2008年07月01日ああ札幌の夏!
カテゴリー中島孝志の不良オヤジ日記」
7月ですなあ。もう今年も折り返し地点でっせ。そろそろジングルベルが鳴って、紅白、そして餅つきですな。ちと早いか。まあ光陰矢のごとし、といいますもんなあ。
いま、野暮用で札幌に来てまんねん。今日あたりは、ちょいと足を伸ばして余市にでも行ってきまひょか。
なにしに? ニッカウィスキーにきまってるやないの。毎年1回は来てるんでっせ。なにしろ醸造所まで来んと売ってくれまへんねん(おまえはバイヤーか?)。
帰りは、小樽で途中下車。石原裕次郎館か小樽運河、それとも日本橋(寿司屋)? どちらにしても1人旅はええね。足の向くまま気の向くままや。
5〜6月は脳がオーバーヒートしてもた。少しクールダウンさせんとな。で、空白を見つけて来たてちゅうわけや。
少し早い夏休み? とんでもない、いまようやく正月休みでんねん。貧乏暇無しですわ。
幸い札幌は友達も多いからね。まあ視点が変わって刺激的ですな。からっとしてますな。梅雨もないしな。そういうこっちゃ。
さてと・・・今日はこんな詩はいかがでっしゃろ?
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと 神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱な体を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の称讃を得ようとして 権力を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものはなにひとつとして
与えられなかったけれど
願いはすべて聞き届けられていた
言葉に表されていない祈りが
叶えられていた
ああ 私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ
※NY大学病院リハビリテーションセンターの壁詩より(イエズス会修道院神父J・ロジャー・ルーシー作)
ないものねだりはあるものに気づきまへんな。「無一物中無尽蔵」ちゅうことでんな。西洋の坊さんも東洋の坊さんも同じこと言うてまんなあ。
今夜は、イカの足でもあぶって男山でも呑もうかいのお・・・。
いま、野暮用で札幌に来てまんねん。今日あたりは、ちょいと足を伸ばして余市にでも行ってきまひょか。
なにしに? ニッカウィスキーにきまってるやないの。毎年1回は来てるんでっせ。なにしろ醸造所まで来んと売ってくれまへんねん(おまえはバイヤーか?)。
帰りは、小樽で途中下車。石原裕次郎館か小樽運河、それとも日本橋(寿司屋)? どちらにしても1人旅はええね。足の向くまま気の向くままや。
5〜6月は脳がオーバーヒートしてもた。少しクールダウンさせんとな。で、空白を見つけて来たてちゅうわけや。
少し早い夏休み? とんでもない、いまようやく正月休みでんねん。貧乏暇無しですわ。
幸い札幌は友達も多いからね。まあ視点が変わって刺激的ですな。からっとしてますな。梅雨もないしな。そういうこっちゃ。
さてと・・・今日はこんな詩はいかがでっしゃろ?
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと 神に求めたのに
謙虚さを学ぶようにと 弱さを授かった
より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱な体を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の称讃を得ようとして 権力を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものはなにひとつとして
与えられなかったけれど
願いはすべて聞き届けられていた
言葉に表されていない祈りが
叶えられていた
ああ 私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ
※NY大学病院リハビリテーションセンターの壁詩より(イエズス会修道院神父J・ロジャー・ルーシー作)
ないものねだりはあるものに気づきまへんな。「無一物中無尽蔵」ちゅうことでんな。西洋の坊さんも東洋の坊さんも同じこと言うてまんなあ。
今夜は、イカの足でもあぶって男山でも呑もうかいのお・・・。