2006年01月29日死に方用意は生き方用意!映画「男たちの大和」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 日本は敗れて目覚めるしかない。
 われわれはその魁となる。
 本望じゃないか!

 護衛艦1隻、護衛のための飛行機1つない。燃料は片道分だけ。
 それでも、「大和」は1人で沖縄に向かわなければならないのだう。
 3000人の命を前にして、そう言うしかないではないか。

 孤軍奮闘で頑張った「大和」があまりにも可哀想だ! 魁となって散った若き命はもっと可哀想だよ。

 いったい、だれのために戦うのか?
 なんのために戦うのか?

 「死ぬ覚悟はできております」
 15歳の少年に死という意味がわかるはずがない・・・かもしれない。
 洗脳? いや、もっと深くて自然な感情だと思う。なんとかしなくちゃいけない、愛する人、愛する故郷を自分が護らなければいけない。
 そんな危機感、焦燥感、そして使命感があったはずだ。

 沈みゆく大和から振り落とされ救命された者たちは、「おまえだけがおめおめと生きて帰ってきたのか!」と非難される始末。
 「ごめんなさい。許してください」と生き残った者が謝罪し、十字架を一生背負って生きていかざるを得なかった。
 散る桜 残る桜も 散る桜
 生き残った者も、ずっと戦ってきたのだ。

3000人の命が東シナ海に散った!

 戦後、帝国海軍は解体されたけれども、人間が解体されたわけではない。
 彼らの技術はソニー、ホンダなどの産業に転換。研究開発へと活かされた。結果、連合国を経済的に席巻してしまったのだ。ざまぁみろ!

 日本は国敗れて気づいたのだ。なにも殺し合いによって領土を奪い合うことはないのだ。文化、文明、哲学、歴史、人間、経済、科学、スポーツ、医療、福祉・・・世界を相手に戦う武器はこんなにたくさんあるではないか、と。
 人を殺す武器より、人の心に届くメッセージのほうがはるかに強いのだ。
 
 戦後60年・・・日本は平和が続き、わたしたちは経済繁栄を満喫、謳歌してきた。これほど幸いなことはない。戦争は嫌だ。殺し合いは嫌だ。愛する人、故郷が傷つけられるのは嫌だ。
 だが、世界でも類を見ない平和のおかげで、わたしたちは「命の尊さ」「生きる密度」について少し感性が麻痺しているのかもしれない。

 60年といえば、人間でいえば還暦を迎え、本卦がえりである。もう一度0からはじめる記念の年でもある。
 もう何年か経つと、日本人全員が戦後生まれになるだろう。
 国は未来の国民からの預かりもの。「戦艦大和」だけではなく、あの戦争で亡くなった人たちはきっと、この国をわたしたちへリレーするために命を捧げようとしたのではなかったか?
 「菊水1号作戦」を馬鹿げた暴挙と笑うのは簡単だが、その赤心に対して衷心より感謝しなければいけないと思う。

 いま、わたしたちがすべきことは、なにより懸命に生きること。密度濃く生きることだ。
 「死に方用意」は「生き方用意」なのだ。

 「男たちの大和」は男のための映画か? いえいえ、これは若き日本人のための映画です。
 製作の角川春樹さんに脱帽です!

「男たちの大和」に負けないヒューマン映画!「北辰斜にさすところ」(神山征二郎監督)10月クランクイン!「中島孝志と一緒に映画をプロデュースする会」が発足しました。みなさん、応援、宜しくお願いします!