2008年08月09日夏休みの特別読書道場! 「初蕾」 山本周五郎著 小学館 2100円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 なっがい開会式でしたなあ。明日の競技の選手は参加しなかったとか。
 正解ですね。心配されたテロも起こらずなによりのスタートだったと思います。
 演出は映画監督のチャン・イーモウ。そう、「紅いコーリャン」「菊豆」「初恋の来た道」で知られる人ですな。コン・リー、チャン・ツイイー(アジエンスの彼女)とかを一流の女優に育てたことでも有名かな(私ゃ、「初恋」は退屈でしたけどね)。
 あの演出はお見事でした。とっても良かったですね。電博頼りの日本では無理だろね。東京オリンピック? どんなことするんだか。まさか、冬期五輪で欽ちゃんを引っ張り出した浅利慶太さんが再登板したりして・・・。
 「合格・・・なしよ!」なんてスター誕生じゃないんだから。


 さて、読書は人を磨く砥石です。「夏休みの特別読書道場」2日目も山本周五郎作品。「初蕾(『山本周五郎中短編秀作選集4 結ぶ』所収)にしました。

 この作品も昔、TBSが「山本周五郎生誕100年記念」でドラマ化したことがあんのね。私、もち、大ファンだからDVD持ってます。細部で原作と違うけど、昨日の黒澤明版「雨あがる」と同じように原作にほぼ忠実な脚本ですな。
 参考までに主演のお民を演じたのは宮沢りえさん。巧い? この人、下品な役させたほうが巧い。お人形みたいな役やってるうちは皮が剥けないと思うよ。まっ、池内淳子さん、若尾文子さん、泉ピン子さんがしっか脇を固めてますから。


原作では「美男ではない」と書かれてる半之助役がヒガシとは!

 お民は元々、貧乏船頭の娘。父親は早く亡くし、母親は宿屋で奉公。兄は12のときに客が残した飯で中毒。5日後に亡くなる。母親にしても13のときに亡くなり天涯孤独。そこで、二見浦の小料理屋で奉公。

 18となったいまは、「ふじむら小町」と呼ばれるほどの売れっ子。8両の借金も返し、気ままな生活。梶井半之助という若侍といい仲になります。

(どうせ一緒にはなれない。だから、いまを楽しむ。好きなうちは逢う。飽きたら飽きたと隠さず言う。そして後腐れ無しに別れる)
(どんなに堕ちても、物置みたいな小屋で死んでいったおっかさんよりはましだもの)

 ところが、半之助は刹那的な生き方を非難した同輩と斬り合って出奔します。

「今日までの生き方すべてがダメだ。ごまかしと身勝手とでたらめで固まっていた」
「江戸へ行く。どんな苦労をしても人間らしい者になって戻ってくる。何年かかるかわからないから、待っていろとは約束できない。だが、おまえがまだ独り身でいたら俺の妻になってほしい」

(男なんて子供みたいなもの。どうして、女が独り身でいられよう?)

 だが、そのとき、すでにお民は妊娠してたんです。

 半之助のおかげで、父良左衛門と母はま女は家禄返上、財産整理の憂き目に。たしかに学問はできたが、老子の異端に接して藩の助教の席を追われてから、息子の様子が変わったことに気づいていた。出奔以来、息子の話題はお互い口にしない。

 そんなある日、住まいのそばではま女が捨て子を見つけます。半之助の生まれ変わりだと育てる決意。もちろん乳は出ません。そこで、うめという乳をやる女を雇います。

 うめは行儀も教養も皆無。ただ赤子の世話だけは親身だった。はしかの時は7日間寝ずに世話して自分のほうが倒れてしまいます。
 こんなうめに、はま女は行儀作法と習字を、良左衛門は素読を教えます。何度も叱られて嫌がったうめも、そのうち、学ぶのが楽しくなってきます。それにしたがって、はま女が口を酸っぱくして指導する、どうして姿勢を正しくして乳を含ませるのか、という理由もわかってきます。

 7年の月日が経ちます。藩の上役が報告のために良左衛門の住まいを訪れる。
 どうも殿が昌平講に出たとき、講壇にのぼった助教は半之助その人。藩の誉れとして、殿はしごくご満悦。召し抱える、と話している、とか。
 そんなご恩典を受けるはずがない。いや、若い者には考えがあるのだろう。すでに江戸を立って向かっている、と。

 狭い家だ。その話を隣の部屋で聞いていた乳母のうめは、家を出ようとします。

「坊も連れて行って、坊も・・・」
「すぐ帰りますから」

 どこへどう行ったかわからない。いつの間にか、いつも坊と来ている鳥羽湾の碧い海を眺める場所に出ていた。もうこうして、この海を坊と眺めることもなくなる・・・悲しさが急に現実のものとなってこみ上げてきます。
 思わず両手で面を覆いながら泣き出すと、後ろのほうから声がします。はま女と坊の小太郎。   

「どうしてお泣きなさる? 7年前のあなたと違うことはわたし達が朝夕一緒に暮らしていて拝見しています」
「ごらんなさい、この梅は去年の花が散ったことなど忘れたように、また活き活きと蕾をふくらませているではありませんか。半之助にとって、あなたが初蕾であるように、考えることはそれだけです。
 顔をおあげなさい、民さん。よく辛抱なさった」

 初蕾か・・・。道元の言葉に「前後裁断」というものがありますね。新陳代謝、細胞分裂だけでなく、人間、いつも生まれ変わっているんです。
 ここに気づくかどうか。「やり直そう」「生まれ変わろう」と意識するかどうか・・・ですなあ、ご同輩。500円高。