章を併記しときましょうか。でも、映画も小説もまだの人は読まないほうが「モア・ベター」よ(小森のおばちゃまか!)。
 
「博士の愛した数式」小川洋子著 新潮社 1500円
 これ、書店に並んですぐ買ったものの、そのまま、ほったらかし。その後、いろんな賞を受賞したと聞いて、なおさら読まず。
 で、横山秀夫さんの小説の合間にちょっと手に取りました。

 早く読んどきゃよかった!

 よくあるんだよね、こういうこと。
 むかし、みんながいい、いいと言うから、絶対に「砂の器」という映画を観なかったわけ。
 ところが、ある日、騙されて見に行ったら、はまってしまい、連続29回見たことがあります(いまでもDVD持ってるよ)。

 いちばん驚いたことは、日本人でもこういう小説が書ける人がいるんだな、ということでした。

 家政婦の「私」、その息子の「ルート」、そして大学の元数学教師をしていた64歳の「博士」を軸に話が回っていきます。
 場所は瀬戸内海に面した小さな町。
 時代は1992年。

 私はシングルマザーです。私の母親もシングルマザー。18の時にルートを生みます。相手は大学生。

 ルートという名前は博士がつけてくれたもの。息子の頭のてっぺんがルート記号のように平だったから。
 「これを使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」

 博士は1975年に、トラックとの事故で頭部を強打。そのため、記憶がその時点でストップしたまま。
 以来、記憶力は「80分」しかないのです。

 博士がどうやって生きているかと言えば、義理の姉の保護によってです。兄が残した遺産がありました。
 毎朝、私が訪れても、数字の会話が繰り返されるだけ。
 玄関に現れる私は常に初対面の家政婦。博士の質問は靴のサイズ、電話番号、郵便番号、自転車の登録ナンバー、名前の字画などなど。
 自分の記憶力が曖昧なことに博士自身、気づいているようで、背広のあちこちにクリップで留められたメモ用紙がたくさんありました。

 博士の1日は、数学雑誌に出題される難問を解いたり、数学についての思索に耽って生きること。
 「ボクは」いま考えてるんだ。考えているのを邪魔されるのは、クビを絞められるより苦しいんだ。数字と愛を交わしているところにずかずか踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか、君」といった具合です。

 「実生活の役には立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」
 「物質にも自然現象にも感情にも左右されない。永遠の真実は、目には見えないのだ。数学はその姿を解明し、表現することができる。なにものもそれを邪魔できない」
 「2以外のすべての素数は2種類に分類されると、知っているかね。nを自然数として、4n+1か、4n−1か。2つに1つだ。かも、前者の素数は常に2つの1乗の和で表せる。しかし、後者はけっして表せない」

 数学の才能と関係があるのかないのか、博士には不思議な能力がありました。
 1つは、言葉を瞬時に逆さまにすること。回文ですな。
 もう1つは、だれよりも早くいちばん星を見つけられることです。

 ある時、博士は私に10歳の子供がいることを知ります。
 「1人で留守番? いけない。火事になったらどうする? もし飴玉を喉に詰まらせたらどうする? すぐ帰りなさい」
 そして、とうとう、ルートを連れて家政婦をすることになります。

 初老の元数学者と、30前の子持ち家政婦と、小学生の男の子。奇妙な取り合わせですが、3人が3人とも、イキイキとしてくるのです。
 外出などしない博士を散髪に連れて行ったり、ルートと3人で野球観戦に行ったり、博士は阪神ファン。ただし、博士はいまだに「江夏」が投げていると信じています。

 ある時、博士は発熱し、心配になった私はそのまま、部屋に泊まり込んでしまいます。
 これが義姉の逆鱗に触れ、解雇。

 「私をいちばん苦しめたのは、博士が私たちをもう2度と思い出してはくれない、という事実」でした。取り返しのつかないことをしでかしてしまった。

 しかし、ルートが博士のところに訪問して、義姉から呼び出される始末。
 「遺産目当てですか?」
 「めっそうもない。息子は博士の友だちなんです」
 「友だちなど1人もいません」
 「でしたら、はじめての友だちです」
 「・・・」
 また、家政婦として雇われることになります。
 しかし、ルートの誕生パーティの翌々日に、博士は専門病院に引き取られることになりました。

 私とルートは月に1回か2回、サンドイッチを作っては病院に行った。暖かい日にはルートとキャッチボールを楽しむ。
 この関係は博士が死ぬまで、何年にもわたって続きました。その間、ルートは大学で怪我で野球をやめるまで、ずっと2塁手として活躍します。
 そして、来春からはいよいよ中学の数学教師です・・・とまぁ、こんな文章でした。