2004年02月09日「白い巨塔」と「砂の器」のヒットが示すこと
カテゴリー価値ある情報」
蘇る角川商法
いま、視聴率で好評なのは2つのドラマ。
「白い巨塔」と「砂の器」だそうです。「白い」はたまに見る時もありますが、後者については放映されていることすら知りませんでしたが、家族が好きでよく見てるようです。
実はこの2つ。日本を代表する映画です。学生時代、池袋文芸座で何度も見た経験があります(凝り性なだけに少なくとも30回は見たはず)。
ドラマのおかげで文庫本、DVDがバカ売れとか。とくにDVDは、いま、テレビで放送しているドラマの予約注文ではなく、かつて、田宮二郎が主役財前五郎に扮した大映映画版のDVDだとか。丹波哲朗さん、加藤剛さんの「砂の器」も売れてます(わたし、両方とも持ってます。面白いことに、この2つの映画に加藤嘉さんという青俳出身の名優が登場しています。それぞれ大河内教授役、和賀英良こと元浦秀夫の父親役)。
「これは当たる」「オリジナル版も売れる!」と廃盤になってる作品をもう一度ブレスにかけることは、大変、勇気のいることですが、よくやりましたね。
かつて、「犬神家の一族」で映画と小説の2つをヒットさせたことから、メディミックスで成功することを角川商法と言いました。今回の商法はリメイクとオリジナル、そして文庫を売る「新しい形のメディアミックス」ですかねぇ。
いまの時代ヒットする企画はこれ!
「砂の器」は松本清張さんの原作ですが、正直、映画のほうがはるかに出来がいいです。というのも、原作は後半から謎解きの科学小説のようになって「人間」が見えなくなるからです。もちろん、原作がなければ映画のホン(脚本)もできなかったわけですけどね。
橋本忍さん、そして山田洋次さん(寅さん映画の監督)がホンを書きました。旅館で2人こもって書き上げます。かつて山田さんの本の中にこんなくだりがありました。
「山田くん、この小説を映画にした時、クライマックスはどこだと思う?」
「・・・」
「ここだよ、ここ。・・・わずかばかりの餞別をもらって村を追い出された父子2人が、雨や雪、いじめ、偏見といった迫害の中で、2人でしかわからない旅をしてきた。このシーンを日本の美しい四季を通じて描けないだろうか・・・」
ハンセン氏病を癒やすために巡礼の旅に出たんですね。それは地獄の日々でした。少年を人間不信にする出来事ばかりです。この苦難によって、かえって父子の愛情はさらに強く育まれていったのです。
テレビではどう描いたか(これからか?)は知りませんが、映画ではそれはそれは美しい映像でした。それだけに、父子の愛情の深さが輝いていました(わたし自身、父親だけにこのシーンはたまらないですね)。
「あげな思いをしてきた親と子だよ。オレはおまえのクビに縄をかけてでも引っ張ってくからな」(余命少ない父親の入院先に連れて行こうとした三木元巡査)
「和賀は父親と会いたかったでしょうね」(吉村刑事)
「そんなこと決まっとる! いま、彼は父親と合ってる。もう彼には音楽の中でしか父親に会えないんだ」(今西刑事)
音楽の世界、イメージの世界でしか会えない。けれども、「愛」で結ばれた父子ならば、それで十分通じ合えます。なぜなら、「愛」は距離や時間といった制約など簡単に超越してしまうからですね。
トレンディドラマは今後も相変わらず視聴率が取れるでしょう。しかし、いま、日本人はちょっと違う「愛」の形に惹かれているのかもしれません。愛は愛でも、恋愛に代表されるような愛ではなくて、もっともっと強くて神々しい普遍の「愛」ですね。
どんなことがあっても絶対に変わらぬ愛・・・への共感というか憧れ(それだけ心が冷えて寒い人が増えているということかなぁ)。
さて、これからテレビでヒットするとしたら、「白い巨塔」と同じく山崎豊子さんの「華麗なる一族」かもしれません。
「小が大を呑む」という金融界の群雄割拠をベースにした作品でしたけど、いまの時代を見れば、まさにドンピシャ。日本の金融機関の栄華と破綻、そして地獄。外資系金融機関でもある新生銀行みたいのも登場させれば面白いんじゃないかなぁ。
ところで、吉野家が牛丼を500円で出すらしいね。この値段は和牛だからしょうがないけど、店舗を限るにしても、有終の美があるからこそフィーバーするのであって、いつでも食べられるとなったら、下手すると、価格を上げ下げして愛想を尽かされたマクドナルドの二の舞になるんじゃないかぁ?
いま、視聴率で好評なのは2つのドラマ。
「白い巨塔」と「砂の器」だそうです。「白い」はたまに見る時もありますが、後者については放映されていることすら知りませんでしたが、家族が好きでよく見てるようです。
実はこの2つ。日本を代表する映画です。学生時代、池袋文芸座で何度も見た経験があります(凝り性なだけに少なくとも30回は見たはず)。
ドラマのおかげで文庫本、DVDがバカ売れとか。とくにDVDは、いま、テレビで放送しているドラマの予約注文ではなく、かつて、田宮二郎が主役財前五郎に扮した大映映画版のDVDだとか。丹波哲朗さん、加藤剛さんの「砂の器」も売れてます(わたし、両方とも持ってます。面白いことに、この2つの映画に加藤嘉さんという青俳出身の名優が登場しています。それぞれ大河内教授役、和賀英良こと元浦秀夫の父親役)。
「これは当たる」「オリジナル版も売れる!」と廃盤になってる作品をもう一度ブレスにかけることは、大変、勇気のいることですが、よくやりましたね。
かつて、「犬神家の一族」で映画と小説の2つをヒットさせたことから、メディミックスで成功することを角川商法と言いました。今回の商法はリメイクとオリジナル、そして文庫を売る「新しい形のメディアミックス」ですかねぇ。
いまの時代ヒットする企画はこれ!
「砂の器」は松本清張さんの原作ですが、正直、映画のほうがはるかに出来がいいです。というのも、原作は後半から謎解きの科学小説のようになって「人間」が見えなくなるからです。もちろん、原作がなければ映画のホン(脚本)もできなかったわけですけどね。
橋本忍さん、そして山田洋次さん(寅さん映画の監督)がホンを書きました。旅館で2人こもって書き上げます。かつて山田さんの本の中にこんなくだりがありました。
「山田くん、この小説を映画にした時、クライマックスはどこだと思う?」
「・・・」
「ここだよ、ここ。・・・わずかばかりの餞別をもらって村を追い出された父子2人が、雨や雪、いじめ、偏見といった迫害の中で、2人でしかわからない旅をしてきた。このシーンを日本の美しい四季を通じて描けないだろうか・・・」
ハンセン氏病を癒やすために巡礼の旅に出たんですね。それは地獄の日々でした。少年を人間不信にする出来事ばかりです。この苦難によって、かえって父子の愛情はさらに強く育まれていったのです。
テレビではどう描いたか(これからか?)は知りませんが、映画ではそれはそれは美しい映像でした。それだけに、父子の愛情の深さが輝いていました(わたし自身、父親だけにこのシーンはたまらないですね)。
「あげな思いをしてきた親と子だよ。オレはおまえのクビに縄をかけてでも引っ張ってくからな」(余命少ない父親の入院先に連れて行こうとした三木元巡査)
「和賀は父親と会いたかったでしょうね」(吉村刑事)
「そんなこと決まっとる! いま、彼は父親と合ってる。もう彼には音楽の中でしか父親に会えないんだ」(今西刑事)
音楽の世界、イメージの世界でしか会えない。けれども、「愛」で結ばれた父子ならば、それで十分通じ合えます。なぜなら、「愛」は距離や時間といった制約など簡単に超越してしまうからですね。
トレンディドラマは今後も相変わらず視聴率が取れるでしょう。しかし、いま、日本人はちょっと違う「愛」の形に惹かれているのかもしれません。愛は愛でも、恋愛に代表されるような愛ではなくて、もっともっと強くて神々しい普遍の「愛」ですね。
どんなことがあっても絶対に変わらぬ愛・・・への共感というか憧れ(それだけ心が冷えて寒い人が増えているということかなぁ)。
さて、これからテレビでヒットするとしたら、「白い巨塔」と同じく山崎豊子さんの「華麗なる一族」かもしれません。
「小が大を呑む」という金融界の群雄割拠をベースにした作品でしたけど、いまの時代を見れば、まさにドンピシャ。日本の金融機関の栄華と破綻、そして地獄。外資系金融機関でもある新生銀行みたいのも登場させれば面白いんじゃないかなぁ。
ところで、吉野家が牛丼を500円で出すらしいね。この値段は和牛だからしょうがないけど、店舗を限るにしても、有終の美があるからこそフィーバーするのであって、いつでも食べられるとなったら、下手すると、価格を上げ下げして愛想を尽かされたマクドナルドの二の舞になるんじゃないかぁ?