2008年05月11日「強い円 強い経済」 速水優著 東洋経済新報社 1890円
政治が揺れると経済が揺れる。経済が揺れると社会が揺れる。社会が揺れると・・・地面が揺れる。毎日、そこかしこで地震が起こってますな。
ええと、ここ1カ月間、昔、ブイブイ言わせてた経済関係のキーパースンに注目。で、片っ端からチェックしてるんです。
ここだけの話だけど、最近、「通勤快読」がないでしょ? こういう時ってのは、「紹介したい!」という本がないんじゃなくて、紹介すべき本をどっさりチェックしていて、読者に紹介するより自分でのめり込んでるケースが多いのよね。
いやあ、オモロイ本が多すぎますわ。「昔ブイブイ」つうのは10〜15年間くらいの人なんだけどね。
で、本書もその中の1冊なのよ。
日銀総裁ポストで、あれはダメ、これはダメ、と野党からダメ出しされちゃって、福田さんは四面楚歌。思わず、小沢さんに嫌みを言っちゃった。こういうところが小物なんですなあ。
今頃、日銀の独立性なんてだれも信じちゃいないよね。豪腕政治家(わがままを通した金丸信さんみたいな政治家のことね)のいないいま、政府=財務省の意向を忖度してやってるわけでしょ。
で、日銀総裁のポストが空白になっちゃった。軽い軽い。けどさ、いてもいなくてもいいような存在だったっけ? いつからこうなっちゃったの?・・・という好奇心から、日銀総裁経験者の著書をチェックしてみようかな、もしかしたら、ついつい本音を漏らしてるかもしれないな、と思ったわけでございます。
で、早見優さん、いえいえ、速水優さんは10年前(1998年)に日銀総裁に就任、5年前(2003年3月)に退任した人なんです。
前任は松下康雄さん。大蔵省事務次官から太陽神戸銀行頭取へと天下り。で、さくら銀行会長から日銀総裁になった人。後任は、この前、退任した福井俊彦さんね。
ちょっとキャリアが変わってるのは、速水さんは日銀理事から日商岩井へ移り、社長・会長、そして経済同友会代表幹事を経て、17年ぶりに日銀に舞い戻ったということかな。つまり、机上じゃなくて娑婆のことをよくわかってる経済人だったわけね。
ところで、日銀のおもな役割(目的)は以下の通り。
?銀行券の発行
?経済の安定的発展のために、通貨及び金融の調節を行う。
?銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑な確保(当座預金などを活用してますわな)。
早い話が、国民経済安定・物価安定のために信用秩序をなんとか維持しようと努力してるというわけです。で、公定歩合や公開市場、支払準備率などのオペや通貨流通量(マネーサプライ)の調整などをしてるわけですね。
で、著者が心得ていたことは、各国の中央銀行リーダーの箴言。ちょっとご紹介しときましょうか。なかなかいいこと言ってますよ。
で、気づくのは福井さんに交代してからずいぶん変わったんだな、ということ。いい意味で言えば、政府と共同歩調をとってきた。悪い意味で言えば、政府の言いなり。すなわち、日銀の独立性の後退。
「中央銀行は、宴たけなわとなったときに、パンチボールをさっさと片付ける仕事。人気は期待できない。怖い顔をして荒療治を。笑顔は似合わない」(ウィリアム・マーティン=元FRB議長)
「中央銀行に職を奉じる者は、不人気に耐える勇気を持たなければならない」(ウィリアム・フォッケ=敗戦直後のドイツ中央銀行総裁)
「市場より自分が賢いと思うことは危険なことだ」(アラン・グリーンスパン)
「社会を根底から覆すには、通貨価値を低下させること以上に、巧妙で確かな方法はない」(ジョン・メイナード・ケインズ)
共通してることは、国民がどう考えようと、中央銀行として言うべきことを言い、やるべきことをやる、ということに尽きますな。パーティのピークで、「はしゃぎすぎなんだよ」とウィスキーを取り上げ、顔に冷水をぶっかけることもせなあかんちゅうことです。
小泉さん流のポピュリズム(大衆迎合)じゃあかん、与謝野薫さん流でやらんとあかんちゅうことやね。
さて、速水さんが日銀時代のエピソードつうか出来事でちょっと気になったことがいくつかあるんです。
これも少しご紹介しておきましょう。
1つは1971年のニクソン・ショックの時のこと。これねぇ、大蔵省、日銀の失敗といまでも言われてることです。
ニクソンが金の禁輸(金交換の停止・輸入課徴金の実施)を発表したわけです。もう金とドルとは交換しませんよ、と宣言したわけ。これね、ホントはIMF第4条違反(金平価の維持)なのね。
すると、どうなります? ドルの価値は金に支えられて輝いていたわけ。金とは交換しないとなれば、ドルの価値は下落しますわな。となれば、相対的に円もフランもポンドもマルクも高くなる・・・でしょ。
だから、各国とも、即時、為替市場を閉鎖しました。当たり前です。為替が人為的に乱高下するんですもの、いったんクローズしますよ。
ところがです・・・日本は開けっ放しだったの。当然、各国の投資家はドルで円をどっさり買いますよ。ドル暴落がわかってるんだもの。ドル売り円買い。で、後で円転すりゃ大儲けでしょ。
実際、「当日、日銀は6億ドルを上回るドル買いを強いられた」とのこと。為替銀行が一斉にドルを売ったからですよ。
こうなる前に、英蘭銀行のモース理事は速水さん(当時、ロンドン駐在参事)を呼んで、「きみ、今日みたいな日に市場を開けておくのはバカげているぞ。早く東京に電話して閉めるように言うべきだ」とアドバイスしてくれたのよ。
電話すると、「もうしばらく開けておくという決定をした」という返事。で、その後、1日で12億ドルも価値の暴落するドルを買わされる羽目になるわけ。
これで、とうとう、1ドル360円というブレトンウッズ体制は崩壊するわけですよ。
速水さんは書いてないけど、きっとアメリカから指示があったんだろうね。
もう1つ。1998年、総裁就任時の公定歩合は0.5%。これを実質ゼロ金利(無担保翌日物コールレート)にしたのも、この人。
で、2002年、金融機関の株価暴落に際して、日銀が市中金融機関から株式を買い取ったのも、この人。日本の金融機関が上場企業の株式を5%までしか所有しちゃあかん、と法律が改正されたことに合わせて、その受け皿となった形ですな(アメリカの金融機関は株式所有は×)。この措置は世界の金融史でも例がありませんな。
2000年、ゼロ金利は一時解除します。政策委員会では、政府代表が議決延期請求をしたけど、これを否決しちゃうわけ。政治家も驚いただろうね。200円高。
ええと、ここ1カ月間、昔、ブイブイ言わせてた経済関係のキーパースンに注目。で、片っ端からチェックしてるんです。
ここだけの話だけど、最近、「通勤快読」がないでしょ? こういう時ってのは、「紹介したい!」という本がないんじゃなくて、紹介すべき本をどっさりチェックしていて、読者に紹介するより自分でのめり込んでるケースが多いのよね。
いやあ、オモロイ本が多すぎますわ。「昔ブイブイ」つうのは10〜15年間くらいの人なんだけどね。
で、本書もその中の1冊なのよ。
日銀総裁ポストで、あれはダメ、これはダメ、と野党からダメ出しされちゃって、福田さんは四面楚歌。思わず、小沢さんに嫌みを言っちゃった。こういうところが小物なんですなあ。
今頃、日銀の独立性なんてだれも信じちゃいないよね。豪腕政治家(わがままを通した金丸信さんみたいな政治家のことね)のいないいま、政府=財務省の意向を忖度してやってるわけでしょ。
で、日銀総裁のポストが空白になっちゃった。軽い軽い。けどさ、いてもいなくてもいいような存在だったっけ? いつからこうなっちゃったの?・・・という好奇心から、日銀総裁経験者の著書をチェックしてみようかな、もしかしたら、ついつい本音を漏らしてるかもしれないな、と思ったわけでございます。
で、早見優さん、いえいえ、速水優さんは10年前(1998年)に日銀総裁に就任、5年前(2003年3月)に退任した人なんです。
前任は松下康雄さん。大蔵省事務次官から太陽神戸銀行頭取へと天下り。で、さくら銀行会長から日銀総裁になった人。後任は、この前、退任した福井俊彦さんね。
ちょっとキャリアが変わってるのは、速水さんは日銀理事から日商岩井へ移り、社長・会長、そして経済同友会代表幹事を経て、17年ぶりに日銀に舞い戻ったということかな。つまり、机上じゃなくて娑婆のことをよくわかってる経済人だったわけね。
ところで、日銀のおもな役割(目的)は以下の通り。
?銀行券の発行
?経済の安定的発展のために、通貨及び金融の調節を行う。
?銀行その他の金融機関の間で行われる資金決済の円滑な確保(当座預金などを活用してますわな)。
早い話が、国民経済安定・物価安定のために信用秩序をなんとか維持しようと努力してるというわけです。で、公定歩合や公開市場、支払準備率などのオペや通貨流通量(マネーサプライ)の調整などをしてるわけですね。
で、著者が心得ていたことは、各国の中央銀行リーダーの箴言。ちょっとご紹介しときましょうか。なかなかいいこと言ってますよ。
で、気づくのは福井さんに交代してからずいぶん変わったんだな、ということ。いい意味で言えば、政府と共同歩調をとってきた。悪い意味で言えば、政府の言いなり。すなわち、日銀の独立性の後退。
「中央銀行は、宴たけなわとなったときに、パンチボールをさっさと片付ける仕事。人気は期待できない。怖い顔をして荒療治を。笑顔は似合わない」(ウィリアム・マーティン=元FRB議長)
「中央銀行に職を奉じる者は、不人気に耐える勇気を持たなければならない」(ウィリアム・フォッケ=敗戦直後のドイツ中央銀行総裁)
「市場より自分が賢いと思うことは危険なことだ」(アラン・グリーンスパン)
「社会を根底から覆すには、通貨価値を低下させること以上に、巧妙で確かな方法はない」(ジョン・メイナード・ケインズ)
共通してることは、国民がどう考えようと、中央銀行として言うべきことを言い、やるべきことをやる、ということに尽きますな。パーティのピークで、「はしゃぎすぎなんだよ」とウィスキーを取り上げ、顔に冷水をぶっかけることもせなあかんちゅうことです。
小泉さん流のポピュリズム(大衆迎合)じゃあかん、与謝野薫さん流でやらんとあかんちゅうことやね。
さて、速水さんが日銀時代のエピソードつうか出来事でちょっと気になったことがいくつかあるんです。
これも少しご紹介しておきましょう。
1つは1971年のニクソン・ショックの時のこと。これねぇ、大蔵省、日銀の失敗といまでも言われてることです。
ニクソンが金の禁輸(金交換の停止・輸入課徴金の実施)を発表したわけです。もう金とドルとは交換しませんよ、と宣言したわけ。これね、ホントはIMF第4条違反(金平価の維持)なのね。
すると、どうなります? ドルの価値は金に支えられて輝いていたわけ。金とは交換しないとなれば、ドルの価値は下落しますわな。となれば、相対的に円もフランもポンドもマルクも高くなる・・・でしょ。
だから、各国とも、即時、為替市場を閉鎖しました。当たり前です。為替が人為的に乱高下するんですもの、いったんクローズしますよ。
ところがです・・・日本は開けっ放しだったの。当然、各国の投資家はドルで円をどっさり買いますよ。ドル暴落がわかってるんだもの。ドル売り円買い。で、後で円転すりゃ大儲けでしょ。
実際、「当日、日銀は6億ドルを上回るドル買いを強いられた」とのこと。為替銀行が一斉にドルを売ったからですよ。
こうなる前に、英蘭銀行のモース理事は速水さん(当時、ロンドン駐在参事)を呼んで、「きみ、今日みたいな日に市場を開けておくのはバカげているぞ。早く東京に電話して閉めるように言うべきだ」とアドバイスしてくれたのよ。
電話すると、「もうしばらく開けておくという決定をした」という返事。で、その後、1日で12億ドルも価値の暴落するドルを買わされる羽目になるわけ。
これで、とうとう、1ドル360円というブレトンウッズ体制は崩壊するわけですよ。
速水さんは書いてないけど、きっとアメリカから指示があったんだろうね。
もう1つ。1998年、総裁就任時の公定歩合は0.5%。これを実質ゼロ金利(無担保翌日物コールレート)にしたのも、この人。
で、2002年、金融機関の株価暴落に際して、日銀が市中金融機関から株式を買い取ったのも、この人。日本の金融機関が上場企業の株式を5%までしか所有しちゃあかん、と法律が改正されたことに合わせて、その受け皿となった形ですな(アメリカの金融機関は株式所有は×)。この措置は世界の金融史でも例がありませんな。
2000年、ゼロ金利は一時解除します。政策委員会では、政府代表が議決延期請求をしたけど、これを否決しちゃうわけ。政治家も驚いただろうね。200円高。