2006年09月18日「無法松の一生」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「ぼんぼんをぼんぼん言うちゃいけん。なら、どう言えばよかとですか?」
「そうですねぇ。吉岡さんとでも呼んでもらえれば」
「吉岡さん・・・ですか。なんや、他人様のようですなぁ」
時代は日露戦争の前後。まだ、ちょんまげを結ってる人も少なくない時代の話だ。
北九州の小倉に富島松五郎という人力車夫がいた・・・ご存じ、「無法松」でっせ。
この男、暴れん坊で知られ、警察の剣術指南を相手に大立ち回りを演じる無法者。だから、あだ名が「無法松」。でも、曲がったことが大嫌い。弱きを助け、強きをくじく。みなに愛される町の人気者。いわば、北九州の名物男よ。
この映画、私が観てるだけでも無法松を板妻、勝新太郎、三国連太郎、三船敏郎の4人が演じてます。
いちばん好きなのはやっぱ三船だなぁ。
未亡人役の高峰秀子さんもいいけどさ、世界の三船はやっぱり演技がうまいよ。人力車のひき方、祇園太鼓のばちさばき、車夫の歩き方、けんか・・・1つ1つの演技が自然だもの。
なるほど、偉い人の前になるとこういう座り方をするのか、こんな酒の飲み方をするのか、間合いや距離の取り方・・・よっく考えて芝居してますよ、この人は。
無法松には学はない。しかし、じっくり話せばちゃんと聞く。聞けば分別というか、ものの道理を理解する。基本的に教養はあるんだ。
けどさ、漱石の「坊ちゃん」と似たところがあって、その前に動いちゃうんだな。そそっかしいのよ。で、あとでいつも後悔する。後悔しても同じことを繰り返す。そういえば、私も亡き母からいつもそう言われたものだ。
「おまえは酉年だから3歩も歩くとすべて忘れる。学習効果0」
な〜るほど、そうか、酉年がすべて悪いんだな。無法松も酉年だったのかもしれない。
ある日、松五郎は木から落ちて泣いてる少年を見かけた。頭と足にけがをしてる。
「ぼんぼん、泣くな。どこの子だ?」
少年を家に送り届けると、そこは陸軍大尉吉岡小太郎の家。医者に送り届けると謝礼ももらわず帰ってしまう。
「わしらみたいなつまらんもんでも、たまには損得抜きで人様の役に立ちたいと思うことがあるんです」
「それは松五郎という名物男だ。そうか、あの無法松がのぉ。これは愉快だ」
帰ってきた吉岡小太郎はいきなり大笑い。
「なにがそんなにおかしいんですか?」
「いやなに、そうか、無法松か。これは傑作じゃ」
後日、松五郎を自宅に招く。
「俺は貴様のことがえろう気に入った。貴様はいい男じゃ。軍隊にいれば少将にはなれるぞ」
「わしは少将にはならん」
「なに?」
「大将になる!」
「すまんすまん、大将じゃな。貴様なら大将になれるぞ。それにしても寒いな」
その後、小太郎は風邪をこじらせて急死する。
「この子は吉岡から預かった大切な子です。ただ、父親ほど強くない。折りがある時、この子を鍛えてやってくださいませんか?」
松五郎はことあるごとに吉岡家に出入りするようになる。ぼんぼんも松五郎が好きでしょうがなかった。
小倉小学校の運動会。吉岡母子と一緒に松五郎も観戦。そして、「飛び入り500m徒歩競争」に参加することになる。
「おじさん、勝てるんか?」
「おじさんはなんもでけんけど、走ることだけは得意じゃ。ぼんが大きな声で応援してくれたら必ず勝てる」
ぼんは大声を出して懸命に応援するんだな。いままで、こんな男の子らしい姿を母親は見たことがなかった。
時は流れ、大正時代になると、ぼんも中学4年。いよいよ、受験だ。
九州はバンカラで他校とのけんかは日常茶飯事。運動会みたいなものだ。仲間に誘われてけんかに出ていったけれど、母親は気が気でない。
「ぼんぼんも喧嘩するような若い衆になりよったんか。奥さん、大丈夫じゃ。わしが怪我なんぞさせやせんけん」
現場でみていると下手でみていられない。しかも逃げ出して松五郎に助けを求める始末だ。
「ぼん、卑怯じゃ。いいか、よう見ちょれ、けんかはこうやってやるんじゃ!」
結局、松五郎は1人で両校の学生をみなのばしてしまうのよ。
ぼんは熊本の五高に進学。夏休みに小倉の祇園太鼓を聞きたいという先生を連れて帰ってきた。
「祇園太鼓? いま、打てるもんは小倉にはおらんじゃろう」
「そうですか」とがっくり。
「じゃ、わしがちょっと真似事をしてみましょうかいのぉ」
「おじさん、打てるんか?」
観客がひしめく中、山車に乗り込み、太鼓を打つ。
「まずはカエル打ちじゃ」
「これが流れ打ちじゃい」
「祇園太鼓の暴れ打ちじゃ!」
鉢巻き姿、もろ肌脱いだ無法松。三船さんが太鼓、巧いんだよ。リズム感もいいしね。筋肉が踊ってるんだな。
「おい、あれをたたいてるのはだれじゃ? 小倉にはもうだれも打ちよらんと思うとったが」
「なんじゃ、じいさん。あれがあんたがいつも言ってる祇園太鼓か?」
「そうじゃ、あれが本物の祇園太鼓じゃ。もう聞けんと思うとった。長生きはするもんじゃのぉ。おまえもよっく聞いとけ」
運動会のシーンもいいけど、この祇園太鼓のシーンは映画のクライマックスだと思う。髪にすっかり白いものが混じった無法松にとって、最後のエネルギーがほとばしる瞬間だもの。
これだけの男がいくら勧められても結婚だけは頑としてしなかった。
ぼんぼんが可愛いし、未亡人への思慕もないまぜになってわけがわからなかったんだ、と思う。踏ん切りがつかない。ぶきっちょな男だもの、そんなに巧く生きられないわな。好きになってはいけないと思っても、恋ってのは気づかないうちに落ちてるもの。
好きになっちゃいけないと思えば思うほど、どんどん好きになっちゃう。それが恋(らしいよ)。
花火が空を焦がす夜に松五郎は吉岡家にやってくる。なにもいえず、突然、亡き吉岡大尉の霊前にぬかずいて泣き出してしまう。
「奥さん・・・俺は寂しかったんじゃ」
「ど、どうしたとですか?」
「奥さん、俺の心は汚い! もうお会いしません」
以来、松五郎は吉岡家には現れなかった。
松五郎の父親は酒がたたって心臓麻痺で死んだ。雪の日。酔った松五郎はぼんが通った小学校の校庭で倒れるんだ。
死ぬ間際、人は走馬燈のように人生をプレイバックするというけど、松五郎もいろんな思い出を反芻した。そのすべてが吉岡母子のことだった。
死んだ松五郎の行李を調べると、吉岡家からの手紙、謝礼がまったく封も切られずに保管されていた。その上、未亡人とぼん名義の預金通帳にそれぞれ500円。
♪ボロは着てても心の錦。どんな花よりきれいだぜ♪
ベネチア映画祭でグランプリ。現代でも十分通用する名作中の名作。
これさ、ジャニーズで撮っても意外と受けるんじゃないか? どうだろう、松岡君?
「そうですねぇ。吉岡さんとでも呼んでもらえれば」
「吉岡さん・・・ですか。なんや、他人様のようですなぁ」
時代は日露戦争の前後。まだ、ちょんまげを結ってる人も少なくない時代の話だ。
北九州の小倉に富島松五郎という人力車夫がいた・・・ご存じ、「無法松」でっせ。
この男、暴れん坊で知られ、警察の剣術指南を相手に大立ち回りを演じる無法者。だから、あだ名が「無法松」。でも、曲がったことが大嫌い。弱きを助け、強きをくじく。みなに愛される町の人気者。いわば、北九州の名物男よ。
この映画、私が観てるだけでも無法松を板妻、勝新太郎、三国連太郎、三船敏郎の4人が演じてます。
いちばん好きなのはやっぱ三船だなぁ。
未亡人役の高峰秀子さんもいいけどさ、世界の三船はやっぱり演技がうまいよ。人力車のひき方、祇園太鼓のばちさばき、車夫の歩き方、けんか・・・1つ1つの演技が自然だもの。
なるほど、偉い人の前になるとこういう座り方をするのか、こんな酒の飲み方をするのか、間合いや距離の取り方・・・よっく考えて芝居してますよ、この人は。
無法松には学はない。しかし、じっくり話せばちゃんと聞く。聞けば分別というか、ものの道理を理解する。基本的に教養はあるんだ。
けどさ、漱石の「坊ちゃん」と似たところがあって、その前に動いちゃうんだな。そそっかしいのよ。で、あとでいつも後悔する。後悔しても同じことを繰り返す。そういえば、私も亡き母からいつもそう言われたものだ。
「おまえは酉年だから3歩も歩くとすべて忘れる。学習効果0」
な〜るほど、そうか、酉年がすべて悪いんだな。無法松も酉年だったのかもしれない。
ある日、松五郎は木から落ちて泣いてる少年を見かけた。頭と足にけがをしてる。
「ぼんぼん、泣くな。どこの子だ?」
少年を家に送り届けると、そこは陸軍大尉吉岡小太郎の家。医者に送り届けると謝礼ももらわず帰ってしまう。
「わしらみたいなつまらんもんでも、たまには損得抜きで人様の役に立ちたいと思うことがあるんです」
「それは松五郎という名物男だ。そうか、あの無法松がのぉ。これは愉快だ」
帰ってきた吉岡小太郎はいきなり大笑い。
「なにがそんなにおかしいんですか?」
「いやなに、そうか、無法松か。これは傑作じゃ」
後日、松五郎を自宅に招く。
「俺は貴様のことがえろう気に入った。貴様はいい男じゃ。軍隊にいれば少将にはなれるぞ」
「わしは少将にはならん」
「なに?」
「大将になる!」
「すまんすまん、大将じゃな。貴様なら大将になれるぞ。それにしても寒いな」
その後、小太郎は風邪をこじらせて急死する。
「この子は吉岡から預かった大切な子です。ただ、父親ほど強くない。折りがある時、この子を鍛えてやってくださいませんか?」
松五郎はことあるごとに吉岡家に出入りするようになる。ぼんぼんも松五郎が好きでしょうがなかった。
小倉小学校の運動会。吉岡母子と一緒に松五郎も観戦。そして、「飛び入り500m徒歩競争」に参加することになる。
「おじさん、勝てるんか?」
「おじさんはなんもでけんけど、走ることだけは得意じゃ。ぼんが大きな声で応援してくれたら必ず勝てる」
ぼんは大声を出して懸命に応援するんだな。いままで、こんな男の子らしい姿を母親は見たことがなかった。
時は流れ、大正時代になると、ぼんも中学4年。いよいよ、受験だ。
九州はバンカラで他校とのけんかは日常茶飯事。運動会みたいなものだ。仲間に誘われてけんかに出ていったけれど、母親は気が気でない。
「ぼんぼんも喧嘩するような若い衆になりよったんか。奥さん、大丈夫じゃ。わしが怪我なんぞさせやせんけん」
現場でみていると下手でみていられない。しかも逃げ出して松五郎に助けを求める始末だ。
「ぼん、卑怯じゃ。いいか、よう見ちょれ、けんかはこうやってやるんじゃ!」
結局、松五郎は1人で両校の学生をみなのばしてしまうのよ。
ぼんは熊本の五高に進学。夏休みに小倉の祇園太鼓を聞きたいという先生を連れて帰ってきた。
「祇園太鼓? いま、打てるもんは小倉にはおらんじゃろう」
「そうですか」とがっくり。
「じゃ、わしがちょっと真似事をしてみましょうかいのぉ」
「おじさん、打てるんか?」
観客がひしめく中、山車に乗り込み、太鼓を打つ。
「まずはカエル打ちじゃ」
「これが流れ打ちじゃい」
「祇園太鼓の暴れ打ちじゃ!」
鉢巻き姿、もろ肌脱いだ無法松。三船さんが太鼓、巧いんだよ。リズム感もいいしね。筋肉が踊ってるんだな。
「おい、あれをたたいてるのはだれじゃ? 小倉にはもうだれも打ちよらんと思うとったが」
「なんじゃ、じいさん。あれがあんたがいつも言ってる祇園太鼓か?」
「そうじゃ、あれが本物の祇園太鼓じゃ。もう聞けんと思うとった。長生きはするもんじゃのぉ。おまえもよっく聞いとけ」
運動会のシーンもいいけど、この祇園太鼓のシーンは映画のクライマックスだと思う。髪にすっかり白いものが混じった無法松にとって、最後のエネルギーがほとばしる瞬間だもの。
これだけの男がいくら勧められても結婚だけは頑としてしなかった。
ぼんぼんが可愛いし、未亡人への思慕もないまぜになってわけがわからなかったんだ、と思う。踏ん切りがつかない。ぶきっちょな男だもの、そんなに巧く生きられないわな。好きになってはいけないと思っても、恋ってのは気づかないうちに落ちてるもの。
好きになっちゃいけないと思えば思うほど、どんどん好きになっちゃう。それが恋(らしいよ)。
花火が空を焦がす夜に松五郎は吉岡家にやってくる。なにもいえず、突然、亡き吉岡大尉の霊前にぬかずいて泣き出してしまう。
「奥さん・・・俺は寂しかったんじゃ」
「ど、どうしたとですか?」
「奥さん、俺の心は汚い! もうお会いしません」
以来、松五郎は吉岡家には現れなかった。
松五郎の父親は酒がたたって心臓麻痺で死んだ。雪の日。酔った松五郎はぼんが通った小学校の校庭で倒れるんだ。
死ぬ間際、人は走馬燈のように人生をプレイバックするというけど、松五郎もいろんな思い出を反芻した。そのすべてが吉岡母子のことだった。
死んだ松五郎の行李を調べると、吉岡家からの手紙、謝礼がまったく封も切られずに保管されていた。その上、未亡人とぼん名義の預金通帳にそれぞれ500円。
♪ボロは着てても心の錦。どんな花よりきれいだぜ♪
ベネチア映画祭でグランプリ。現代でも十分通用する名作中の名作。
これさ、ジャニーズで撮っても意外と受けるんじゃないか? どうだろう、松岡君?