2000年10月20日「一語一会」「想像力と創造力」 「田崎真也のサービスの極意」
相変わらず人物論を読み続けていますが、今週もほかの本に浮気してしまいましたので、そちらを優先してご紹介します。
1「一語一会」 保阪正康著 清流出版 2200円
サブタイトルが「出会いで綴る昭和史」とある。著者の関心は昭和史にある。これがライフワークだ。
本書は昭和史がらみの仕事をするなか、著者が会った64人との対話や独白のなかから心に引っかかったものを思い出してまとめた1冊である。
昭和史と言えば、避けては通れないというよりも、中心になるのは太平洋戦争のことである。あるいは「2・26事件」などの戦前の事件だ。その貴重な証言や独白、あるいは拒絶という意思を通じたメッセージについても掲載している。
「インタビューには聞くだけの構えと知識が必要である。相手を観察することは相手に観察されることでもある」と著者は言う。たしかにその通りだ。主体と客体はつねにコインの裏表なのだ。
「5・15事件」で倒れた犬飼首相の孫娘は当時、11歳。両親と公邸に住んでいたという。「あの事件は本当にひどい事件でした。それに、テロにあった私たちの方が肩をすくめて生きていく時代でした」
第3次近衛内閣、東條内閣で企画院総裁を務め、A級戦犯として終身刑になった鈴木貞一の言葉に、「戦後、人はモノもないのによく戦争をしたものだといって攻撃するけれど、それは議論がさかさまなんだよ。日本はモノがなかったから、どうにもならなくなって戦争をはじめたんだよ」
高坂正堯という京大教授がいた。彼は33歳のときに「吉田茂論」を書いて注目された。彼がそもそも吉田を書こうとした動機がおもしろい。
「吉田さんの書いたもののなかに、イリア・エレンブルグの一節が引用されていた。その一節が好きなんだ。戦争とは砲声と弾丸に脅える生活をしていた、と思われるかもしれないが、戦争中にもやはり花は咲いていて、人々は喜びを覚えていた、と書いていた。吉田はこれを引用して、歴史上の大事件というものはそんなものではないか、と言うのである。こういう見方をする吉田に関心を持った」というわけである。
人の考えることはおもしろい。そんな話が満載の1冊だ。
2「想像力と創造力」 永六輔著 毎日新聞社 1000円
どういうわけか、永さんの本が好きだ。この人の根底にある人間的な優しさが好きなんだろう。
「韓国と日本では食事の作法が違う。韓国では飯碗をテーブルに置いたままスプーンで食べる。日本ではこの食べ方を「犬食い」という。はしたない食べ方だ。日本では飯碗を手に持って箸で食べる。これを韓国では「乞食食い」といって不作法極まりない。
こんな2人が向かい合って食事をしたらどうなるだろう。両方で野蛮だと思うだろう。けれども、文化というのはこういうもので、違いを理解しあうところからが大切なのだ」と言う。
たしかにそうだ。けれども、そこで理解し合えるだけの距離ならいい。あまりにも距離が遠すぎると、かえって会わないほうがいい。知らぬが仏ということもある。
こんな疑問をたくさん感じられる本である。本とは著者と対話し、もう1人の自分と対話しながら読むものだということがよくわかる。
3 「田崎真也のサービスの極意」田崎真也著 大和出版 1400円
著者は奥付を確認するとわたしと同じ年である。テレビでお馴染みの世界一のソムリエであるが、こんなにサービスについて哲学のある人だとは思わなかった。目からウロコが何枚も落ちた。
沖縄サミットでも「首脳社交夕食会」のスタッフの一員としてサービスに当たったという。
元もと、工業高校を中退すると日本料理屋に勤務したものの、いじめと理不尽な徒弟制度、それでいて客のサービスなどなんら考えていない態度に憤りを感じるや、つくる側からサービスする側に回るのだ。ドイツ料理店に移るや、おそらく、そこでの人との出会いが良かったのだろう。そこからはめきめきと伸びていく。
ワインを勉強するうちに、フランス行きを熱望するようになる。1日いくつもの仕事をやって渡仏費用を貯め、結局、4年間もフランスにいた。20歳の貧乏な若者にフランス1の料理店が施したサービスがこの人の原点にある。以来、その店には一人前になってから父親を連れ、妻子を連れて計3回訪れている。
「ソムリエはサービスのプロであって、ワインの評論家ではない」
「2000本のワインを憶えるより、2000人のお客様を知れ」
「ワイン好きの人間はソムリエには向いていない。なぜなら、自分の好みを押しつけてしまう場合が多いからだ」
「ソムリエは自分が良いと思うワインを勧めるのが仕事ではなく、お客様の好みの味を探ることが仕事である」
「サービスはおもてなしではない。お客様をもてなすのは、その場で代金を払うホスト(ホステス)であり、われわれはあくまでもアシストに徹すべきである。サービス業とはアシスト業である」
ねっ、目からウロコが落ちたでしょ?
1「一語一会」 保阪正康著 清流出版 2200円
サブタイトルが「出会いで綴る昭和史」とある。著者の関心は昭和史にある。これがライフワークだ。
本書は昭和史がらみの仕事をするなか、著者が会った64人との対話や独白のなかから心に引っかかったものを思い出してまとめた1冊である。
昭和史と言えば、避けては通れないというよりも、中心になるのは太平洋戦争のことである。あるいは「2・26事件」などの戦前の事件だ。その貴重な証言や独白、あるいは拒絶という意思を通じたメッセージについても掲載している。
「インタビューには聞くだけの構えと知識が必要である。相手を観察することは相手に観察されることでもある」と著者は言う。たしかにその通りだ。主体と客体はつねにコインの裏表なのだ。
「5・15事件」で倒れた犬飼首相の孫娘は当時、11歳。両親と公邸に住んでいたという。「あの事件は本当にひどい事件でした。それに、テロにあった私たちの方が肩をすくめて生きていく時代でした」
第3次近衛内閣、東條内閣で企画院総裁を務め、A級戦犯として終身刑になった鈴木貞一の言葉に、「戦後、人はモノもないのによく戦争をしたものだといって攻撃するけれど、それは議論がさかさまなんだよ。日本はモノがなかったから、どうにもならなくなって戦争をはじめたんだよ」
高坂正堯という京大教授がいた。彼は33歳のときに「吉田茂論」を書いて注目された。彼がそもそも吉田を書こうとした動機がおもしろい。
「吉田さんの書いたもののなかに、イリア・エレンブルグの一節が引用されていた。その一節が好きなんだ。戦争とは砲声と弾丸に脅える生活をしていた、と思われるかもしれないが、戦争中にもやはり花は咲いていて、人々は喜びを覚えていた、と書いていた。吉田はこれを引用して、歴史上の大事件というものはそんなものではないか、と言うのである。こういう見方をする吉田に関心を持った」というわけである。
人の考えることはおもしろい。そんな話が満載の1冊だ。
2「想像力と創造力」 永六輔著 毎日新聞社 1000円
どういうわけか、永さんの本が好きだ。この人の根底にある人間的な優しさが好きなんだろう。
「韓国と日本では食事の作法が違う。韓国では飯碗をテーブルに置いたままスプーンで食べる。日本ではこの食べ方を「犬食い」という。はしたない食べ方だ。日本では飯碗を手に持って箸で食べる。これを韓国では「乞食食い」といって不作法極まりない。
こんな2人が向かい合って食事をしたらどうなるだろう。両方で野蛮だと思うだろう。けれども、文化というのはこういうもので、違いを理解しあうところからが大切なのだ」と言う。
たしかにそうだ。けれども、そこで理解し合えるだけの距離ならいい。あまりにも距離が遠すぎると、かえって会わないほうがいい。知らぬが仏ということもある。
こんな疑問をたくさん感じられる本である。本とは著者と対話し、もう1人の自分と対話しながら読むものだということがよくわかる。
3 「田崎真也のサービスの極意」田崎真也著 大和出版 1400円
著者は奥付を確認するとわたしと同じ年である。テレビでお馴染みの世界一のソムリエであるが、こんなにサービスについて哲学のある人だとは思わなかった。目からウロコが何枚も落ちた。
沖縄サミットでも「首脳社交夕食会」のスタッフの一員としてサービスに当たったという。
元もと、工業高校を中退すると日本料理屋に勤務したものの、いじめと理不尽な徒弟制度、それでいて客のサービスなどなんら考えていない態度に憤りを感じるや、つくる側からサービスする側に回るのだ。ドイツ料理店に移るや、おそらく、そこでの人との出会いが良かったのだろう。そこからはめきめきと伸びていく。
ワインを勉強するうちに、フランス行きを熱望するようになる。1日いくつもの仕事をやって渡仏費用を貯め、結局、4年間もフランスにいた。20歳の貧乏な若者にフランス1の料理店が施したサービスがこの人の原点にある。以来、その店には一人前になってから父親を連れ、妻子を連れて計3回訪れている。
「ソムリエはサービスのプロであって、ワインの評論家ではない」
「2000本のワインを憶えるより、2000人のお客様を知れ」
「ワイン好きの人間はソムリエには向いていない。なぜなら、自分の好みを押しつけてしまう場合が多いからだ」
「ソムリエは自分が良いと思うワインを勧めるのが仕事ではなく、お客様の好みの味を探ることが仕事である」
「サービスはおもてなしではない。お客様をもてなすのは、その場で代金を払うホスト(ホステス)であり、われわれはあくまでもアシストに徹すべきである。サービス業とはアシスト業である」
ねっ、目からウロコが落ちたでしょ?