2008年08月27日「闇の子供たち」

カテゴリー中島孝志の不良映画日記」

 たしかに、江口洋介さんが新聞記者役を演じるかどうか2週間迷った、というのもわかるわな。まして、カメラマン役の妻夫木さんには原作通りの役はさせられないわなあ。

 そりゃ原作のほうがディテールまで行き届いてますよ。けど、この映像はピューリッツァー賞ものじゃないの? 邦画とは思えませんな。つうか、ここまで来たか、日本の映画も。くたばれ、ハリウッド!
 というわけで、スーパーヘビー級の映画です。


こういう映画にお客が集まる。ええこっちゃ。

「四百四病の病より貧よりつらいものはない」
 昔、松下幸之助さんはこんなことを言ってましたっけ。

 貧しい国は富める国からとことん搾取され、貧しい民は富める民からこれまたとことん搾取される。貧しい国が売れるものは何か。資源。資源もない国は何を売ればいいか?
 お定まりの麻薬と性。最近では臓器も。・・・哀しいけど、これが現実。

 恒産も恒心もない「人でなし」を親に持った不幸。子どもはモノ。買いたいヤツがいれば何人でも売る。それで酒を飲む。女を買う。その日を暮らす。罪の感覚なんてない。

 ここには日本の「格差遺伝」なんて笑い飛ばせるほど、最底辺の絶望的な現実がありますな。人権? ンなものは恵まれた人のご託。

 舞台はタイ。テーマは幼児売買春と臓器売買。梁石日(ヤン・ソギル)さんの作品は『血と骨』もそうだけど、読むのに大変な精神力が必要なのよ。

 以前、臓器売買についての本を紹介しましたけど、ここでは医師とブローカーが結託してストリートチルドレンの臓器を叩き売る。ストリートチルドレンの命はどうなんの? 用済みで捨てられるだけ。モノだから。

 貧しい国の貧しい地域では命の値段も安い。そして人権なんてない。生命保険じゃないけど、国ごとの人命の値段を購買力平価で計算してみようかな。

 8歳のセンラーと10歳のヤイルーンの姉妹。姉は幼児性愛者のための売春宿で働かされたあげく、エイズを発症して捨てられます。ゴミ袋に入れられたままね・・・。
 ゴミ捨て場でゴキブリを口にしながら故郷に向かう。這ってようやく辿り着いたものの竹檻に入れられた。気づけば、すでに蟻に食われていた。映画では火葬とされ、原作では父親がガソリンで焼き殺した。

 センラーは? 売春宿を抜け出ると、今度はきれいな服を着せられて病院へ。8歳になる日本の子どものために自分の心臓を奪われるとも知らないでね。

 わが子とストリートチルドレンの命のどちらを選ぶ? 自明の理だよね。悩む必要ない、親ならね。親はエゴでいいの。親バカでいい。そこに助かる可能性が1%でもあるならなんでもやる。こんな時、人権云々なんて言い出すのはバカ親だと思う。

「助けることはできないけど、この目で見たことを見たとおりに書く。君は見たとおりに撮ればいい」

 けどね、心の闇までは撮れんのよ。映らんのよ。快楽に聖域はありません。人間は残酷な生物です。正義を振りかざす人間ですら自分の欲望を抑えることができない。
 われも煩悩の子、人も煩悩の子だ、と。

 昔、『邪宗門』に「花よりも美しく神よりも神々しいのは人の心。糞尿よりも汚く、蛆にも劣るのも人の心よ」という言葉がありましたな。たしかに、たしかに・・・。

 この映画のために作られた桑田佳祐さんの「現代東京奇譚」。これええなあ。彼の曲でいちばん好きやな。




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