2000年10月30日「iモード事件」「無償の仕事」 「少年の日を越えて」
今週は単行本と広報のプロデュースを依頼され、そのため鬼のように資料を読んでおりました。単行本だけでも1日10冊は読んだと思います。仕事でもこれだけ読むのはちょっとつらいですなぁ。読みたい本と読まねばならぬ本との間には「深くて暗い川」が流れているのでした。というわけで、今回も3冊だけご紹介します。
1「iモード事件」 松永真理著 角川書店 1300円
実はこれ、書店で見ただけで「ふーん、本人は何もできない人なんだナァ」と呆れて買わなかったのである。ところが、リクルートの女性社員が「おもしろいよ」と教えてくれて、「あなたがそこまで言うのなら」とじっくり読んだところ、「たいへんおもしろかった本」でした。参ったナァ。
さて、どうして、iモードが成功したのか。それを一言で言えば、「この人が素人だったから」である。なんだかんだ言っても、それに尽きる。
それじゃタダのお飾りかといえば、そうではない。世の中にはお飾りの編集長とか、部長さん、あるいは社長さんもいるが、この人は「わからないこと」を「わからない」と言い、「こうしたい」ということを「こうさせてきた」。つまり、妥協せずに素人の意見を押し通してきたのだ。おそらく、周囲の反発、とくに玄人ともいうべきスペシャリストの理にかなった反発があっただろうと思う。けれども、それをものともせず、「カエルの顔に‥‥」で凌いだ。それがiモードにつながったわけだ。
もちろん、彼女を先頭に押し立てて、道の雑草を刈り取って歩いたバックヤードの人間もたくさんいた。でも、「組織のしきたり」とか「従来の方法」とかを徹底否定して、「わがまま」を上手に押し通すのは彼女でしかできなかったのではないかと思う。それは女の強みというよりも、男性でも女性でもない中性の強みではないかと思うのだ。
できるビジネスマンというのは男でも女でも性別を感じさせない。わたしの経験では中性人間である。父性も母性も同時に持っている。
「ベストセラーは読まない」という人がいる。それはそれで見識だとも言えるが、この本はまともな内容のベストセラーだと思う。
2「無償の仕事」 永六輔著 講談社 680円
どういうわけか、永さんの本が好きだ。先回に引き続き。また一冊。
無償」と書いて「ただ」と読ませる。「いったい、ボランティアって何」ということをおもしろくも静かに考えさせる本である。
永さんがボランティアで講演に行ったときのこと。駅から会場までこれまたボランティアの主婦が車で送迎することになった。ところが、この人、まったく運転も下手だし、道順もわからない。危なっかしくて、永さんは生きた心地がしない。そこで、「帰りはタクシーを呼んでおいてください。電車に間に合わないと支障が出ますから」と言うと、これが大喧嘩になる。
「わたしはボランティアでやってるんですから」と居直るわけだ。タダなら、ちょっとばかり下手で道がわからなくて電車に遅れようが文句を言うな、ということだろう。
こんなボランティアよりタクシー運転手に任せたほうがよっぽどいい。相手はプロだから、きちんと運転する。空いてる道も知ってる。しかも、下手くそならチップも払わないで済む。なによりもストレスを感じないで済むではないか。
つまり、タダの仕事というのは提供する側より提供される側にとって、実は痛しかゆしなのである。こんな具体的な話がいっぱいの本である。
ところで、そのおばさんボランティアはタクシーなど呼んでいなかったという。「わたしが送迎することになっているのに、わたしの顔を潰す気か」というわけだ。結局、永さんは怒って自分でタクシーを呼んで帰ってきたという。たいへんですナァ。どういうわけか、永さんの本が好きだ。この人の根底にある人間的な優しさが好きなんだろう。
3 「少年の日を越えて」 古川嘉一郎著 大阪書籍 950円
これもインターネットで調べてゲットした本だ。とにかく、芸能界、漫才、落語の本が好きなのだ。
著者は上方芸能の編集などをしていた人だ。サブタイトルに「漫才教室の卒業生たち」とあるとおり、これは40年ほど前に大阪で人気を博していた「漫才教室」というラジオの素人演芸番組を巣立った芸人たちの若き日の姿をインタビューでまとめたものだ。
登場する人間は桂三枝、桂枝雀、レッツゴー正児、そして横山やすしである。芸人になる前のアマチュア時代の話がおもしろい。
ところで、桂三枝と正児は大阪の市岡商業高校では同じ演劇部で漫才をしていたらしい。正児が一学年上(といっても、貧乏で二年遅れて入学したから年では三歳上になる)でこの「漫才教室」に勝ち抜いて学校中のスターだったという。それを見た三枝が真似したわけだ。元もと、彼は落語家にはなる気がなくて、漫才とか司会をして笑わせていた。
しかし、漫才というのは相方に恵まれないと難しい。彼の相方になる人間は堅気志向だから、1人でできることとして落語家を選択する。
彼の如才ないところは、当時、「だれのところに弟子入りしたらいちばん弟子になれるか」をきちんと計算したことだ。
先頃、自殺してしまった枝雀さんはこの本が出版された15前のさらに数年前にも鬱病でたいへんだったことがわかった。完璧主義で生真面目な性分を克服して、「もう二度と死ぬ気にはならない」と言っていたが、それが近年、またぶり返してしまったのである。
「伊丹の前田兄弟」として有名だった枝雀さんだ。出場者が少ないと、ラジオ局から電報で「すぐ出てこい」という知らせを受けるほどの売れっ子で、当時、優勝すると1万円(いまの金で言うと、10万円以上の価値)もらって、これが親の借金を返す原資になったという。芸の世界はやっぱりハングリースポーツなんだね。
若い人は知らないだろうが、「イャーンイャーン」で一世を風靡したルーキー新一の弟が正児である。ルーキー新一はわたしも最高におもしろくて好きだったが、突然、テレビには出なくなった。当時はわからなかったが、吉本から独立して、逆に吉本の妨害で完全に劇場から干されてしまい、そして結局、若死にしてしまったのだ。だから、この正児も吉本を追い出される。このへん、企業の論理は厳しくて怖ろしいね。
やすしのことは有名だから、省略。
成功話より、こういう下積みの話のほうがわたしは好きだ。
1「iモード事件」 松永真理著 角川書店 1300円
実はこれ、書店で見ただけで「ふーん、本人は何もできない人なんだナァ」と呆れて買わなかったのである。ところが、リクルートの女性社員が「おもしろいよ」と教えてくれて、「あなたがそこまで言うのなら」とじっくり読んだところ、「たいへんおもしろかった本」でした。参ったナァ。
さて、どうして、iモードが成功したのか。それを一言で言えば、「この人が素人だったから」である。なんだかんだ言っても、それに尽きる。
それじゃタダのお飾りかといえば、そうではない。世の中にはお飾りの編集長とか、部長さん、あるいは社長さんもいるが、この人は「わからないこと」を「わからない」と言い、「こうしたい」ということを「こうさせてきた」。つまり、妥協せずに素人の意見を押し通してきたのだ。おそらく、周囲の反発、とくに玄人ともいうべきスペシャリストの理にかなった反発があっただろうと思う。けれども、それをものともせず、「カエルの顔に‥‥」で凌いだ。それがiモードにつながったわけだ。
もちろん、彼女を先頭に押し立てて、道の雑草を刈り取って歩いたバックヤードの人間もたくさんいた。でも、「組織のしきたり」とか「従来の方法」とかを徹底否定して、「わがまま」を上手に押し通すのは彼女でしかできなかったのではないかと思う。それは女の強みというよりも、男性でも女性でもない中性の強みではないかと思うのだ。
できるビジネスマンというのは男でも女でも性別を感じさせない。わたしの経験では中性人間である。父性も母性も同時に持っている。
「ベストセラーは読まない」という人がいる。それはそれで見識だとも言えるが、この本はまともな内容のベストセラーだと思う。
2「無償の仕事」 永六輔著 講談社 680円
どういうわけか、永さんの本が好きだ。先回に引き続き。また一冊。
無償」と書いて「ただ」と読ませる。「いったい、ボランティアって何」ということをおもしろくも静かに考えさせる本である。
永さんがボランティアで講演に行ったときのこと。駅から会場までこれまたボランティアの主婦が車で送迎することになった。ところが、この人、まったく運転も下手だし、道順もわからない。危なっかしくて、永さんは生きた心地がしない。そこで、「帰りはタクシーを呼んでおいてください。電車に間に合わないと支障が出ますから」と言うと、これが大喧嘩になる。
「わたしはボランティアでやってるんですから」と居直るわけだ。タダなら、ちょっとばかり下手で道がわからなくて電車に遅れようが文句を言うな、ということだろう。
こんなボランティアよりタクシー運転手に任せたほうがよっぽどいい。相手はプロだから、きちんと運転する。空いてる道も知ってる。しかも、下手くそならチップも払わないで済む。なによりもストレスを感じないで済むではないか。
つまり、タダの仕事というのは提供する側より提供される側にとって、実は痛しかゆしなのである。こんな具体的な話がいっぱいの本である。
ところで、そのおばさんボランティアはタクシーなど呼んでいなかったという。「わたしが送迎することになっているのに、わたしの顔を潰す気か」というわけだ。結局、永さんは怒って自分でタクシーを呼んで帰ってきたという。たいへんですナァ。どういうわけか、永さんの本が好きだ。この人の根底にある人間的な優しさが好きなんだろう。
3 「少年の日を越えて」 古川嘉一郎著 大阪書籍 950円
これもインターネットで調べてゲットした本だ。とにかく、芸能界、漫才、落語の本が好きなのだ。
著者は上方芸能の編集などをしていた人だ。サブタイトルに「漫才教室の卒業生たち」とあるとおり、これは40年ほど前に大阪で人気を博していた「漫才教室」というラジオの素人演芸番組を巣立った芸人たちの若き日の姿をインタビューでまとめたものだ。
登場する人間は桂三枝、桂枝雀、レッツゴー正児、そして横山やすしである。芸人になる前のアマチュア時代の話がおもしろい。
ところで、桂三枝と正児は大阪の市岡商業高校では同じ演劇部で漫才をしていたらしい。正児が一学年上(といっても、貧乏で二年遅れて入学したから年では三歳上になる)でこの「漫才教室」に勝ち抜いて学校中のスターだったという。それを見た三枝が真似したわけだ。元もと、彼は落語家にはなる気がなくて、漫才とか司会をして笑わせていた。
しかし、漫才というのは相方に恵まれないと難しい。彼の相方になる人間は堅気志向だから、1人でできることとして落語家を選択する。
彼の如才ないところは、当時、「だれのところに弟子入りしたらいちばん弟子になれるか」をきちんと計算したことだ。
先頃、自殺してしまった枝雀さんはこの本が出版された15前のさらに数年前にも鬱病でたいへんだったことがわかった。完璧主義で生真面目な性分を克服して、「もう二度と死ぬ気にはならない」と言っていたが、それが近年、またぶり返してしまったのである。
「伊丹の前田兄弟」として有名だった枝雀さんだ。出場者が少ないと、ラジオ局から電報で「すぐ出てこい」という知らせを受けるほどの売れっ子で、当時、優勝すると1万円(いまの金で言うと、10万円以上の価値)もらって、これが親の借金を返す原資になったという。芸の世界はやっぱりハングリースポーツなんだね。
若い人は知らないだろうが、「イャーンイャーン」で一世を風靡したルーキー新一の弟が正児である。ルーキー新一はわたしも最高におもしろくて好きだったが、突然、テレビには出なくなった。当時はわからなかったが、吉本から独立して、逆に吉本の妨害で完全に劇場から干されてしまい、そして結局、若死にしてしまったのだ。だから、この正児も吉本を追い出される。このへん、企業の論理は厳しくて怖ろしいね。
やすしのことは有名だから、省略。
成功話より、こういう下積みの話のほうがわたしは好きだ。