2008年08月12日夏休みの特別読書道場!「さぶ」 山本周五郎著 新潮社 660
無くして初めて得るものがある、と昨日、お話しました。
たとえば、どんなことがあるか?
元気な人は病人の気持ちはわかりません。もちろん、頭では理解できます。けど、その辛さや哀しみを同じレベルで感じ取ることなんてできません。だから、「頑張って」「必ず良くなるから」なんて軽く言ってしまうんですね。
あるいは、見舞いに行きたがることもそうかもしれません。
人によっては、弱った姿、病いの姿を見せたくない、という人もいるはずです。ならば、手紙やメールで話し相手になったり、それとなく、励ましてあげてはどうでしょう。
長く入院している人にとって、元気な人をうざったいかもしれません。元気だからこそ控えめにしたほうがいいのです。
同病相哀れむ、ということではありませんが、自分が病気になったことがあれば、人の痛みを少しは推察できるようになるでしょう。
成功している人は、えてして、そうでない人がどう思っているか気づきません。まして失敗で苦しんでいる人を前に、滔々と教訓を垂れたり、成功のコツを指南したりします。親切心からの行為なんですが、ありがた迷惑にしか感じないでしょう。
自分が失敗してにっちもさっちもいかなくなった経験のある人は、黙ってお金を渡すでしょう。100の説法よりよっぽど効きますよ。
強いばかりの人、失敗したことのない人は面白くありませんね。
「官僚との死闘七〇〇日」という本をご紹介したことがありますけど、この中で、「エリートは子供の頃から失敗を経験したことがない」と書いてます。受験は過去問のパターンを何度も繰り返せば合格点はとれますからね。
困ったことに、官僚になってからは、「いくら前例がない」という答弁の彼らにしても、過去問で対応できるケースは少なくなります。
すると、どうするか? 「合格ライン」を勝手に引き下げてしまう。こうすれば不敗神話を続けられますからね。
日本の政治がよくならないはずです。
さて、本書もどういうわけか、山本周五郎作品です。続きますねえ。
これもやっぱりドラマ化されています。栄二役が藤原竜也さん、さぶ役が妻夫木聡さん。竹山洋さんの脚本では、ラストで栄二がさぶを殴りますけど、これは原作にはありませんね(けど、映像的にいい効果を生み出していると思います)。
江戸下町に芳古堂という大店の経師屋がある。さぶと栄二は幼い頃から住み込みで働き、兄弟以上の関係を築いていた。
栄二は利発で自分の意見ははっきり言わないと気が済まない。一方、さぶは少々愚鈍な上に、言いたいことも言えずに飲み込んでしまう。
さぶにとって栄二は自慢。何をするにも栄二を頼りにする。
その栄二に事件が起きます。両替商「綿文」で仕事をしていると、100両もする「金襴のきれ」がなくなり、それが栄二の仕事箱に入っていたのだ。どんなに栄二が抗弁しても聞き入れられず、栄二は石川島の人足寄場に送られてしまう。
そうとは知らないさぶは、栄二の居場所を探そうとして、主人や得意先から嫌われ暇を出されてしまいます。
ようやく居場所を突き止めても、栄二はさぶに会おうとしない。許婚のおすえには「ここを出たら復讐してやる」「俺のことは諦めてくれ」の一点張り。
人足寄場でも栄二は名前を明かさず喧嘩の日々。恨み辛みに凝り固まって自暴自棄。(俺をはめたのはあいつに違いない)と、さぶを疑う始末。
寄場は社会からドロップアウトした人間ばかりが集まった掃きだめ。この救いようのない男たちの中で、栄二は人がガラリと変わります。
「寄場での足かけ3年はシャバの10年よりも役に立った」・・・掃きだめでなにを掴んだのか。
運命の悪戯でどん底に落ちてしまうことは少なくありません。
どん底から這い上がるには、「復讐心」も大きなエネルギーになるかもしれませんよね。中には、どん底で飽きたらず奈落の底へと沈んでしまう人も少なくありませんね。
人の真価は得意な時にはわかりません。余裕がありますからね。失意の時は現金正価掛け値無しの人間力が浮き彫りになります。
「どん底」に落ちたときにどうなるか?
実は、他人は注目してるんですね。「ああ、あいつはその程度の人間だったのか」となるか、「めげないヤツだな」となるか。
「どん底の温かさ」を知ったとき、だれもが栄二のように人間革命を起こすのかもしれません。500円高。
たとえば、どんなことがあるか?
元気な人は病人の気持ちはわかりません。もちろん、頭では理解できます。けど、その辛さや哀しみを同じレベルで感じ取ることなんてできません。だから、「頑張って」「必ず良くなるから」なんて軽く言ってしまうんですね。
あるいは、見舞いに行きたがることもそうかもしれません。
人によっては、弱った姿、病いの姿を見せたくない、という人もいるはずです。ならば、手紙やメールで話し相手になったり、それとなく、励ましてあげてはどうでしょう。
長く入院している人にとって、元気な人をうざったいかもしれません。元気だからこそ控えめにしたほうがいいのです。
同病相哀れむ、ということではありませんが、自分が病気になったことがあれば、人の痛みを少しは推察できるようになるでしょう。
成功している人は、えてして、そうでない人がどう思っているか気づきません。まして失敗で苦しんでいる人を前に、滔々と教訓を垂れたり、成功のコツを指南したりします。親切心からの行為なんですが、ありがた迷惑にしか感じないでしょう。
自分が失敗してにっちもさっちもいかなくなった経験のある人は、黙ってお金を渡すでしょう。100の説法よりよっぽど効きますよ。
強いばかりの人、失敗したことのない人は面白くありませんね。
「官僚との死闘七〇〇日」という本をご紹介したことがありますけど、この中で、「エリートは子供の頃から失敗を経験したことがない」と書いてます。受験は過去問のパターンを何度も繰り返せば合格点はとれますからね。
困ったことに、官僚になってからは、「いくら前例がない」という答弁の彼らにしても、過去問で対応できるケースは少なくなります。
すると、どうするか? 「合格ライン」を勝手に引き下げてしまう。こうすれば不敗神話を続けられますからね。
日本の政治がよくならないはずです。
さて、本書もどういうわけか、山本周五郎作品です。続きますねえ。
これもやっぱりドラマ化されています。栄二役が藤原竜也さん、さぶ役が妻夫木聡さん。竹山洋さんの脚本では、ラストで栄二がさぶを殴りますけど、これは原作にはありませんね(けど、映像的にいい効果を生み出していると思います)。
江戸下町に芳古堂という大店の経師屋がある。さぶと栄二は幼い頃から住み込みで働き、兄弟以上の関係を築いていた。
栄二は利発で自分の意見ははっきり言わないと気が済まない。一方、さぶは少々愚鈍な上に、言いたいことも言えずに飲み込んでしまう。
さぶにとって栄二は自慢。何をするにも栄二を頼りにする。
その栄二に事件が起きます。両替商「綿文」で仕事をしていると、100両もする「金襴のきれ」がなくなり、それが栄二の仕事箱に入っていたのだ。どんなに栄二が抗弁しても聞き入れられず、栄二は石川島の人足寄場に送られてしまう。
そうとは知らないさぶは、栄二の居場所を探そうとして、主人や得意先から嫌われ暇を出されてしまいます。
ようやく居場所を突き止めても、栄二はさぶに会おうとしない。許婚のおすえには「ここを出たら復讐してやる」「俺のことは諦めてくれ」の一点張り。
人足寄場でも栄二は名前を明かさず喧嘩の日々。恨み辛みに凝り固まって自暴自棄。(俺をはめたのはあいつに違いない)と、さぶを疑う始末。
寄場は社会からドロップアウトした人間ばかりが集まった掃きだめ。この救いようのない男たちの中で、栄二は人がガラリと変わります。
「寄場での足かけ3年はシャバの10年よりも役に立った」・・・掃きだめでなにを掴んだのか。
運命の悪戯でどん底に落ちてしまうことは少なくありません。
どん底から這い上がるには、「復讐心」も大きなエネルギーになるかもしれませんよね。中には、どん底で飽きたらず奈落の底へと沈んでしまう人も少なくありませんね。
人の真価は得意な時にはわかりません。余裕がありますからね。失意の時は現金正価掛け値無しの人間力が浮き彫りになります。
「どん底」に落ちたときにどうなるか?
実は、他人は注目してるんですね。「ああ、あいつはその程度の人間だったのか」となるか、「めげないヤツだな」となるか。
「どん底の温かさ」を知ったとき、だれもが栄二のように人間革命を起こすのかもしれません。500円高。