2004年05月31日「最強の交渉術」「ハイスクール1968」「博士の愛した数式」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」


1 「最強の交渉術」
 橋下徹著 日本文芸社 1200円

 ご存じ、「行列のできる法律相談所」に出演中の弁護士による交渉術の本。
 交渉術関係の中では出色の一冊ではないかな。
 というのも、交渉術の本というと、ゲームの理論なども含め、「知的格闘技」の要素が強かったんだけど、これは、現場でどれだけ使えるかどうかを問うている本だからです。
 そういう意味では、「やくざの交渉術」といったカテゴリーに入るのかも。

 もちろん、現場で使えるかどうかはわかりません。同じシチュエーションなんて、ありえないからね。
 けど、「いざという時、こういう準備をしておけばいいのか」という腹づもりはできます。

 実はわたしの兄貴も弁護士なんですが、この業界には「三割司法」という言葉があります。三割自治もありますけどね。
 これ、日本で起きている紛争の解決に司法が関わっているのは三割しかない、ということです。

 じゃ、残りの7割は
 そう、事件屋とか示談屋という連中が介入して片づけられているのです。

 2003年2月現在、日本の弁護士数は1万9537人です。これじゃ少ないよね。検察、裁判官もまだまだ少ない。
 その上、当事者間の交渉を得意とする弁護士は意外なほど少ないのです。

 さて、相手を思い通りに動かし、説得していくためには、三通りの方法しかありません。
 「合法的に脅かす」
 「利益を与える」
 「ひたすらお願いする」
 中でももっとも有効な方法は「利益を与える」です。

 この場合の利益には二通りあります。
 相手方の利益。
 実際には存在しないレトリックによる利益。
 この二つです。
 後者がわかりにくいかもしれませんが、言い換えれば、不利益を回避することによって生じる「実在しない利益」です。

 「今回、この交渉でわたしたちの主張に乗ってもらえなければ、これだけのデメリットがありますよ」
 こんな感じですね。

 「利益を与える」よりも、時にこの「デメリットを回避する」という方法は有効です。

 実はわたしの実家でも土地をだまし取られそうになったことがあるのです。首都圏で駅から数分というところに実家があります。
 実家の裏に家があり、その持ち主は地元で手広く商売をやり、最盛期には市会議員までやった人物なのですが、最終的にはバブル期に失敗して倒産。
 そこで、この土地まで売却しなければならなかったのですが、なんと登記簿を見ると、実家の土地と登記が逆になっていたのです。もちろん、行政のミスです。で、登記を改めることになりました。
 
 間に入ったのは、これまた地元の司法書士(二代目)。これがうさんくさい人間で、「信じてるからいいよ」という父親からハンコを借りて登記を訂正しました。
 つまり、倒産経営者と実家との土地登記を正常に戻す。早い話が取り替えるというわけです。
 実は実家の土地のほうが広いのですが、わたしと似ていい加減な父親ですから、「損してもそれでいい」のひと言。
 ところが、この司法書士が行ったことは、実家の土地を倒産経営者に振り換え、借金の担保はわたしの父親がそのまま継続するという手続きだったのです。
 で、裏の土地は銀行管理になり、二軒分の宅地分譲という結果になりました。

 このままで行くと、父親は土地を騙し取られるだけでパーです。さっさと相談すればいいものを、ギリギリまで話さない。
 その経営者と司法書士に自ら交渉してたんでしょう。

 それから数カ月経ち、なんの進展もない。そこで電話が入ったわけです。
 その時、兄が実行したことはこういうことです。1日で処理してしまいました。
 「実家の土地ではなく、いま、宅地として売り出されている土地を事案にして訴訟を起こす(すると、この宅地は氷漬けになり、解決するまで売れなくなります)」
 「行政書士には損害賠償を要求する。もちろん、倒産経営者とともに詐欺罪としても告訴する」

 あれほど知らんぷりしていた人間が飛んできたのです。これ、一発ですぐ解決してしまいました。

 友人として持つべきものは、やはり、医者、税理士、そして弁護士ですな。
 150円高。
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2 「ハイスクール1968」
 四方田犬彦著 新潮社 1600円

 著者は明治学院大学の先生。
 1968年に教育大付属駒場高校で学んだ人。で、これはその時を舞台にした日記というか、コメント集ってとこかな。

 景山民夫さんの本に「発破屋硬太」という痛快な本があるんだけど、それをイメージして買っちゃったら、内容がぜんぜん違うんで・・・。
 でも、当時がどんな時代だったのかが類推できるのは良かったな。

 というのは、著者の同世代というと、いま、54歳の人たち。「団塊の世代」なわけよ。

 この世代は学園紛争があり、ビートルズがいて、ミック・ジャガーがいて、好景気があり、公害があり、受験戦争があり、ジャズがあり、平凡パンチ、少年ジャンプ、朝日ジャーナル、メンズクラブがあり、寺山修司がいて、明日のジョーがいて、フランシーヌもいて・・というわけで、時代としては刺激に満ちたものなんですね。

 わたしなんか、この熱い時期が過ぎ去り、どちらかというと、「三無主義」「シラケ世代」なわけですよ。
 では、団塊の世代を羨ましいかというと、まったくそんなことはありません。
 というのも、「こいつら人数ばかりは多いけど、なんら時代を作れなかった奴ら」と思ってるからですね。

 著者は懇切丁寧に学園時代をプレイバックしてますね。その記憶力というか、ノート力はたいしたものです。
 「よっぽど青春が好きだったんだな」

 当時の余韻に浸りたい人、懐古趣味の人、現代史に関心のある人にはうってつけの本かも。
 でも、景山民夫さんの本のほうが好きだなぁ、わたしゃ。
 150円高。
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3 「博士の愛した数式」
 小川洋子著 新潮社 1500円

 これ、書店に並んですぐ買ったものの、そのまま、ほったらかし。その後、いろんな賞を受賞したと聞いて、なおさら読まず。
 で、横山秀夫さんの小説の合間にちょっと手に取りました。

 早く読んどきゃよかった!

 よくあるんだよね、こういうこと。
 むかし、みんながいい、いいと言うから、絶対に「砂の器」という映画を観なかったわけ。
 ところが、ある日、騙されて見に行ったら、はまってしまい、連続29回見たことがあります(いまでもDVDを持ってるよ)。

 いちばん驚いたことは、日本人でもこういう小説が書ける人がいるんだな、ということでした。

 家政婦の「私」、その息子の「ルート」、そして大学の元数学教師をしていた64歳の「博士」を軸に話が回っていきます。
 場所は瀬戸内海に面した小さな町。
 時代は1992年。

 私はシングルマザーです。私の母親もシングルマザー。18の時にルートを生みます。相手は大学生。

 ルートという名前は博士がつけてくれたもの。息子の頭のてっぺんがルート記号のように平だったから。
 「これを使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」

 博士は1975に、トラックとの事故で頭部を強打。そのため、記憶がその時点でストップしたまま。
 以来、記憶力は「80分」しかないのです。

 博士がどうやって生きているかと言えば、義理の姉の保護によってです。兄が残した遺産がありました。
 毎朝、私が訪れても、数字の会話が繰り返されるだけ。玄関に現れる私は常に初対面の家政婦。訊ねる質問は、靴のサイズ、電話番号、郵便番号、自転車の登録ナンバー、名前の字画などなど。
 記憶力が曖昧なことに博士自身は気づいているようで、背広のあちこちにクリップで留められたメモ用紙がたくさんありました。

 博士の1日は、数学雑誌に出題される難問を解いたり、数学についての思索に耽って生きること。
 「ボクは」いま考えてるんだ。考えているのを邪魔されるのは、クビを絞められるより苦しいんだ。数字と愛を交わしているところにずかずか踏み込んでくるなんて、トイレを覗くより失礼じゃないか、君」といった具合です。

 「実生活の役には立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」
 「物質にも自然現象にも感情にも左右されない。永遠の真実は、目には見えないのだ。数学はその姿を解明し、表現することができる。なにものもそれを邪魔できない」
 「2以外のすべての素数は2種類に分類されると、知っているかね。nを自然数として、4n+1か、4n−1か。二つに一つだ。かも、前者の素数は常に二つの二乗の和で表せる。しかし、後者はけっして表せない」

 数学の才能と関係があるのかないのか、博士には不思議な能力がありました。
 一つは、言葉を瞬時に逆さまにすること。回文ですな。
 もう一つは、だれよりも早くいちばん星を見つけられることです。

 ある時、博士は私に十歳の子供がいることを知ります。
 「一人で留守番? いけない。火事になったらどうする? もし飴玉を喉に詰まらせたらどうする? すぐ帰りなさい」
 そして、とうとう、ルートを連れて家政婦をすることになります。

 初老の元数学者と、三十前の子持ち家政婦と、小学生の男の子。奇妙な取り合わせですが、三人が三人とも、イキイキとしてくるのです。
 外出などしない博士を散髪に連れて行ったり、ルートと三人で野球観戦に行ったり、博士は阪神ファン。ただし、博士はいまだに「江夏」が投げていると信じています。

 ある時、博士は発熱し、心配になった私はそのまま、部屋に泊まり込んでしまいます。
 これが義姉の逆鱗に触れ、解雇。

 「私をいちばん苦しめたのは、博士が私たちをもう二度と思い出してはくれない、という事実」でした。取り返しのつかないことをしでかしてしまった。

 しかし、ルートが博士のところに訪問して、義姉から呼び出される始末。
 「遺産目当てですか?」
 「めっそうもない。息子は博士の友だちなんです」
 「友だちなど一人もいません」
 「でしたら、はじめての友だちです」
 「・・・」
 また、家政婦として雇われることになります。
 しかし、ルートの誕生パーティの翌々日に、博士は専門病院に引き取られることになりました。

 私とルートは月に一回か二回、サンドイッチを作っては病院に行った。暖かい日にはルートとキャッチボールを楽しむ。
 この関係は博士が死ぬまで、何年にもわたって続きました。その間、ルートは大学で怪我で野球をやめるまで、ずっと二塁手として活躍します。
 そして、来春からはいよいよ中学の数学教師です。
 350円高。
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