2007年10月10日「人生なんて夢だけど」 やなせたかし著 フレーベル館 1575円
「日経のBizPlus」が更新されました。毎日新聞のウエブも更新されてます。一緒に読んでくださいね。
「社長の愛した数式」は1日5万人超のアクセス。今回は「小林製薬」の第1回目。すごい会社です。「BizPlus」は20人の執筆者で計18万人の読者。早い話が小生のコラムがダントツ人気なんです。べつに自慢してるわけで・・・す。
若手ビジネスパーソン、就活生向けの毎日新聞Webサイト「中島孝志の おとなの仕事相談室」も宜しく。
いやぁ、国会論戦おもしろいですなぁ。ながらテレビにしてますけど、思わず見てしまいます。仕事になんないよお。
ラジオ? ラジオなんかにしたら、完全に聞いちゃうからダメダメ。テレビだから、まだいい加減に聞けてます。
さて、「アンパンマン」の作者ですね。元もとは「あんぱんまん」ね。
この本さ、中日新聞、東京新聞、高知新聞等に書いてたのを1冊にまとめたヤツ。この人、高知出身だからね。
けどさ、おいおいおい、このくらいの国民的漫画家なんだから、日経の「私の履歴書」に連載してもらうべきだったんじゃないの? 日経の担当者の方、ちょっと怠慢じゃない?
やなせ先生、いま、88歳。漫画家、ドラマの構成作家、歌手、作曲家、作詞家・・・いろんな仕事をしてます。作詞家としては「手のひらを太陽に」なんかやってんのよ。
「へぇ」という情報がいろいろあんのね。たとえば、若い頃、ボニージャックスの事務所で3年間お世話になってた、ということ。もち、歌手としてじゃなく、ステージで絵を描いたり、構成作家をしたり、司会をしたりしてたのね。
それが縁でやなせ先生が歌手・作曲家デビューのCDアルバムに彼らが友情出演してくれてるわけ。ボニーといえば、早大のグリークラブ出身だっけ?
1939年、東京高等工芸(いまの千葉大)の工芸図案科を卒業。で、東京田辺製薬の宣伝部に入社。
ここの社長(内藤豊次さん)が広告の鬼と言われた人でね。後にエーザイの社長になります。で、徹底的にしごかれるわけ。
ここは梁山泊で、やはり、後に「赤いランプの終列車(春日八郎さんの歌)」の作詞家となる大倉芳郎さんとかがいたんだよね。そのほか、漫画の草分け原心天の子息原勲さんとかね。
その後、日本橋三越の宣伝部に移ります。
これも生意気で面接で落ちてるの。けど、重役が同郷で、その人が拾ってくれたわけ。この時、いろんな人と出会ってそれが仕事に生きてくるわけ。
1962年、テレビの勃興期ともいうべき時代に、ニュースショーの構成をしたりね。司会が宮城まり子さん。この時、テーマソングに作ったのが「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)。
「映画芸術」という小さな雑誌にも映画評を書いたりしてた。試写を見て絵と文を書くわけ。これが評判が良くて3冊の雑誌に映画評を書くことになります。
その中の1つが「映画ストーリー」。原稿を取りに来たのが、ベレー帽をかぶり目の大きな女性。向田邦子さんだったのね。
「フリーでシナリオ書いてるんです」なんて聞いたから、知り合いに紹介して2本シナリオを書いてもらったらしい。やめときゃいいのに、少し手直ししたんだって。
で、後に「『父の詫び状』というエッセーを連載するんで挿絵を描いてくださいませんか?」と依頼があったりね。
人の縁というのは面白いね。
ラジオでも毎日、コントを書いてたのね。文化放送がいちばん多かったらしいよ。
「アンパンマン」とかの連載でもこういう下地があるからストーリーテラーとして一流なのかな。
けど、本人としてはキャラクター制作は得意だけど、物語は苦手だったみたいね。
1967年、こんな電話がありました。
「あ〜もしもし手塚です。今度、日本ヘラルドと組んで長編アニメを作ります。美術監督はみなで相談して、やなせさんがいいということになりました」
天下の手塚治虫さんからの依頼。10歳下だけど、あちらはもう神様だからね。
で、できたのが「千一夜物語」。配役を見て、「主人公のアルディンはこんな顔かな・・・」「適役は、ヒロインは」とイメージボードに描くわけ。これが面白くてたまらない。キャラがすぐに浮かんでくる。顔つきとか身体がすらすら描ける。
「アンパンマン」にしたって、1973年ですよ。描いたのは。けど、これが鳴かず飛ばず。まっ、絵本1冊しか描いてないからね。関係者からも不評。
「顔を食べさせるなんてどういうこと?」「子どもには読ませたくない」「図書館に置くな」・・・なんてね。
ところが、ある日、カメラ屋さんに行くと「うちの坊主がアンパンマンが好きでね、毎晩、読んでくれともってくるんですよ」。こんなことをあちこちで聞くようになった。
これが5年後のこと。で、突然、爆発すんの。
やなせさんといえば、アンパンマン。ほかにもいろいろ描いてるけど、これしか知らない人が多いと思う。本人、漫画以外にもいろんなことやってるんだよね。
この幅の広さがいいね。200円高。
※情報連絡−−「特別セミナー」を開催します!
「中島孝志の特別セミナー」の開催が決まりました。「仕事脳をとことん鍛える!」というテーマのもと、講師2人による特別セミナーです! 詳細は左の開催案内をチェックしてね。
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いやぁ、国会論戦おもしろいですなぁ。ながらテレビにしてますけど、思わず見てしまいます。仕事になんないよお。
ラジオ? ラジオなんかにしたら、完全に聞いちゃうからダメダメ。テレビだから、まだいい加減に聞けてます。
さて、「アンパンマン」の作者ですね。元もとは「あんぱんまん」ね。
この本さ、中日新聞、東京新聞、高知新聞等に書いてたのを1冊にまとめたヤツ。この人、高知出身だからね。
けどさ、おいおいおい、このくらいの国民的漫画家なんだから、日経の「私の履歴書」に連載してもらうべきだったんじゃないの? 日経の担当者の方、ちょっと怠慢じゃない?
やなせ先生、いま、88歳。漫画家、ドラマの構成作家、歌手、作曲家、作詞家・・・いろんな仕事をしてます。作詞家としては「手のひらを太陽に」なんかやってんのよ。
「へぇ」という情報がいろいろあんのね。たとえば、若い頃、ボニージャックスの事務所で3年間お世話になってた、ということ。もち、歌手としてじゃなく、ステージで絵を描いたり、構成作家をしたり、司会をしたりしてたのね。
それが縁でやなせ先生が歌手・作曲家デビューのCDアルバムに彼らが友情出演してくれてるわけ。ボニーといえば、早大のグリークラブ出身だっけ?
1939年、東京高等工芸(いまの千葉大)の工芸図案科を卒業。で、東京田辺製薬の宣伝部に入社。
ここの社長(内藤豊次さん)が広告の鬼と言われた人でね。後にエーザイの社長になります。で、徹底的にしごかれるわけ。
ここは梁山泊で、やはり、後に「赤いランプの終列車(春日八郎さんの歌)」の作詞家となる大倉芳郎さんとかがいたんだよね。そのほか、漫画の草分け原心天の子息原勲さんとかね。
その後、日本橋三越の宣伝部に移ります。
これも生意気で面接で落ちてるの。けど、重役が同郷で、その人が拾ってくれたわけ。この時、いろんな人と出会ってそれが仕事に生きてくるわけ。
1962年、テレビの勃興期ともいうべき時代に、ニュースショーの構成をしたりね。司会が宮城まり子さん。この時、テーマソングに作ったのが「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)。
「映画芸術」という小さな雑誌にも映画評を書いたりしてた。試写を見て絵と文を書くわけ。これが評判が良くて3冊の雑誌に映画評を書くことになります。
その中の1つが「映画ストーリー」。原稿を取りに来たのが、ベレー帽をかぶり目の大きな女性。向田邦子さんだったのね。
「フリーでシナリオ書いてるんです」なんて聞いたから、知り合いに紹介して2本シナリオを書いてもらったらしい。やめときゃいいのに、少し手直ししたんだって。
で、後に「『父の詫び状』というエッセーを連載するんで挿絵を描いてくださいませんか?」と依頼があったりね。
人の縁というのは面白いね。
ラジオでも毎日、コントを書いてたのね。文化放送がいちばん多かったらしいよ。
「アンパンマン」とかの連載でもこういう下地があるからストーリーテラーとして一流なのかな。
けど、本人としてはキャラクター制作は得意だけど、物語は苦手だったみたいね。
1967年、こんな電話がありました。
「あ〜もしもし手塚です。今度、日本ヘラルドと組んで長編アニメを作ります。美術監督はみなで相談して、やなせさんがいいということになりました」
天下の手塚治虫さんからの依頼。10歳下だけど、あちらはもう神様だからね。
で、できたのが「千一夜物語」。配役を見て、「主人公のアルディンはこんな顔かな・・・」「適役は、ヒロインは」とイメージボードに描くわけ。これが面白くてたまらない。キャラがすぐに浮かんでくる。顔つきとか身体がすらすら描ける。
「アンパンマン」にしたって、1973年ですよ。描いたのは。けど、これが鳴かず飛ばず。まっ、絵本1冊しか描いてないからね。関係者からも不評。
「顔を食べさせるなんてどういうこと?」「子どもには読ませたくない」「図書館に置くな」・・・なんてね。
ところが、ある日、カメラ屋さんに行くと「うちの坊主がアンパンマンが好きでね、毎晩、読んでくれともってくるんですよ」。こんなことをあちこちで聞くようになった。
これが5年後のこと。で、突然、爆発すんの。
やなせさんといえば、アンパンマン。ほかにもいろいろ描いてるけど、これしか知らない人が多いと思う。本人、漫画以外にもいろんなことやってるんだよね。
この幅の広さがいいね。200円高。
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