2001年04月23日「おしゃべり文化」「字幕の中に人生」「生きていてよかった」
1 「おしゃべり文化」
永六輔著 講談社α文庫 680円
もう何度も紹介してますが、永さんの本て大好きなんですね。それがまた、新刊をご紹介します。
知りませんでしたが、「黒い花びら」って学費稼ぎのための苦肉の策だったんですね。当時、いつも「下記の者 学費未納につき」と掲示板に貼り出されていたのが、永さんと中村八大さん、それに野坂昭如さん。学費を払ってないと学生証がもらえない。学生証がないとバイトができない。彼が得意にしていた宝くじ売りのアルバイトができないわけです。野坂さんの有名な作詞では「おもちゃのチャチャチャ」がありますね。
それはいいんですが、それで八大さんと考えた。で、できたのが「黒い花びら」。これを30円で売っちゃった。印税方式にしておけば、30万円も儲けたのに。それで次に続々と作ったわけ。
その中には、わたしの十八番ともいうべき「黄昏のビギン」もあるんです。再起、この歌はちあきなおみさんのバージョンがCMソングにもなりました。
最近、吉本興業の芸人達やウルフルズのヒット曲に「明日がある」って歌があるでしょ。わたしはこれ、中西圭三さんの歌で持ってるけど、やっぱり詞がいいですね。いま、リストラで元気がないお父さん達にはいい癒しの歌ですよね。
そのほかにも、いろんないい言葉がいっぱいありました。
「戒名というのは、戒めの言葉。あの世に行くとき、名前を変えないと閻魔様に捕まってしまう。真面目に生きてきた人には名前を変える必要はない」
「年を取って美しい人は、若いころから美しい」
「やりたいことをやるには、やらせてくれる仲間が必要」
「仲間は裏切るけれども、敵は裏切らない」
「橋は使わないとダメになる。人が歩くから締まるんです。多治見近郊の永保寺。橋が国宝指定になりまして通行止めとなったら、これが傷み始めました。慌てて渡ってくれと言ってます」
「公式の場面では天皇は着物を着ない。皇室典範にあるんです」
「あちらには何かあるんですか?」「あなたは何かないと行かないのですか」
80円高。
2 「字幕の中に人生」
戸田奈津子著 白水社 930円
「英語に自信があって、いつも字幕を見てるけど、面白そうだし、あれぐらいでそうだ、という程度ではまったく歯が立たない。かつてのわたしがまさにそうだった」と戸田さんは言います。
翻訳というのは語学ができるというのきスタートラインで、決め手は日本語。
「・・・・んだ」は字幕では避ける。「思ったんだ」ではなく、「思った」でいい。このほうがはるかにすっきりした字幕になるんだって。
リチャード・ギアのインタビュー記者会見でのこと。
「日本のジャーナリストは生真面目。冗談を言っても少しも笑わずにメモをとっているから、いまのはジョークですと付け加えたんだ。すると、なるほどと真面目に頷いて、それをまたメモってた」
でも、いい映画というのはセリフがいいですね。次のセリフは「フィールド・オブ・ドリームス」の一節です。
Is this heaven?
No, it's Iowa. Is there heaven ?
It's where the dreams come true .
Maybe this is heaven .
ねっ、いいでしょ。夢が実現するところそれが天国だよ。ホント、そうですよ。
外国では吹き替えがほとんどで、字幕が主流なのは日本だけだそうです。わたしは何カ国も行ってますが、映画館には行かなかったね。今度、行ってみてみよう。
字幕版より吹き替えのほうが制作費が高いからやむを得ずやっている国はあるんですが、日本はそうではありません。「俳優の生の声が聞きたい」という希望があります。それにほとんどの人が字が読めますからね。
アメリカ映画でもドイツ人やフランス人が登場するとき、最初の一言二言は外国語。たけど、あとは英語。そういえば、旧ソ連原潜艦長に扮したショーン・コネリーが「レッド・オクトーバーを追え」で話したロシア語は最初だけだった。
ケビン・コスナーが制作、主演、監督をしてアカデミー賞を多数獲得した「ダンス・ウイズ・ウルブズ」も、ハリウッドではだれも手がけようとしませんでした。それで彼自身がやらざるを得なかったのだが、これには3つの理由があったんです。
つまり、人種差別の源泉たる西部劇であること。どう考えても3時間を超える長篇であること。そして、セリフの3分の2がインディアンの言葉であるために字幕をつけざるをえなかったこと。
日本人が出てくるアメリカ映画でも、変な日本語しか話せない自称日本人が登場するのもそういう理由からです。
50円高。
3 「生きていてよかった」
山口洋子著 文化創作出版 1500円
著者は演歌の作詞で有名な人です。それに直木賞作家でもあります。それにそれに、銀座の高級クラブ「姫」のオーナーでもあった人です。
わたしが好きな歌は「よこはま たそがれ」「うそ」「噂の女」とかですね。
この人の小説は読んだことありませんが、「ザ・ラスト・ワルツ―「姫」という酒場」「背のびして見る海峡を」というエッセイは好きです。とくに「ザ・ラスト・ワルツ」は最近、文春文庫でリバイバルされましたが、親本には「姫」を彩ったホステスが写真入りで出ています(団鬼六さんのエッセイにも出てきますが、バラバラ殺人事件の被害者だったきれいなホステスさんも出ています)。まぁ、ホステスがプロだった時代ですね。また、日本経済が右肩上がりで成長していた時代。「いい頃」を知ってる人ですよ。
そんなことはいいんですが、本書は更年期うつ病に見舞われ、死にたい病と投薬、リハビリのなか、何とか立ち直った彼女が、老い、死、生きる意味を綴ったものですが、やっぱり真骨頂はなんといっても「男と女」「いい男論」「いい女論」でしょう。
「女の身だから、嫌な男はあんまりいないけど、つまんない男はいっぱいいる。まずダメなのは女に惚れている男である。男というものは惚れられるもので、惚れるものではない」だって。まさに同感。不肖、このわたくしもこのように育てられ、また実践してきたのであります(学生時代、「必然的硬派同好会」というのを作っておりましたが、これは硬派にならざるを得ない。まぁ、なんというか、一言でいえば、つまり、そのぉ、えーと、モテナイということなんですね)。
「過去最低だと思った金の出し方の例をあげてみると、購入したての高級車ロールスロイスに機会あって便乗させてもらったとき、成金紳士はそっくり返って自分がいかに気前がいいかを力説。高速道路に入るとき、料金所で係員に千円渡して、釣りはいらねぇ、とっときな」とのたまったそうな。同乗者一同、笑いをこらえるのに必死だったとか。
もう一つは、「酔うと気前よく店中に札ビラを切る客がいた。女の子はおろか、ボーイにまで配りまくり、ありがとうございますの声を背後に悠々と引き上げる。そこまではいいのだが、ほどなくすると秘書役の運転手が戻ってきて、すみません、うちの社長のいつもの悪い癖でして、とばらまいたお金を回収しにくる。本人も承知で平気でそういうことをさせる神経を疑ったが、これがれっきとした大会社のオーナー社長であった」という。
いったい、どこの社長でしょうね。でも、こういう神経じゃないと、一代で大は成せませんな。
90円高。