2002年03月04日「吉野家の経済学」「仕事は楽しいかね」「シネマ坊主」
1 「吉野家の経済学」
安部修仁・伊藤元重著 日経ビジネス人文庫 600円
ミュージシャン志望の浪人生が牛丼屋でバイトをしていた。働きぶりが人事部長に認められて、正社員になれと乞われた。ご馳走で釣られて面接を受ける中、元もと、牛丼屋の正社員など考えられなかった人間が、「バイトはどのくらいしてるんだ?」「半年です」「正社員ならボーナスが出てるぞ」
この一言で、正社員になってしまった。
それが今、社長を務めている安部さん。聞き手は東大経済学部の伊藤先生です。
価格破壊攻勢と狂牛病との発生が同時期でしたが、それでもまっ、頑張ってますね。
他社が牛丼から鰻丼や親子丼に路線変更して成功したけれども、「牛丼のパイオニア」である吉野家はできませんでしたね。
さて、400円から280円へと3割ダウンした結果、「週1回の客」が毎日来るようになったそうです。
でもね、最大の効果はアナウンス効果というよりパブリシティ効果でしょうね。
だって、マスコミへの露出が増えたおかげで、実は価格破壊の4〜5日前から来客数が3割アップしてたんですよ。やっぱりね。これはどこもそうなんです。
テレビ、新聞で取りあげられると、ふと思い出すんですよ。
「吉野家行ってみっかなぁ」
「あっ、吉野家だ。食べてみるか」
つまり、タダで宣伝できたことで、「ついで」のお客さんを取り込めたんですよ。わたしはそう認識してます。
ところで、吉野家の歴史を勉強できました。
ちょっと、その前に・・・。
わたしが牛丼を知ったのは大学1年の入学式でした。それまで丼といえば、天丼、カツ丼、鰻丼くらいしか知りませんでした。いまでも、丼といえばカツ丼です。
で、式の後に大学の西門通り歩いていたんですね。すると、そこに「三品食堂」というのがあって、おばちゃん3人が切り盛りしてました。品書きを見たとき、「牛丼」とあり、「なんじゃ、こりゃ」と周囲の学生が牛丼をかき込んでいる中、「そんな変なもの喰わないよ」とわたしはカツカレーを頼んです。
ところが、これがまずい。油っぽくして、もう食べられない。すぐにやめちゃいました。
後日、友人と高田馬場方面に歩いていると、吉野家がある。
「オレ、ここで晩飯」
「フーン、じゃ、オレは見てる」
そんなことが2回ありました。で、3回目におそるおそる食べたんです。
まずい。食べるんじゃなかった。
もう1回ありました。
まずい。食べるんじゃなかった。
もう1回ありました。
どした? うまいじゃないか!
それから麻薬患者のように、食べ続けてしまったのです。
さて、吉野家は松田栄吉の手によって、明治32年、日本橋の魚河岸で創業しまた。
大正15年には河岸が築地に移りましたね(関東大震災によって)。
当時は、天ぷらなども出してたみたいですね。それが昭和33年、長男の松田瑞穂さんが株式会社化すると、「年商1億円を目指すぞ」と宣言。
すごいですよ、これは。
だって、たった15席しかない店なんですよ。当時、流行ってましたが、それでも1日200〜300人ですよ。朝5時〜午後1時の8時間労働で(日祭休み)。
1億円やるとなると、1日の客は1000人。これって66回転です。お客さんの滞在時間たるや、たったの7分。
ところがね。これを7年後に実現しちゃうの。
そのために仕組みを変えます。驚異的な回転率を上げるためには、エンジンだって変えなくちゃ。
まず、具をシンプルにした。
わたしも不思議だったもの。普通、牛丼といえば、豆腐、ネギ、白滝、もちろん牛肉はありますよ。日本でいちばん最初に牛鍋やった横浜の荒井屋なんか、フルに入ってますもの。牛肉のない牛丼なんて、早稲田の学生食堂だけですものね(ここはホントに無かった。牛肉は香りづけだけでした。いまはわからないけど)。
ところが、吉野家はタマネギだけでしょ。
これはね、作る側の論理なの。牛丼、食べに来る客は河岸の人間ばかり。彼らは忙しい。すぐにかき込んで、お金も面倒だから釣り銭を受け取らないほど忙しい。
だから、絞りに絞り込んだんです。
これが単品管理、メニューのスリム化へと繋がってます。
そして、昭和40年に1億円達成。
1億やった。次は2億だ。
普通、だれしもそう考えます。
この松田さんもそう考えました。
ところが、やり方がわからない。
で、コンサルタントのところに行って勉強するわけ。
言われた言葉が面白い。
「もう一軒つくったらいいじゃないか」
当たり前だっつうの。でも、これに深く感動するんですよ。
これは笑えないな。専門特化してガンガンやってきた人って、技術はどんどん深まっていくけど、同時に失うものもあるんです。それは視野狭窄ということ。
なにかに集中してるっことは、なにかを放棄してるってことでしょ。だから、「牛丼一筋80年」というメッセージの裏には、その他の可能性をすべてオミットしてきたっていう歴史があるんです。
で、ガンガンやって、80年に倒産します。
これは牛肉規制もあって、ショートブロックの部分が入らなくなってくる。すると、肉ならどこでもいいやとなる。フリーズドライになる。タレも粉末になる。コストが安いからね。で、本来の味からかけ離れてしまう。
同時に、お客さんもかけ離れていくんです。
いまの吉野家は西武が肩入れして作ったものですね。
だけど、安部さんはバイト時代から頑張って身体を張って仕事してきた人です。
いま、800店、年商1000億円の売上ですよ。
若きサムライたちの奮闘記としても読めますよ。
350円高。
2 「仕事は楽しいかね」
デイル・ドーテン著 きこ書房 1300円
「不思議なことに、不運は得てして好運に変わり、好運は得てして不運に変わる。好運も不運も、私はあまり信じない。あるのはただ巡り合わせだ」
いい言葉だねぇ。
登場人物は2人。
人生にも仕事にも愚痴ばかり言ってる35歳のビジネスマン。それとサンタクロースみたいな風貌のおじいさんです。
このおじいさん、実は知る人ぞ知るというほど有名な大経営者なんです。
こんな2人が大雪で閉ざされた空港で遭遇するんです。
舞台はととのいました。
立ち話で、ときにはコーヒーを飲みながら、2人の議論は進んでいきます。読者はこの会話の中に交じって勉強していく、というスタイルですね。仕事をどうすれば楽しくできるのか。どうすれば成功できるのか。どうすれば、アイデアが次から次へと湧いてくるのか。次から次へと、ビジネスマンが質問します。
結論は・・・「とにかくトライすることだ。トライ自体には絶対に失敗はない」。たしかに!
人生は計画通りに進みません。それを計画化したいのが、人間の性ですね。
ナンセンスです。人生には得てして突然変異があります。
人生は規則通りには進まない。規則から外れたところで教訓が与えられるものですね。
わたしは人生は複雑系だと考えてます。
この複雑系の生き物にまたがっているのが人間です。馬を御すようにどうコントロールしたらいいか。
コントロールなんてできるわけないんです。
でもね、どんなことがあっても生きていける。こういう姿勢は大事ですよ。
そのエネルギーはどこにあるのか。
それが自信なんです。
そして、自信の源がある人にとっては計画であり、ある人にとっては資格であり、ある人にとっては人脈なんですね。
でも、すべては夢幻ではないでしょうか。
いずれにしても、「No challenge No success」ですよ。
150円高。
3 「シネマ坊主」
松本人志著 日経BP社 1000円
松ちゃんは天才だということがよくわかった1冊です。細かいところまでよく見てるわ。
本書は彼が見た映画、ビデオについてのコメントを雑誌に掲載されたものをまとめたものです。
10点法で採点してるけど、10点満点は「セイフ・イズ・ビューティフル」と「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だけ。9点が「マレーナ」。あの北野武監督の「菊次郎の夏」もけちょんけちょんでした(ほかの作品は評価してますけどね)。
「マトリックス」はなんにもわからんかったと言ってますが、同感です。
目利きだね。
たんなる映画評論や紹介本なら読みません。松ちゃんの哲学とか発想みたいなものがどこかに零れてるんじゃないかなと思ったわけです。彼には「遺書」などの本もありますが、ああいう本よりも今回の本みたいのもののなかに「本質」ってのが出てくると思うのです。
「僕がお笑いをやるとき、いちばん気にするのは、何種類くらいのパターンを入れられるか。映画は違うといわれるかも知れないけど、どうせだったらいろんな知るいちばんの笑いを入れてほしかった」
「それは僕もコントをつくる時に使う手なんですけど、要するに、消去法ですよね。だれもまだ足を踏み入れたことがない、空いてるスペースはどこかと探しながらモノを作っていくというスタンスです」
「黒澤映画は制作費を湯水のように使ったんだから、いいものができて当たり前という人もいるようですが、それは『使った』んではなくて、『使えた』ということですね」
この非凡な常識人に拍手です。
参考までに、松ちゃんが紹介してた中でわたしも一押しするのは「セイフ・イズ・ビューティフル」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「マレーナ」「サン・ピエールの未亡人」「海の上のピアニスト」「ミザリー」「グリーンマイル(彼は賞取り映画と揶揄してますが)」「アメリカン・ビューティ」「カノン」。
たしかに「ハンニバル」は原作のほうがはるかにいいね。「羊たちの沈黙」は映画も良かったけど。
紹介されなかったモノで好きな映画は「キャスト・アウェイ」「タイタニック」ですか。 でも、もっと好きなのは日本でも外国ものでももっと古い映画だなぁ。けど、昔の映画を出すと収拾がつかなくなるので省きます。
150円高。