2000年11月10日「まず、ルールを破れ」「回転スシ世界一周」「ヤバイ伝」
今回も新刊書を三冊、ご紹介します。
1 「まず、ルールを破れ」 マーカス・バッキンガム、カート・コフマン 日本経済新聞社 1600円
タイトルがいいので買ってみた。「過去二十五年間にわたりギャラップが実施した大規模な二大調査研究の集大成」とある。なるほど、力作なんだなぁ。
けれども、それほどたいした内容ではなかった。
わたしは翻訳書が大嫌いなんだけど、その理由ははっきり言って、繰り返しが多いことだ。同じことを表現を変えて何度も言う。そのくらいしないと、アメリカ人には理解できないからだろうが、ビジネス書を読むような日本人なら、一度言えばすんなりわかる。翻訳者もちょっとはカットして読みやすくしてもらいたい。翻訳というのは、わたしも何冊かやったことがあるが、言葉を伝えるのではなく、意味を伝えるものなのだ。
曰く、「すぐれたマネジャーは革命家だ」「才能ある社員に必要なものはすぐれたマネジャーである」「人はそんなに変わりようがない。足りないものを植えつけようとして時間を無駄にするな。そのなかにあるものを引き出す努力をしろ」とある。
同感である。しかし、これこそほんとうに難しい。よく研修でいろんな講義を受けると思うが、だれもがミニ経営者のような気分に浸る。けれども、有意義な研修というのは「いいマネジャーになるとはどういうことなのか」を勉強させるものだ。
ところで、すぐれたマネジャーは内側に目を向ける。会社の内部を見る。個人ひとりひとりの目標や仕事のスタイル、必要性、そしてやる気の違いに目を向ける。これらの違いは小さくささいなものだが、優れたマネジャーは自らこれらに注意を払う必要性を自覚している。これらの些細な違いを理解することによって、その独自の才能をパフォーマンスに反映させられる正しい方向性は見いだすことにつながるからだ。
逆に、有能なリーダーはこれとは反対に外側に目を向けている。競争の状況を見つめ、将来や前進のための新たな道筋に目を向ける。世の中のトレンドに目をつけ、そこにさまざまな結びつきや切れ目を探して、抵抗が最も弱いところで自分たちの有利な点をうまく生かそうとする。リーダーは明確なビジョンをもっていなければならず、戦略的な考えを展開し組織の活性化を図ることが必要だ。
マネジャーとリーダーの仕事の核心には本質的な違いがある。マネジャーとして極めて優れているにもかかわらず、リーダーとして全くダメという現象があっても不思議ではない。反対にリーダーとして優秀な仕事をする人がマネジャーとしては落第ということもある。もちろん両者の立場ですぐれた仕事をする例外的な才能の持ち主もいないことはない。
だれでも他人にはないすばらしさを持っているという言葉には、誰でも例外として扱われるべきだという意味がある。人は互いに全く違った酸素をすっている。
「なぜすべての職務で英雄を作ろうとしないのか」という言葉には目からウロコが落ちた。
2「回転スシ世界一周」 玉村豊男著 世界文化社 1500円
これは文芸春秋のエッセイで紹介されていたので、すぐに書店に飛び込んで探した本だ。
おもしろい。痛快である。回転スシを通じて見た異文化理解の本だ。
それにしても、回転スシってすごいのね。ロンドン、パリ、イタリア、アメリカ、香港、ロシア、東欧など、もう嫌というほど進出している。
ところで、フランス人というのはコースで食べる民族だから、前菜かスープ、メインディッシュ、チーズかデザートというように、どんな簡単な料理でもこの三コースを順番に食べる。これはすべての料理がいっしょくたに載った機内食でも変わらず、きちんと順番にしたがって律儀に食べるのだ。
また、けっして自分の皿の上のものを他人に分けたりしない。中華料理でも、チリソースを注文した人はずっとチリソースばかり、酢豚を注文した人はすっと酢豚というように、最初から最後まで分けずに食べる。中華なんだから半分ずつ分けて食べればいいのにと思うがそうしない。スシも同じ。二貫のスシを一個ずつ分けない。それとスシに焼き鳥のタレをつけて食べるのが好きなのだそうだ。変なの。
ヨーロッパ、とくに食文化ではうるさいフランス人がスシを認めている理由は、第一に健康的ということ。たんにローカロリーだからダイエットにいいというだけではない。フランス人はコメを野菜の一種と受け止めているんだね。だから、魚と野菜が載ったスシはバランスのとれた完全食品と考えられているようだ。
それと重要なポイントがもう一つ。それは「寿司は流行ではない」ということ。つまり、安っぽいファッションやトレンドではなく、日本を代表する伝統的な食文化、スーパーオリジナルな食文化だと敬意を表しているから。これはユニークな視点だね。
回転スシの効用というのがあって、それはフランスではレストランでもけっし相席はしない。知らない人が隣に座ること自体が珍しい。まして、隣人に話しかけることなど考えられもしないことだった。ところが、回転スシでは真っ赤な他人とのコミュニケーションがある。たとえばデカブリオが回転スシに来たとき、周囲の人から挨拶されたというが、こんなことはフランスでは絶対ないはずなのに、回転スシだからあったことだ。
フランスの回転スシ屋ではいつもバックグラウンドに英語の音楽がかかっている。絶対にシャンソンではない。フランス人にとってワインとシャンソンは日本酒と演歌のようなオヤジをイメージさせるのである。
結局、みんな新しいものが好きなのだ。情報に接し、モノに触れれば、古い考えは変わるのである。
ところで、スシというのはもともと昭和二十二年の「飲食営業緊急措置令」により販売が禁止されたのに対し、東京都のスシ商組合が「客が持参する米一合とスシ十貫を交換する」という名目で営業を続けることになったのである。現在も一人前のスシが握りと巻きもので合計十貫とされているのはその時代の名残だ。
「スシは頭で食べる料理。だから、スシの普及には一定以上の知的レベルが必要」という著者の論理には大賛成。外国の人が異文化を試してみるとき、これはアホにはできない。
変化、革命というのはアホではできないのである。
3 「ヤバイ伝」 ジュームズ三木著 新潮社 1200円
ご存じ、週刊新潮に連載されている好エッセイをまとめた一冊。
どういうわけか、わたしはこの人が好きだ。人間的にはつき合いがないからわからないが、文章は好きだ。この人の事務所は会社組織で、社員が二人いるらしいが、社是社訓があるという。「濡れ手で粟」だという。いいなぁ、この感覚。
「名刺交換の要領はシャツの胸ポケットに裸のまま入れておいて、相手がモタモタしている間にひらりと出してしまうこと。ツバメ返しの要領である」
「人の言うことを聞かない老人がいる。前歴を訊ねるとたいてい元教師である。他人の言葉に耳を傾ける習慣が欠落しているのだ。雄弁な教師が良い教師とは思わない」
「安楽死ではなく、安楽殺」
「人事は掛け算の効果がなければダメ。足し算ではダメ。足し算にしかならない社員はリストラすればよい。ピッチャーとキャッチャー、ストライカーとアシストの関係を社内をたくさん作るべきなのだ」
「気をつけないと、政治家は選挙区を守り、支持者の後援会を守り、大企業、銀行だけを守り、一般庶民は守らないだろう」
座布団三枚くらい差し上げたくなるメッセージである。
1 「まず、ルールを破れ」 マーカス・バッキンガム、カート・コフマン 日本経済新聞社 1600円
タイトルがいいので買ってみた。「過去二十五年間にわたりギャラップが実施した大規模な二大調査研究の集大成」とある。なるほど、力作なんだなぁ。
けれども、それほどたいした内容ではなかった。
わたしは翻訳書が大嫌いなんだけど、その理由ははっきり言って、繰り返しが多いことだ。同じことを表現を変えて何度も言う。そのくらいしないと、アメリカ人には理解できないからだろうが、ビジネス書を読むような日本人なら、一度言えばすんなりわかる。翻訳者もちょっとはカットして読みやすくしてもらいたい。翻訳というのは、わたしも何冊かやったことがあるが、言葉を伝えるのではなく、意味を伝えるものなのだ。
曰く、「すぐれたマネジャーは革命家だ」「才能ある社員に必要なものはすぐれたマネジャーである」「人はそんなに変わりようがない。足りないものを植えつけようとして時間を無駄にするな。そのなかにあるものを引き出す努力をしろ」とある。
同感である。しかし、これこそほんとうに難しい。よく研修でいろんな講義を受けると思うが、だれもがミニ経営者のような気分に浸る。けれども、有意義な研修というのは「いいマネジャーになるとはどういうことなのか」を勉強させるものだ。
ところで、すぐれたマネジャーは内側に目を向ける。会社の内部を見る。個人ひとりひとりの目標や仕事のスタイル、必要性、そしてやる気の違いに目を向ける。これらの違いは小さくささいなものだが、優れたマネジャーは自らこれらに注意を払う必要性を自覚している。これらの些細な違いを理解することによって、その独自の才能をパフォーマンスに反映させられる正しい方向性は見いだすことにつながるからだ。
逆に、有能なリーダーはこれとは反対に外側に目を向けている。競争の状況を見つめ、将来や前進のための新たな道筋に目を向ける。世の中のトレンドに目をつけ、そこにさまざまな結びつきや切れ目を探して、抵抗が最も弱いところで自分たちの有利な点をうまく生かそうとする。リーダーは明確なビジョンをもっていなければならず、戦略的な考えを展開し組織の活性化を図ることが必要だ。
マネジャーとリーダーの仕事の核心には本質的な違いがある。マネジャーとして極めて優れているにもかかわらず、リーダーとして全くダメという現象があっても不思議ではない。反対にリーダーとして優秀な仕事をする人がマネジャーとしては落第ということもある。もちろん両者の立場ですぐれた仕事をする例外的な才能の持ち主もいないことはない。
だれでも他人にはないすばらしさを持っているという言葉には、誰でも例外として扱われるべきだという意味がある。人は互いに全く違った酸素をすっている。
「なぜすべての職務で英雄を作ろうとしないのか」という言葉には目からウロコが落ちた。
2「回転スシ世界一周」 玉村豊男著 世界文化社 1500円
これは文芸春秋のエッセイで紹介されていたので、すぐに書店に飛び込んで探した本だ。
おもしろい。痛快である。回転スシを通じて見た異文化理解の本だ。
それにしても、回転スシってすごいのね。ロンドン、パリ、イタリア、アメリカ、香港、ロシア、東欧など、もう嫌というほど進出している。
ところで、フランス人というのはコースで食べる民族だから、前菜かスープ、メインディッシュ、チーズかデザートというように、どんな簡単な料理でもこの三コースを順番に食べる。これはすべての料理がいっしょくたに載った機内食でも変わらず、きちんと順番にしたがって律儀に食べるのだ。
また、けっして自分の皿の上のものを他人に分けたりしない。中華料理でも、チリソースを注文した人はずっとチリソースばかり、酢豚を注文した人はすっと酢豚というように、最初から最後まで分けずに食べる。中華なんだから半分ずつ分けて食べればいいのにと思うがそうしない。スシも同じ。二貫のスシを一個ずつ分けない。それとスシに焼き鳥のタレをつけて食べるのが好きなのだそうだ。変なの。
ヨーロッパ、とくに食文化ではうるさいフランス人がスシを認めている理由は、第一に健康的ということ。たんにローカロリーだからダイエットにいいというだけではない。フランス人はコメを野菜の一種と受け止めているんだね。だから、魚と野菜が載ったスシはバランスのとれた完全食品と考えられているようだ。
それと重要なポイントがもう一つ。それは「寿司は流行ではない」ということ。つまり、安っぽいファッションやトレンドではなく、日本を代表する伝統的な食文化、スーパーオリジナルな食文化だと敬意を表しているから。これはユニークな視点だね。
回転スシの効用というのがあって、それはフランスではレストランでもけっし相席はしない。知らない人が隣に座ること自体が珍しい。まして、隣人に話しかけることなど考えられもしないことだった。ところが、回転スシでは真っ赤な他人とのコミュニケーションがある。たとえばデカブリオが回転スシに来たとき、周囲の人から挨拶されたというが、こんなことはフランスでは絶対ないはずなのに、回転スシだからあったことだ。
フランスの回転スシ屋ではいつもバックグラウンドに英語の音楽がかかっている。絶対にシャンソンではない。フランス人にとってワインとシャンソンは日本酒と演歌のようなオヤジをイメージさせるのである。
結局、みんな新しいものが好きなのだ。情報に接し、モノに触れれば、古い考えは変わるのである。
ところで、スシというのはもともと昭和二十二年の「飲食営業緊急措置令」により販売が禁止されたのに対し、東京都のスシ商組合が「客が持参する米一合とスシ十貫を交換する」という名目で営業を続けることになったのである。現在も一人前のスシが握りと巻きもので合計十貫とされているのはその時代の名残だ。
「スシは頭で食べる料理。だから、スシの普及には一定以上の知的レベルが必要」という著者の論理には大賛成。外国の人が異文化を試してみるとき、これはアホにはできない。
変化、革命というのはアホではできないのである。
3 「ヤバイ伝」 ジュームズ三木著 新潮社 1200円
ご存じ、週刊新潮に連載されている好エッセイをまとめた一冊。
どういうわけか、わたしはこの人が好きだ。人間的にはつき合いがないからわからないが、文章は好きだ。この人の事務所は会社組織で、社員が二人いるらしいが、社是社訓があるという。「濡れ手で粟」だという。いいなぁ、この感覚。
「名刺交換の要領はシャツの胸ポケットに裸のまま入れておいて、相手がモタモタしている間にひらりと出してしまうこと。ツバメ返しの要領である」
「人の言うことを聞かない老人がいる。前歴を訊ねるとたいてい元教師である。他人の言葉に耳を傾ける習慣が欠落しているのだ。雄弁な教師が良い教師とは思わない」
「安楽死ではなく、安楽殺」
「人事は掛け算の効果がなければダメ。足し算ではダメ。足し算にしかならない社員はリストラすればよい。ピッチャーとキャッチャー、ストライカーとアシストの関係を社内をたくさん作るべきなのだ」
「気をつけないと、政治家は選挙区を守り、支持者の後援会を守り、大企業、銀行だけを守り、一般庶民は守らないだろう」
座布団三枚くらい差し上げたくなるメッセージである。