2004年02月02日「経営パワー大全」「私設 広告五千年史」「ありがとう笑名人」
1 「経営パワー大全」
ジョセフ・ポイエット著 日本経済新聞社 2000円
画期的な本ではありますな。
なんたって、ビル・ゲイツ、ウォルト・ディズニー、マイケル・デルから本田宗一郎さんまで、世界を代表する70名のカリスマ経営者の「教え」をまとめちゃった本なんです。
たとえば、それぞれの経営者に質問状を送る。それに対するコメントが寄せられる。これにチェックリストがついて、自分の経営力を診断できるというわけ。
質問自体はくだらないんだけど、たとえば、「あなたは起業家か?」という項目では「起業家にとって必要な、なんとしてもやり抜くという気概をもっているか?」というのがあるんだけど、カリスマだけあって、回答を見てるだけで勉強になります。
アール・グレイブズは「プラック・エンタープライズ」の創業者だけど、こんなことを言ってます。
「成功する起業家は跳躍を怖れないが、その前にまず状況を見極めようとする。彼らは死への願望などは持っていないが、目標に到達するためには危険も辞さずという覚悟を持っている。さらに、本当に優れた起業家は実効性のある第二、第三、第四の代替案を準備してからでないと、危険を冒そうとしない」
「わたしは問題を報告してくるだけの人間には我慢がならない。まず、解決策を示し、その後に問題の状況を詳しく説明してほしい、と思う」
つまり、地下室が水浸しになりましたという報告などは聞きたくない。まず、清掃会社の電話番号を調べましたと報告し、それから、なぜその会社に電話するのかを説明して欲しいのです。
デイブ・トマスはハンバーガー・チェーンで有名なウェンディーズの創業者です。
「あなたはくつろいだ気分で成功の余韻に浸りたがるタイプ? それとも、成功は過去の出来事に過ぎない、と頭を切り換えられるタイプ?」
「わたしの場合、くつろげたらいいと思う。けど、困難な目標を達成しても、その喜びが長続きしないのだ。一つの目標をクリアしても、また次の課題に取り組みたくなるのだ」
「人々とともに働く能力に加えて、成功を分かち合う能力。これがなければ起業家にはなれない」
いや、そんな人は起業家になってはいけないのです。社員が迷惑します。
「意思決定のために調査や情報がたっぷり必要だ、と考えるタイプなら、独立して事業を興すのは危険かもしれない。いくら調査を続け、情報を集めたところで、絶対確実という安心感が得られることなどないからだ。仮にわたしがとことん調査し、情報を集めたところで、そんなタイプの人間ならば、ウェンディーズの第一号店すら出せなかったはずだ」
ウォルマートの創業者であるサム・ウォルトンがアーカンソー州ニューポートにあったベン・フランクリン雑貨店の店舗を買い取ったのは1945年のこと。
「5年以内に地域いちばん店になる」と決意。その通りになった。
しかし、法律上の些細な見落としのために、この店を放棄しなければならなくなった。すなわち、「5年後に契約を更新できる」という条項を賃貸契約書に盛り込んでいなかったんですね。
大家は百貨店。だから、絶対に譲ろうとしない。で、結局、店を手放すことになります。
この時、「胃がむかむかした。悪夢だと思った」と語っています。くよくよしても、しょうがない。
それ以降、契約書にはきっちり目を通す。当時、六歳の子どもを弁護士にしようと勧めます。
そして、なにより、こう考えたのです。
「失敗は祝福の化身である」
この失敗をバネにして、世界一の流通業を作り出すのです。
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2 「私設 広告五千年史」
天野祐吉著 新潮社 1000円
「空海、ルイ十四世(太陽王)、イエス・キリスト、秀吉・・・みんなとっても広告が上手」だとのこと。
なるほど、いつの世も宣伝上手が目立ちますもんね。
「イエス・キリストは広告の天才だった」と、ブルース・バートンというアメリカの著名な広告マンがもう八十年も前ので語っています。
当時、これは物議を醸しました。
けど、たしかにそうですね。
1イエスは広告の本質はニュースにある、と考えていた。
2イエスは彼のサービスを、教えによってではなく、行動で示した。
たとえば、「新約聖書」によれば、イエスと弟子たちはガリラヤ湖畔の町々を回っていた時、難病の男がすがりついてきます。
「あなたならこの病気を治せることができます」
イエスは手を取り、「望もう、治ることを」というと、たちまちにして病気が治った。そして別れ際に、「だれにもこのことを話さないように」と言い残します。
しかし、男はうれしさのあまり、このことを言いふらします。噂はすぐに広まり、群がる人々をかき分けてこの町を出ます。
熱心に病気治しをした。このニュースを口コミで広げる。
そのためには、「だれにも言うな」がポイントなんです。下手な説教よりも具体的なサービスで話題を提供する。
これが大切です。
空海がいつも水が足りなくなる四国で満濃池というため池をそこかしこに造営したのも、同じことです。
イエスはコピーライターとしても優れていました。
1圧縮せよ
「人はパンのみにて生きるにあらず」
「求めよ、さらば与えられん」
「己を愛するかごとく、隣人を愛せ」
テレビCMなど、「15秒の狙撃者」と言われるのもポイントはこの圧縮にあります。
2シンプルであれ
形容詞を使いません。
「ある種まきが種を蒔いた」
「ある男に二人の息子がいた」
「ある男が砂の上に家を建てた」
「天の国は一粒のからし粒に似ている」
さわやかな中高音、リッチな低音という形容詞だらけのコピーがありますが、これではいったいなんのことかイメージが湧きません。
3「誠実さ」を示す
どんなに上手な表現も誠実さに裏打ちされないと、人は信用しません。
「地球にやさしく、私たちは環境との調和をめざします」
これはよくあるパターンの広告です。しかし、次の広告はどうでしょうか。五年前の外国自動車メーカーの広告です。
「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生み出しています」
この後、「だから、私たちはそうした問題を少しでも減らしていくために、いま、こんな努力をしています・・・」と続きます。
4繰り返せ
これは広告の鉄則です。これは古賀潤一郎さんはじめ、政治家の皆さんはよくご存じです。たすら、名前の連呼だもんね。そもそも、話す内容がないという噂もありますけど。
「紙は身なり父である、彼は実の子の幸せを思うどの父親よりも、すべての人間1人ひとりの幸せを願っている。彼の国は幸福である。彼の法は愛である」
ほらね、イエスさんって、広告の天才なんですね。
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3 「ありがとう笑名人」
高田文夫編著 白夜書房 2800円
わたし、この「笑名人」という雑誌、好きで、毎号欠かさずチェックしてます。この本は雑誌に掲載されたインタビュー記事をそっくり引っこ抜いてそのまま本にしたものだね。
参ったなぁ。けど、ほとんど中身、忘れてたから、新鮮に読めました。やっぱ、人間の忘却力というものは素晴らしい。
三木のり平、由利徹、松鶴、東八郎、そして志ん朝。この五人にスポットライトを浴びせてます。
志ん朝は元々、外交官になりたかった。けど、大学入試に落ちちゃった。彼、獨協高校ですからね。浪人するのも嫌だ。
で、親父さんに弟子入りします。
なんといっても、名人志ん生ですからね、親父が。ですから、プレッシャーも凄かったけど、持ち前の素質と努力でカバーします。
後に志ん生を継がないかと言われても、やっぱり、自分が大きくした志ん朝という名前に愛着があったんでしょう。なかなか、ウンと言わなかった。
この人、のり平さんにも可愛がられて、舞台にはよく出てましたね。
落語が元になって歌舞伎や舞台にかけられた演題は少なくありません。たとえば、「文七元結」などがそうですよね。「牡丹灯籠」「芝浜」もそうですね。
彼の十八番もこれでした。
志ん朝、円楽、柳朝あるいは円鏡(いまの橘家圓蔵さん)、それに談志で、当時、四天王と呼ばれました。
しのぎを削るいいライバルだったんですね。
それぞれやっぱり違いますよね。志ん朝さんが死んだ時、たしか、日経新聞に圓蔵さんが寄稿してました。
「落語家には三種類ある。うまい落語家、聴かせる落語か、そして面白い落語家。うまいのは志ん朝さんが、聴かせるのは談志さんが、だから、アタシは面白い落語家になろうとしたんです」
落語家、それも上のほうに行きますと、ほかの売れっ子とキャラがかぶらないようにきちんとマーケティングしてるんですね。
これは文珍さんもそうです(この人の落語、あまり好きじゃないんです。文我が好きだなぁ、わたしは)。
「三枝兄さんと同じ新作やっても、わたしら食うていけまへん。違う畑、探さんとね」
で、キャスターになり、大学の先生になり、古典を勉強した。これは芸で食べていく身には死活問題ですからね。必死に考えたと思いますよ。
さて、以前、談志さんの落語を聴きにいった時、「いまさら頑張っても、志ん朝は超えられねぇ」とこぼしてました。
たしかに、談志さんがいうようにうまい落語家です。やはり評者の指摘通り、「愛宕山」「品川心中」「文七元結」などは聴かせますよ。粋な男、艶っぽい女が登場する噺は抜群でした。それは彼自身がそういう体質の噺家だったからでしょう。
それが証拠に怪談物はまったく面白くなかったものね。
「ぼくらのナマカ」の東八郎さん、「おしゃまんべぇ」「チンチロリンのカックン」の由利徹さん、「社長漫遊記」で完全に主役を食ってしまった三木のり平さん。
もう笑うしかないキャスティングです。
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