2006年11月26日「泥の河」
カテゴリー中島孝志の不良映画日記」
「映画を作る」ということは、「撮りたい」という監督がいて、「書きたい」という脚本家がいて、「演じたい」という役者がいて、「世に問いたい」というプロデューサーがいて・・・そしてそして、「観たい」というお客さんがいて、はじめて成立するものです。
小栗康平さん、という監督がいらっしゃいます。寡作ですが、きっちりとした密度の濃い仕事を丁寧にされている方ですね。
第1回監督作品は「泥の河」。1981年の作品です。
原作は宮本輝さんの同名小説。宮本さんは「螢川」で芥川賞を受賞した作家です。作品としての完成度は、こちらのほうが「泥の河」よりずっと上でしょうね。
小栗さんが「螢川」ではなく「泥の河」で撮りたい、と考えた意味は小さくありませんな・・・。
「三鷹市の図書館でたまたま手にしたのが、『泥の河』との最初の出会いである。金もなく、仕事もなく、いや仕事はあったけれど助監督という仕事にうんざりしていて、かといって一本立ちできる見通しがあるのではなく(中略)・・・すぐこれを映画にしたいと思ったわけではない」(小栗康平著 「時間をほどく」−−朝日新聞社)
「ポンと背中を押してくれる人がいないとなかなか監督にはなれない。自分で監督になるんだ、という強い気持ちにもなれない」
「幸運なことに、私はそういう人と出会った」
小栗さんが出会ったのは、木村元保という人です。
木村さんは世田谷で鉄工所を経営する社長さん。無類の映画好きで、8ミリ、16ミリのアマチュア撮影家の間では有名な人でした。この木村さん、病高じて、とうとう35ミリの劇映画を撮りたくなってしまいます。ドイツ製のステンベックという高級編集機材も持っていて、小栗さんが何回か彼の編集室に出入りするうちに、助監督やらないか、という話があったんです。
「こんな人の助監督だけはかなわんな」
返事を渋ってるうちに、企画自体がつぶれてしまうわけね。
ところが、なにかの拍子に「おい、おまえ、監督やれ」と突然、言われちゃう。まだなにも決まってないの。けど、木村さんという人はそういう人だからさ(自分の監督作品は後回し。後年、「ナナカマドの挽歌」という作品を撮ります。このビデオも持ってるよん!)。
とにかく、映画のそばで呼吸してると楽しい、って人だったんでしょうね。けどさ、よく考えると、木村プロダクションの作品には「泥の河」のほかにも、「大地の子守歌(原田美枝子さん)」とか「曽根崎心中(宇崎竜堂さん)」等々があんだよね。もちろん、自主製作、自主公開なんだけど、いまでもプレミアがつくくらい人気のある作品だよね。
「シングルカットしてほしい」という声は多いだろうね。
「作り手は、はじめて作品というものが形をなすとき、それまでに至った自身の歴史を見つめざるをえない。私はこういう気持ちでこれまで生きてきて、こういう思いで小説を書くようになりました。あるいは、映画というものを撮るようになりました。そんな報告をしたいのだと思う。だれに? 父、あるいは母、自分を生み、育ててくれた人へ、である。
戦争を経験し、戦後の混乱を生き延び、息子や娘を育てた父と母の世代、「泥の河」には同世代としての共感がある」
「ここで描かれた戦後は、そっくりそのまま私のものでもあった。うどん屋ののぶちゃんが「きっちゃーん」と泣き叫びながら舟を追うとき、のぶちゃんの揺りかごとしての少年期が、そのとき終わったのだ。
映画は貧しい製作予算の中で出発したけれど、その普遍性によって、いまもなお世界中の人々から愛されている」
時代は昭和31年、舞台は大阪・安治川。うどん屋(田村高廣さん)の息子のぶちゃん(信雄)は大雨の日に、くず鉄を盗もうとしてたきっちゃん(喜一)と知り合います。
きっちゃんは学校にも行かず舟で暮らしてる少年。姉1人、母(加賀まりこさん)1人。で、きっちゃんのおかぁさんは船頭をしてた夫亡き後、舟で客をとって2人の子どもを育ててるわけ。つまり、きっちゃん一家が暮らしてる舟は通称、「郭舟」と呼ばれるものだったのね。
「郭舟があれば松島や飛田にわざわざいかんでも遊べるんや。引いてる時は子どもが客引きしとるそうやで」
そんな酔客の話に、きっちゃんはじっと身を固くするだけ。
「友達の条件」というものが1つだけあるとすれば、それは「気兼ねしないこと」かもしれませんね。気兼ねとか遠慮とす、変なわだかまりみたいものがあると、どうもぎくしゃくしちゃうものね。友達というのは、いつだって、オレとおまえの間柄。だから、安心できるのよ。
天神祭の後、2人はせっかくもらった50円の小遣いを落とします。がっくり落ち込んだのぶちゃんを慰めようと、きっちゃんは宝物を披露するんだな。
これが蟹の巣。
蟹にアルコールを浸しては火をつける。逃げまどう蟹を追いかけるのぶちゃん。ひょんなことで、舟の中で見てはならぬものを見てしまうわけさ。
見つめ合う2人。きっちゃんの瞳の中にある絶望的な悲しさを、この時、のぶちゃんは思い知ります。すーっと涙が頬を伝います。
翌朝早く、舟が動いていることを知らされます。予感はしてたけどね。
「喧嘩でもしたんか?」
慌てて起きると、のぶちゃんは陸が続く限り、きっちゃんの舟を追いかけます。もちろん、返事はないけどね・・・。
小学3年生の少年2人を主人公にしたモノクロ映画は、いきなり、アカデミー賞「外国語映画賞」にノミネートされました。
この作品、DVDボックスでしか手に入りません。19740円もすんだけど、「映画を育てる」という意味でもぜひご覧ください。感動は早めに、確定申告も早めに・・・。
小栗康平さん、という監督がいらっしゃいます。寡作ですが、きっちりとした密度の濃い仕事を丁寧にされている方ですね。
第1回監督作品は「泥の河」。1981年の作品です。
原作は宮本輝さんの同名小説。宮本さんは「螢川」で芥川賞を受賞した作家です。作品としての完成度は、こちらのほうが「泥の河」よりずっと上でしょうね。
小栗さんが「螢川」ではなく「泥の河」で撮りたい、と考えた意味は小さくありませんな・・・。
「三鷹市の図書館でたまたま手にしたのが、『泥の河』との最初の出会いである。金もなく、仕事もなく、いや仕事はあったけれど助監督という仕事にうんざりしていて、かといって一本立ちできる見通しがあるのではなく(中略)・・・すぐこれを映画にしたいと思ったわけではない」(小栗康平著 「時間をほどく」−−朝日新聞社)
「ポンと背中を押してくれる人がいないとなかなか監督にはなれない。自分で監督になるんだ、という強い気持ちにもなれない」
「幸運なことに、私はそういう人と出会った」
小栗さんが出会ったのは、木村元保という人です。
木村さんは世田谷で鉄工所を経営する社長さん。無類の映画好きで、8ミリ、16ミリのアマチュア撮影家の間では有名な人でした。この木村さん、病高じて、とうとう35ミリの劇映画を撮りたくなってしまいます。ドイツ製のステンベックという高級編集機材も持っていて、小栗さんが何回か彼の編集室に出入りするうちに、助監督やらないか、という話があったんです。
「こんな人の助監督だけはかなわんな」
返事を渋ってるうちに、企画自体がつぶれてしまうわけね。
ところが、なにかの拍子に「おい、おまえ、監督やれ」と突然、言われちゃう。まだなにも決まってないの。けど、木村さんという人はそういう人だからさ(自分の監督作品は後回し。後年、「ナナカマドの挽歌」という作品を撮ります。このビデオも持ってるよん!)。
とにかく、映画のそばで呼吸してると楽しい、って人だったんでしょうね。けどさ、よく考えると、木村プロダクションの作品には「泥の河」のほかにも、「大地の子守歌(原田美枝子さん)」とか「曽根崎心中(宇崎竜堂さん)」等々があんだよね。もちろん、自主製作、自主公開なんだけど、いまでもプレミアがつくくらい人気のある作品だよね。
「シングルカットしてほしい」という声は多いだろうね。
「作り手は、はじめて作品というものが形をなすとき、それまでに至った自身の歴史を見つめざるをえない。私はこういう気持ちでこれまで生きてきて、こういう思いで小説を書くようになりました。あるいは、映画というものを撮るようになりました。そんな報告をしたいのだと思う。だれに? 父、あるいは母、自分を生み、育ててくれた人へ、である。
戦争を経験し、戦後の混乱を生き延び、息子や娘を育てた父と母の世代、「泥の河」には同世代としての共感がある」
「ここで描かれた戦後は、そっくりそのまま私のものでもあった。うどん屋ののぶちゃんが「きっちゃーん」と泣き叫びながら舟を追うとき、のぶちゃんの揺りかごとしての少年期が、そのとき終わったのだ。
映画は貧しい製作予算の中で出発したけれど、その普遍性によって、いまもなお世界中の人々から愛されている」
時代は昭和31年、舞台は大阪・安治川。うどん屋(田村高廣さん)の息子のぶちゃん(信雄)は大雨の日に、くず鉄を盗もうとしてたきっちゃん(喜一)と知り合います。
きっちゃんは学校にも行かず舟で暮らしてる少年。姉1人、母(加賀まりこさん)1人。で、きっちゃんのおかぁさんは船頭をしてた夫亡き後、舟で客をとって2人の子どもを育ててるわけ。つまり、きっちゃん一家が暮らしてる舟は通称、「郭舟」と呼ばれるものだったのね。
「郭舟があれば松島や飛田にわざわざいかんでも遊べるんや。引いてる時は子どもが客引きしとるそうやで」
そんな酔客の話に、きっちゃんはじっと身を固くするだけ。
「友達の条件」というものが1つだけあるとすれば、それは「気兼ねしないこと」かもしれませんね。気兼ねとか遠慮とす、変なわだかまりみたいものがあると、どうもぎくしゃくしちゃうものね。友達というのは、いつだって、オレとおまえの間柄。だから、安心できるのよ。
天神祭の後、2人はせっかくもらった50円の小遣いを落とします。がっくり落ち込んだのぶちゃんを慰めようと、きっちゃんは宝物を披露するんだな。
これが蟹の巣。
蟹にアルコールを浸しては火をつける。逃げまどう蟹を追いかけるのぶちゃん。ひょんなことで、舟の中で見てはならぬものを見てしまうわけさ。
見つめ合う2人。きっちゃんの瞳の中にある絶望的な悲しさを、この時、のぶちゃんは思い知ります。すーっと涙が頬を伝います。
翌朝早く、舟が動いていることを知らされます。予感はしてたけどね。
「喧嘩でもしたんか?」
慌てて起きると、のぶちゃんは陸が続く限り、きっちゃんの舟を追いかけます。もちろん、返事はないけどね・・・。
小学3年生の少年2人を主人公にしたモノクロ映画は、いきなり、アカデミー賞「外国語映画賞」にノミネートされました。
この作品、DVDボックスでしか手に入りません。19740円もすんだけど、「映画を育てる」という意味でもぜひご覧ください。感動は早めに、確定申告も早めに・・・。