2000年11月20日「コンサルティングの悪魔」「企業危機管理 実戦論」「日本の経営 アメリカの経営」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 この10日間、仕事の合間にざっと50数冊の本に目を通しました。半分が仕事絡みの本でした。「これは面白かった」という本がたくさんありましたが、今回は以下のビジネス関連書籍三冊のみをご紹介することにします。

1「コンサルティングの悪魔」 ハイス・ビーノルト著 徳間書店 1800円
 分厚い本だったけど、一時間半くらいで読めた。というよりも、それ以上、時間を掛けるともったいないんだよね、この手の本は。
 サブに「日本企業を食い荒らす騙しの手口」とあり、帯に「ボストン・コンサルティング・グループ東京の元社員の衝撃手記」とあった。
 わたしはどうも大の芸能ニュース好きらしく、書斎で仕事をしていても、NHKから民放のくだらないワイドショーにチャネルを合わせては、サッチーVSミッチーのハブとマングースの戦いとか有名女優の覚醒剤づけの馬鹿息子の報道に、いつの間にか身を乗り出しては、フムフムと聞いている自分を発見しては、「いけない、いけない。こんなことをしていては。締め切りに追われてるんだ」と反省する毎日なのだ。だから、「噂の真相」というゴシップ誌もチェックしてれば、本書のような暴露本も必ず手にとってしまうわけだ。まぁ、好奇心の塊というか、井戸端会議好きの主婦感覚というか、そんなものなんだなぁ。
 本書によると、支障のある人については仮名にしたらしいが、たとえば、「元外交官の息子‥‥」という表現では、あぁ、これは堀紘一さん以外のだれでもないなというのがすぐわかる。読む人によっては登場人物が特定できてしまうのだ(それもまんざらつまらなくもないけれども)。
 読み進んでいくうちに、どうやらコンサルタントという職業はクライアントのレッドスポットを突き止めては、それを大げさに誇張してドカッと金をふんだくる輩に見えてきてしょうがない。クライアントの問題点を解決するよりも、考えられる限りの知恵と知識を駆使して食べ尽くし、甚大な利益を上げていく。その代償として高給を喰んでいるという。
 最近、外資系企業の経営者との仕事が増えているが、彼らの話を聞いていると、高給を喰む代わりに甚大なストレスと戦っていることがよくわかる。たとえば、周囲は友人ではなく、すべて敵だと一様に語る。日本企業なら、ライバル企業との戦いに集中すればいいだけだが、「外資系は前からも後ろからも左右、上下、斜めからも鉄砲弾が飛んでくる」という。だから、その見返りとしてお金くらいはたくさん貰わないと割に合わない。こういう論理だ。
 著者は外資系のコンサルタントだから二重にストレスがあったのだろう。
 せっかくのMBAの知識もこういう使い方をしていては、やり甲斐も何もないのではないかと思うが、会社の論理の前ではそんなことも言ってられないんだろうな。
 読んで愉しくなる本ではないけれども、「敵を知れば‥‥‥‥」と孫子が言う通り、コンサルタントを雇おうと考えている経営者には必読の書であるし、著者自身の就職活動についても触れられているから、コンサルタント志望者にも、また、人のふんどしで相撲を取るノウハウも詳細に語られているから、現役のコンサルタント諸氏にもたいへん参考になると思う(参考にしていいのか?)。

2「企業危機管理 実戦論」 田中辰巳著 文芸春秋 680円
 著者の行くところ、必ずトラブルあり。リクルート時代、総務部に異動した途端、アルバイトの女性による殺人事件に遭遇するかとと思えば、しばらくすると政財界を震撼させたリクルート事件。ノエビアに移れば移ったで今度は大地震。そんなこんなで危機管理の第一人者になってしまった、という。
 危機など管理できるわけがない。けれども、こうやって実地で勉強して経験を積んだことは、本人にとって立派なキャリアアップである。ビジネスマンというのは仕事から学んでプロにならなければならない。
 「近隣対策や総会対策、トラブル対策でその筋の人間に頼むと、あっという間に解決してくれるかもしれないが、その報酬を払って関係は終わりではなく、これがつきあいの始まりになる」と言う。ところが、会社側は「総会屋連中との窓口を無くしてしまえば、彼らも話の持っていきようが無くなって関係が途切れるのでは」と楽観的に期待するらしいが、これが間違いの元。きちんと窓口を作って対処することが大事らしい。
 総務担当者は「おまえの会社の総務はなってない、と文句をいわれるくらいが最適任」である。
 企業の危機管理では、一時的な売上低下よりも、信用失墜のほうを重視して対策を採るべし、とアドバイスする。薬害エイズの主役ミドリ十字のケースは会社が消えた。ジョンソン・エンド・ジョンソンは信用失墜をくい止めて蘇った。こんなケースもいろいろ紹介している。
 これから本格的になってくるリストラについての対処法も少し。
 「賃金と存在価値が釣り合わない社員。転勤や職種変更を受け入れない使い勝手の悪い社員。現経営体制に不満を抱いている社員。現体制に不安を抱かせる社員。新しい時代に順応できない社員がリストラの対象になる」と言う。その際、赤字事業の撤廃を理由に所属社員全員を解雇したりするケースでは、一刻も早く不採算部門から異動することを勧める。
 リストラされにくい社員の条件は、社内外に強力な後ろ盾がいること。たとえば社内外の労働組合、大口顧客、監督官庁などだ。あるいは余人をもって代えがたいノウハウや人脈を持っていること。会社をひっくり返すような爆弾情報を持っていること。この三つらしい。

3 「日本の経営 アメリカの経営」 八城政基著 日本経済新聞社 680円
 日経が文庫を出した。その一冊である。著者は今年のベストセラーである「MBA講義」の八城さん。つまり新生銀行の経営トップである。
 「MBA講義」については本欄で以前紹介したと思うが、本書は92年に出版した内容にM&Aについての新原稿を加味してまとめた本である。日本企業とアメリカ企業との相違について具体的体験談を交えて説明している好著だ。
 たとえば、リストラ。アメリカ企業は石油ショックのときに10〜15%のレイオフをした。たっぷりの退職金を払ったけれども、新しい仕事など簡単にも見つからないから、従業員にとってはありがたい話ではない。しかし会社は人減らしをして身軽になったから、株価も上がって業績が急激に改善する。従業員のほとんどが株を持っているから、リストラされたけれども株価が急騰して金持ちになる。退職金もたくさんもらっているから、株主としては幸福だが仕事がなくなったことは不満という構図なのだ。
 日本の場合は会社の業績はなかなかよくならない。けれど、会社勤めはなんとか続けられる。しかし、どんどん株価は急降下する。にっちもさっちもいかなくなってから、リストラが始まるというシステム。こうなると、従業員の間にも諦めの気持ちが生まれるから、スムーズにリストラの話ができる。
 こんなことやってるから、会社自体がおかしくなるばかりか税金頼みになって、無関係な国民にまでしわ寄せが来る。アメリカと正反対のことが起きるわけである。どちらが幸福だろうか。
 日本企業ではMBA取得者を幹部にいきなり抜てきするような人事はあまりない。「本人が周囲と人間関係で苦労するから」という理由らしい。その結果、外資系企業へと逃げられる。
 アメリカ企業では将来、上級幹部になれる可能性の高い社員を「ハイ・ポテンシャル」という。どんなに訓練をしようと将来伸びる可能性がない人は「ロー・ポテンシャル」。企業によっても違うが、大学を出て4〜5年以内、つまり30歳以下で「これは将来、会社を背負って立ってくれるかも」というハイ・ポテンシャルには、総合的にマネジメントを勉強してもらうようなローテーションを施す。つまり人事部が社員を動かすのではなくて、経営トップが直接関与する形でキャスティングをするわけだ。
 日本でそんなことをしたら、「依怙贔屓だぞ」と非難ごうごうだ。何より横並びを尊重する労働組合が率先してごちゃごちゃ言い出すだろう。アメリカ人は人には差があるから、成長性についても差があるのは当然と考えている。「能力のあるものに能力を発揮させるチャンスを与えてどこが悪い。会社にとっても望ましいことだ」ということだ。これ、当然のことなんだけど、日本ではまだまだここまで踏み込める会社はあまりない。年俸制とかなんとか言っても、せいぜい3割くらいしか違わないだもの。同期入社でも、2〜10倍くらいは差がないと実力主義などとは言えない。「もちろん、社長よりも年俸が多い」というのでなくては。
 アメリカ企業の特徴は落ちこぼれを出すことを躊躇しない。ということは、低能力の従業員を使うことが下手ということだ。逆に、日本企業の上司は平均点以下の従業員を使うことが得意だ。
 制度的に目からウロコが落ちる話題は、退職後の年金制度についてだろう。著者が勤務していたエクソンでは30年勤続して年金をもらうとすると、最後の3年間の平均年間報酬の約50%が支払われるという。これは役員も一般社員も変わらない。つまりアメリカではCEOといえども一雇用者なのである。役員の退職金が一般社員よりも特別に優遇されることはない。ただ計算基礎になる年俸が多いこと、上に行けば行くほどストックオプションが与えられていることによって、株価が上がれば膨大なキャピタルゲインを得られるわけ。
 老後の心配をするのは日本人の方が圧倒的に多い。日本では退職金を年金でもらうと家が買えないから全部一時金でもらう。それに対してアメリカでは家のことを心配しなくてすむ。大学を出て会社に勤めて5年もすると、だいたい自分で買えるから、心配は生活費だけ。
 30年勤めれば給料の半分程度の年金が一生もらえる。本人が死んでも15年くらいは遺族がもらえるから安心。だから、アメリカ人の貯蓄率は低い。貧しいから貯蓄率が低いのではない。心配する必要がないから貯蓄をする必要性を感じないのだ。
 日本人の貯蓄率が高いことは一見、素晴らしいことのように思えるが、実は老後が心配で個人の生活環境が貧しく、貯蓄をしなければ生きていけないからだ。政府は天下り団体とダメ業界に湯水のように税金をタレ流し続けているから、せめて貯蓄がないと安心できない。そういう意味では、ODAを自分の懐に入れる元首や政府高官がたくさんいる発展途上国と酷似している。
 キッシンジャーが、「日本人は相手に対して同じレベルで付き合うことがとても下手な民族だ。常に相手を見下すか、逆に劣等感を持って見上げるかのどちらかである。同じレベルで話したり、つきあうことが非常に下手なのではないか」と言っていたが、縦の人間関係の東洋と、横の人間関係の欧米。これはまったくギャップがある。コミュニケーションにギャップが出てくるのも当たり前である。