2006年08月07日20年ぶりの出会い。

カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」

 ホントは、今ごろ、私は博多にいなくちゃいけないの。
 心身のメンテナンスのために「断食道場」で5日間、オーバーホールしてるわけなのね。けど、今回はずっと前から皆と約束してたにもかかわらず、ドタキャン。

 理由? 仕事の段取りがどうしてもつかなくなっちゃったわけ。段取りの指南本まで書いてるくせにね(ごめん!)。

 めちゃ怒られました。5日間の合宿で、みな、楽しみにしてたのよ。なにも食べずに檜の酵素風呂入って(1日20分だけ!)、で、あとはくっちゃっぺるだけだからね。
 あぁだ、こうだと徹底的に話ができるんだよね。メンバーはいつもの呑み仲間だしぃ。会社経営者、高僧、教育団体理事長などなど・・・ホントにすみません。

 いま、死に物狂いで仕事してますよぉ。1人だけこっそりお酒飲んだりしませんから。お盆も、某大物経営者に5日間連続15時間のインタビューが待ってるんですよぉ、ハイ。

 てなわけで、この断食仲間の理事長さんのお話を紹介させてくださいませ。

 この人は全国に20万人くらいの会員がいる教育団体を率いてるんです。ほとんどが女性なんです。
 都内のFさんも会員のお1人。で、こんな不思議なできごとを報告してくれました。

 春のある夕刻、若い男性が家を訪ねてきたんです。だれ? なんの用? けげんな面持ちで応対すると、いきなりこう切り出すんです。
「私はあなたに命を救われた人間です」
「えっ?」
「あなたのことは父からずっと伺っていました。このたび、ようやく医学部に合格でき、上京することができました。ぜひ、直接、お礼を申しあげたくて・・・」
「・・・はい。でも、この私がですか?」

 事情を聞いてびっくり。なんと20年の昔のことなんですね。けど、昨日のことのように脳裏にありありと思い浮かんだそうです。
 当時、Fさんはある地方都市の産婦人科病院で見習い看護婦をしてたんです。
 で、ある深夜に、40歳くらいの女性が突然来院して、「子どもを堕して下さい。いま、5人目の子どもを生んだら一家心中に追い込まてしまいます」と院長に必死に訴えたそうです。
 しかし、すでに妊娠7ヶ月。医師の良心に省みて堕胎はできませんから断ります。けど、彼女は引き下がらない。「どうしてもこの子を生むことはできません。お願いします。お願いします」と何度も必死の形相で訴え続けるのです。
 とうとう、院長は根負けしました。「死産」ということで処理することになったんですね。

 手術は無事終了。泣き疲れて、体力の消耗も激しかった母親を深夜2時まで休ませました。
「オギャー」と泣く元気もなく、「グワッ、グワッ」と小鳥のようなかぼそい声をあげるだけ。嬰児はすでに人間の子どもとして成長していましたが、治療用の膿盆に放置されてやがて自然死にいたる・・・。

 宿舎に戻りベッドに横たわる。いつもなら泥のように寝てしまうのに、疲れているのに寝付けない。嬰児のことが忘れられないんです。
 足音を忍ばせて嬰児を見に行くと、まだ生きていました。血まみれの顔と身体で相変わらず、グワッ、グワッと泣いている。
 この瞬間、背筋に戦慄が走り、あふれる涙とともに、「いま助けて上げるからね」と声をかけ、大急ぎでお湯を沸かして嬰児の身体を拭き、そのまま、くるんで自室に連れ帰ってしまったんです。

 翌朝、事の次第を院長に報告します。ひと騒動あったのは当然ですよね。
 独身の見習い看護婦が「私が育てます!」と言い張っても、「はい、そうですか」とすんなり受け入れられるはずがありません。田舎の両親も呼ばれて話し合われ、彼女が正式に看護婦となるまでは、この赤ん坊を院長宅で預かる、ということで落ち着きました。
 院長一家には女医の奥さんとの間に5歳の女の子(脳性小児麻痺)がいたんです。

 Fさんは看護大学を卒業して資格を手にし、国家試験にも合格して大学病院勤務に決まりました。
 そこで両親とともに再び院長宅を訪れます。もちろん、あの赤ちゃんを引き取るためです。

 ところが、話はとんでもない方向に進むんです。
「どうか、ボクたちの子どもとして育てさせてもらえないだろうか?」
 赤ちゃんは院長一家にとって、もう、なくてはならない存在になってたんです。了承した彼女は、その後、多忙な看護婦生活を過ごし、やがて結婚して家庭に入ります。

 それから、20年・・・。
 いま、目の前にいる青年があのときの・・・?
 小鳥のような鳴き声しか出せなかったあのか弱い嬰児?

「これから懸命に勉強して、私は父の跡を継いで医者になります。姉のような重度心身障害者のために役に立ちたいと考えています」
 あぁ、やっぱり親子だわ。実の親子じゃないのに、やっぱり似ている・・・Fさんはその青年の面差しにしばらく見とれていたそうです。

 「関係ない」という言葉を私たちは簡単に使ってしまうことがあります。でも、これは「関係があること」にまだ気づいていないだけなんですね。
 本当はすべてのものに関係があるんです。一見、なんの縁もゆかりもない人・・・実は縁もゆかりもあるんです。縁というのは不思議で、深遠で、霊妙なものなんですね。
 そろそろ、お盆です。亡き人とのご縁も大切に。

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