2006年04月04日「怠けてなんかない!」 品川裕香著 岩崎書店 1365円
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「飛ばし読みが多くて、書いてある内容がよくわからない」
「クリニックをクリーニングと読んでしまう」
「行を読み飛ばしたり、同じところを何度も読んでしまう」
「漢字の偏とつくりを間違える」
「テストでは名前を書くのがやっと」
「口頭ならスラスラと答えられる」
「本を見ると、全体が灰色一色に見える」
「何秒か目を集中させてじっと見ていると、ぼぉっと字が浮き上がってくる」
「行と行が詰まって見える」
「文字の形がすぐに浮かばないため、字を書くのに時間がかかる」
「本を読もうとすると、文章が黒い塊、オブジェのように見える」
「じっと目をこらしてもどこに文章があるのかがわからない」
「字が書けない。濁音、長音、拗音の聞き取りもできない」
「食べるをしょくべる、と読んでしまう」
「掲示をすぐ忘れる」
「頭の中にあることを文章に書き起こすことが苦手」
「字が読めないとほかの科目も大変」
「簡単な計算はできるけど、文章題の文章そのものが読めない」
「英単語は覚えられないのに、芝居のセリフは台本一ページを丸々暗記できる」
こんな症状があったらちと不便ですよね。
けど、これが読み書きのLD(学習障害)と呼ばれてる「ディスレクシア」の具体例なんです。
いま、作曲の世界で頑張っている女性は、小学3年の時に自分がこの「ディスレクシア」であることに気づきました。
小学校1〜2年で習う漢字は何百回、何千回と書いて身体に叩き込んだ。けど、複雑な字になるとどうしても形が覚えられなかった。
黒板の字が見えない。読めないのではなく見えないのだ。あるいは書かれた文字が●に見えてしまう。その●を写してノートを提出したら「おまえ、舐めてんのか!」と教師から叱られる。
現場の教師の勉強不足、理解不足、情報不足が悲しいね。
「先生はLD(学習障害)の勉強をしてるの。あなたみたいな子を助けてあげられるのよ。あなたは高校をやめて、ほかの道に進んだほうがいい。ここにいても友達はできないし、できたとしても漢字が読めないことを知ったらみんな逃げていくわよ。あなたと一緒にいるとイチイチ気を遣うから疲れるの。わかる? 先生も大変なのよ」
(どうして、LDを勉強してる人がそんなことを言うのかしら?)
いまになってみればそう感じる。けど、その時は目の前が真っ暗になってなにがなんだかわからなくなっていた。
授業になると、「こんな漢字、小学生でも読めるぞ」と言われる。毎日、この連続。すると、どうなるか?
「痛いけど、自分を守るためにはしょうがない。順番が来ると、口元から血を出して、痛くて読めませんと言ったんです。朗読の順番が来ると、カッターで指を切っては難を逃れようとしました」
中高一貫だから、高校は持ち上がり。
「どうして、あんな子がこの高校に入れたんだろう?」と不思議がられる。
そうして周囲から追い込まれ、気づかない中に自分で自分を追い込んでいる。
みんな似たような「出口の見えない暗闇」をさまよう。辛いのは努力することなんかじゃない。頑張ればできるんじゃないか? だから、努力はいくらでもできる。人の百倍も努力する。
しかし、翌日にはすべての努力が気泡に帰していることを発見する。この繰り返し。
さながら、「シーシュポスの神話」ですよ。
明日への不安、恐怖、絶望・・・ディスレクシアで悩む子には少なくない。
そして、この少女は知らない中にリストカッターになっていた。ストレスから来る二次障害というより、もはや自殺未遂。
デザイナーとして活躍する人も「ディスレクシア」。
やはり、漢字を字としてではなく「絵」として見る。だから、風景を写生するように絵としてノートに写す作業をしなければならなかった。
いま、流行の「朝の読み聞かせ運動」や「読書運動」も「ディスレクシア」の子どもたちにとっては辛い時間なんですよね。
そこらへん、うまく現場の教師が思いやってもらえるとありがたいな。
いま、アメリカでは全学童の10〜15%が「ディスレクシア」だといいます(日本では4.5%くらい)。
しかし、アメリカで「ディスレクシアだ」というと、「あぁ、じゃ、きみは文字が逆さまに見えたりするんだね」と軽く言われて終わり。別に悲観的な顔をされるわけではありません。
というのも、学校事務局にこの旨伝えておくと、学生ボランティアからノートは貸してもらえるし、試験の時には時間もおまけしてもらえるし、試験管が問題を読んで、それに口頭で回答してもいいようになってるわけ。
それでいて、成績で差別されることもない。
つまり、「ディスレクシア」であることがハンデにならないように制度としてそうなってるのよ。
「チャンスは平等に与える。そのかわり、結果はシビアに公平に評価する」というフェア精神が徹底しているのはアメリカの良きところ。
「ディスレクシア」には周囲の理解、サポートが必要なのは事実。けど、これは一つの個性、特徴なんです。走るのが遅い人、かなづちの人、高所恐怖症の人、お金儲けがヘタな人・・・と同じようにね。
「ディスレクシア」で成功している人はたくさんいます。
有名なとこでは、俳優のトム・クルーズ。彼はいつもセリフはテープに吹き込んでもらって耳から覚えますよね。パージン・グループのリチャード・ブランソンもそう。
「学生時代に気づいたが、自分は人と関わることが得意だとわかって、その才能を伸した」とイギリス・ディスレクシア協会のインタビューに答えてます。
というわけで、頑張ろうぜぃ。そして周囲は理解しよう。250円高。
「飛ばし読みが多くて、書いてある内容がよくわからない」
「クリニックをクリーニングと読んでしまう」
「行を読み飛ばしたり、同じところを何度も読んでしまう」
「漢字の偏とつくりを間違える」
「テストでは名前を書くのがやっと」
「口頭ならスラスラと答えられる」
「本を見ると、全体が灰色一色に見える」
「何秒か目を集中させてじっと見ていると、ぼぉっと字が浮き上がってくる」
「行と行が詰まって見える」
「文字の形がすぐに浮かばないため、字を書くのに時間がかかる」
「本を読もうとすると、文章が黒い塊、オブジェのように見える」
「じっと目をこらしてもどこに文章があるのかがわからない」
「字が書けない。濁音、長音、拗音の聞き取りもできない」
「食べるをしょくべる、と読んでしまう」
「掲示をすぐ忘れる」
「頭の中にあることを文章に書き起こすことが苦手」
「字が読めないとほかの科目も大変」
「簡単な計算はできるけど、文章題の文章そのものが読めない」
「英単語は覚えられないのに、芝居のセリフは台本一ページを丸々暗記できる」
こんな症状があったらちと不便ですよね。
けど、これが読み書きのLD(学習障害)と呼ばれてる「ディスレクシア」の具体例なんです。
いま、作曲の世界で頑張っている女性は、小学3年の時に自分がこの「ディスレクシア」であることに気づきました。
小学校1〜2年で習う漢字は何百回、何千回と書いて身体に叩き込んだ。けど、複雑な字になるとどうしても形が覚えられなかった。
黒板の字が見えない。読めないのではなく見えないのだ。あるいは書かれた文字が●に見えてしまう。その●を写してノートを提出したら「おまえ、舐めてんのか!」と教師から叱られる。
現場の教師の勉強不足、理解不足、情報不足が悲しいね。
「先生はLD(学習障害)の勉強をしてるの。あなたみたいな子を助けてあげられるのよ。あなたは高校をやめて、ほかの道に進んだほうがいい。ここにいても友達はできないし、できたとしても漢字が読めないことを知ったらみんな逃げていくわよ。あなたと一緒にいるとイチイチ気を遣うから疲れるの。わかる? 先生も大変なのよ」
(どうして、LDを勉強してる人がそんなことを言うのかしら?)
いまになってみればそう感じる。けど、その時は目の前が真っ暗になってなにがなんだかわからなくなっていた。
授業になると、「こんな漢字、小学生でも読めるぞ」と言われる。毎日、この連続。すると、どうなるか?
「痛いけど、自分を守るためにはしょうがない。順番が来ると、口元から血を出して、痛くて読めませんと言ったんです。朗読の順番が来ると、カッターで指を切っては難を逃れようとしました」
中高一貫だから、高校は持ち上がり。
「どうして、あんな子がこの高校に入れたんだろう?」と不思議がられる。
そうして周囲から追い込まれ、気づかない中に自分で自分を追い込んでいる。
みんな似たような「出口の見えない暗闇」をさまよう。辛いのは努力することなんかじゃない。頑張ればできるんじゃないか? だから、努力はいくらでもできる。人の百倍も努力する。
しかし、翌日にはすべての努力が気泡に帰していることを発見する。この繰り返し。
さながら、「シーシュポスの神話」ですよ。
明日への不安、恐怖、絶望・・・ディスレクシアで悩む子には少なくない。
そして、この少女は知らない中にリストカッターになっていた。ストレスから来る二次障害というより、もはや自殺未遂。
デザイナーとして活躍する人も「ディスレクシア」。
やはり、漢字を字としてではなく「絵」として見る。だから、風景を写生するように絵としてノートに写す作業をしなければならなかった。
いま、流行の「朝の読み聞かせ運動」や「読書運動」も「ディスレクシア」の子どもたちにとっては辛い時間なんですよね。
そこらへん、うまく現場の教師が思いやってもらえるとありがたいな。
いま、アメリカでは全学童の10〜15%が「ディスレクシア」だといいます(日本では4.5%くらい)。
しかし、アメリカで「ディスレクシアだ」というと、「あぁ、じゃ、きみは文字が逆さまに見えたりするんだね」と軽く言われて終わり。別に悲観的な顔をされるわけではありません。
というのも、学校事務局にこの旨伝えておくと、学生ボランティアからノートは貸してもらえるし、試験の時には時間もおまけしてもらえるし、試験管が問題を読んで、それに口頭で回答してもいいようになってるわけ。
それでいて、成績で差別されることもない。
つまり、「ディスレクシア」であることがハンデにならないように制度としてそうなってるのよ。
「チャンスは平等に与える。そのかわり、結果はシビアに公平に評価する」というフェア精神が徹底しているのはアメリカの良きところ。
「ディスレクシア」には周囲の理解、サポートが必要なのは事実。けど、これは一つの個性、特徴なんです。走るのが遅い人、かなづちの人、高所恐怖症の人、お金儲けがヘタな人・・・と同じようにね。
「ディスレクシア」で成功している人はたくさんいます。
有名なとこでは、俳優のトム・クルーズ。彼はいつもセリフはテープに吹き込んでもらって耳から覚えますよね。パージン・グループのリチャード・ブランソンもそう。
「学生時代に気づいたが、自分は人と関わることが得意だとわかって、その才能を伸した」とイギリス・ディスレクシア協会のインタビューに答えてます。
というわけで、頑張ろうぜぃ。そして周囲は理解しよう。250円高。