2006年05月28日「嫌われ松子の一生」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 映画の楽しみ方って、2つあると思うのね。
 1つはメッセージを楽しむこと。どちらかというと、理屈というか、理念というか、「なるほど、こんなことが言いたかったのか」と前頭葉に栄養をたっぷり摂らせるような楽しみ方。
 頭が良くなったような気がするし、哲学的に深くなったような気がするから、それはそれで楽しいわな。

 で、もう1つの楽しみ方ってのは、「面白ぇ」って感じること。理屈なんてないのね。笑えたらそれでいいじゃん。楽しけりゃそれでいいじゃん、という楽しみ方。

 どっちでもいいと思うのね。
 この映画がどちら向きかというと、どちらでも楽しめると思う。元々、これ、見ようと思ったのはミュージカルが好きだから。で、これ、ミュージカルっぽい映画だったもんで。
 この一点のみ。ほかに理由はなし。

 選曲もいいし、芝居だけじゃなくて、歌と踊り、ビジュアル的にも、スピード、リズム感にしても十分、楽しめました。
 映画ってさ、テレビで見ても面白い映画もあれば、テレビだとどうもダメって映画があんでしょ? この映画は映画館で観たほうがぜんぜん良い。100インチのモニターよりスクリーンのほうがいい。

 理屈でも楽しめたね。
 それは、松子に懺悔する暴力団員(元生徒、元愛人)がムショ中に読んだ「新約聖書」の1行について神父(嶋野久作さん)に聞くんだよ。
 「神は愛である。って、どういうこと?」ってね。
 すると、こんな答え方をしてます。
 「汝の敵を愛せますか?」
 「いや、愛せない」
 「それでいいのです。人間はそんなに強くありません。でも、神にすがれば敵も愛せるのです」

 な〜るへそ。人間は弱い。けど、神にすがれば強くなるってわけか。
 
 人間て、理性で動かないから面白いのよね。たとえば、ケチで有名な人が1億円、ポンと寄付しちゃうとかさ。理性的に考えれば、そんなバカなことできますか!ってことだよ。けど、なにかの拍子にしちゃったりするでしょ?
 意気に感じたり、いままでの生き方・考え方が急に嫌になったりしてさ。

 これ、脳みそのOSが初期化されて新しいソフトを一瞬、インストールしてしまったのよ。理性的に考えれば、バグね、バグ。ウィルスなの。
 けど、こんなことってたくさんあんでしょ。普段はしないことでも、酔っぱらってやっちまったりさ。
 そう、「神の力」というのは、実は酔っぱらってる状況なんです。

 だから、ついつい大見得を切ったりするわけね。で、後で醒めたら(理性が戻ったら)、「あんなこと言わなきゃ良かった」と後悔したりするの。
 こんなことを何度も繰り返してる人って、「懲りない人」といわれるわけね(わたしのことだけど)。


時間を忘れてしまう映画です。

 さて、この映画の主人公の松子も「懲りない人」なのよ。
 良かれ」と思ってしたことが裏目、裏目に出ることってあるよね。松子の人生はこの典型。「わかってもらいたい!」という気持ちが空回り。
 リズムがちぐはぐになります。教師をクビになり、家出して、ソープ嬢になったり、ヒモを殺して刑務所へ。絶望的にどんどん空回り・・・まっ、このへんにしときましょう。

 主演は中谷美紀さん。この人と柴咲コウさんて似てるよね。前から思ってた。ほかに、香川照之、柄本明、劇団ひとり、木村カエラ、片平なぎさ、ゴリ、竹山隆範、谷原章介、宮藤官九郎、武田真治、荒川良々、山田花子・・・などが出演。
 すげぇ、贅沢な映画です。中谷美紀さんの代表作になるんじゃないかな。
 『下妻物語』の中島哲也監督が映像化した大人の哀しいファンタジーかな。400カットを超えるCGとアニメだってさ。
 
 最後にひと言。「神は愛である。」っていうけど、わたしゃ、「愛は神である。」と思ってんだけど。理由、それは今度合った時にじっくりしましょうか。