2008年12月17日「深夜特急ノート 旅する力」 沢木耕太郎著 新潮社 1680円
日経web連載中の「社長の愛した数式」は連日15万人のアクセス。日経記事中、ダントツ人気のコラムとなりました。隔週水曜日の更新。本日更新です。
今回のテーマは「ホンダ」です。ここだけの話がテンコ盛り。ぜひご一読くださいませませ。
さて、通勤快読です。
「深夜特急」を読んだのはいつのことだろう? 産経新聞に連載された後、1986年に出版。
というと、私はとっくに結婚してたし、仕事では法人営業マンを卒業してちょうど新規事業を提案。バリバリ乗ってた頃だと思う。
道楽のキーマンネットワークも小さな勉強会から脱皮し、常時200〜300人くらいが集まる規模になった頃。
そして時代はこれからいよいよバブルに突入しようとする頃だ。
けど、もっと昔にこの著者の本は読んでいた気がする。
そうだ、学生時代。「テロルの決算」だ。山口二矢による社会党の浅沼稲次郎刺殺事件をモチーフにした作品。これで著者は大宅壮一ノンフィクション賞をとる。
以来、学生時代、この人をかなり追いかけたと思う。ほかに夢中になったのは高橋和巳と五木寛之。
それが突然、「深夜特急」か・・・もっと早く出会いたかった。なにしろ、内容は著者が70年代に旅したときにつけたノートをベースにまとめたものなんだから、さっさと書いてくれたら私の世代にはドンピシャ。
あの「なんでも見てやろう」は団塊世代のもの。私たちには古すぎた。
さて、旅の定義とはなんだろう? 定義しなければ話がかみ合わない。
著者は大槻文彦さんの「大言海」から引用する。
「家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト」
スタインベックはこう述べている。
「1つの実体である。そこには性格があり、気風があり、個性があり、独自性がある。旅は人間である。同じものは2つとない」
そして、著者は26歳のときにユーラシアへの長い旅に出ることを思い立つ。1973年。ドルショックに続いてオイルショックのまっただ中のときである。
わたしにとっての旅は空間的な移動は関係ない。出張も旅行もたいした違いはない。
精神的な移動を旅と定義している。つまり、インナートリップである。だから、「地井散歩」レベルでも十分な旅になることもあれば、ギリシャ〜ノルウェーをしばらく移動していた経験もたんなる出張にすぎない、ということもある。
どこがどう違うかというと、「心の気づき」の有無。これだけ。旅はその刺激を受けるための「仕掛け」ではなかろうか。
刺激を受信すること。感じること。思うこと。考えること。考え抜くこと。整理すること。書くこと。話すこと。情報を交換すること。刺激を受信すること・・・このサイクルを永遠に繰り返す。
この中に気づきがある。小さな気づき。大きな気づき。それが人を進化成長させることになる。
人間は小さい葦だけれども、それは考える葦である・・という理由はここにあるのかもしれない。
本書では、著者のいろんな旅物語が綴られている。テレビでもブレイクした「深夜特急」のあとがきのような部分も十分愉しめる。
だが、私が注目したのはやはり「縁」をナビゲータにして無意識に連れて行かれた人生の「旅」だ。旅はこの「縁」がチケットなのだ。
偶然ではなく必然のプログラムに気づかないといけない。
著者は横浜国大出身。ゼミ教師は後に神奈川県知事になる長洲一二さん。社会人1日目で富士銀行を退社。
教授はしょうがなく、「ルポなら書けるかもしれない」といういい加減な教え子のために、1人の物書きを紹介。これが大宅門下の青地晨さん。
彼が紹介した「展望」で、著者は「この寂しき求道者の群れ」を書く。周囲にも近々、雑誌で原稿が発表されると吹聴。
しかし、なかなか載らない。載らないわけだ、青地さんが止めていたのだから。
物書きという職業は世間知らずなようでいて、実はかなり人間がわかっていないとなれない。下手すると、世間ずれしてしまうけれども、良かれ悪しかれ、人間を知らないといい仕事はできない。
なにがいいたいかというと、青地さんはこの才能豊かな「沢木」という青年をある種の危うさを診たのである。
こんなにありがたい先輩はいないと思う。実はわたしも同じ経験をしたことがあるから、そのありがたさが理解できる。
才能はないよりもあったほうがいい、とだれもが思う。しかし、これは勘違いなのだ。
というのも、才能なんてものはとってもあやふやでつかまえどころがなく、壊れやすくて、挫折しやすい。当の本人ですら、自信満々と不安でいっぱいの間を繰り返しているようなものなのだ。
それに才能は身を助けるとともに、身を滅ぼすものでもあるのだ。「才気走る」という言葉を聞いたことがあると思う。そんな才能なら、かえって、ないほうがましなのだ。
青地さんの目には、22歳の若者に傲慢さとすれすれの過剰な自信が映ったのだろう。
はじめて書いてすんなり雑誌に掲載されたら、この若者の将来のためによくない。そこで、本人が諦める4カ月後に突然、掲載するのである。
この原稿に目をつけた連中がいる。TBSの「調査情報」というPR誌の編集部だ。
「テレビ局のPR誌?」とバカにしないことだ。内容には定評があり、業界を超えて高い評価を受けている雑誌なのだ。編集長の今井明夫さんは後に鈴木明というペンネームで大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。
日本の歌謡曲の現状について書いてみないか・・・という話だった。
青地さんから電話がなければ断っていた、という。「絶対に受けろ」「この雑誌はたんなるPR誌じゃない」「編集部の時代を見る目はたしかだ」・・・そう聞いて受けた。
この雑誌を舞台に取材、インタビューの世界に飛び込むことになった。その後の活躍はあなたもご存じの通り。
旅には縁がつきものだ。というより、縁があなたの人生(未来)を左右するナビゲーターなのだ、と気づいたほうがいいかもしれない。300円高。
今回のテーマは「ホンダ」です。ここだけの話がテンコ盛り。ぜひご一読くださいませませ。
さて、通勤快読です。
「深夜特急」を読んだのはいつのことだろう? 産経新聞に連載された後、1986年に出版。
というと、私はとっくに結婚してたし、仕事では法人営業マンを卒業してちょうど新規事業を提案。バリバリ乗ってた頃だと思う。
道楽のキーマンネットワークも小さな勉強会から脱皮し、常時200〜300人くらいが集まる規模になった頃。
そして時代はこれからいよいよバブルに突入しようとする頃だ。
けど、もっと昔にこの著者の本は読んでいた気がする。
そうだ、学生時代。「テロルの決算」だ。山口二矢による社会党の浅沼稲次郎刺殺事件をモチーフにした作品。これで著者は大宅壮一ノンフィクション賞をとる。
以来、学生時代、この人をかなり追いかけたと思う。ほかに夢中になったのは高橋和巳と五木寛之。
それが突然、「深夜特急」か・・・もっと早く出会いたかった。なにしろ、内容は著者が70年代に旅したときにつけたノートをベースにまとめたものなんだから、さっさと書いてくれたら私の世代にはドンピシャ。
あの「なんでも見てやろう」は団塊世代のもの。私たちには古すぎた。
さて、旅の定義とはなんだろう? 定義しなければ話がかみ合わない。
著者は大槻文彦さんの「大言海」から引用する。
「家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト」
スタインベックはこう述べている。
「1つの実体である。そこには性格があり、気風があり、個性があり、独自性がある。旅は人間である。同じものは2つとない」
そして、著者は26歳のときにユーラシアへの長い旅に出ることを思い立つ。1973年。ドルショックに続いてオイルショックのまっただ中のときである。
わたしにとっての旅は空間的な移動は関係ない。出張も旅行もたいした違いはない。
精神的な移動を旅と定義している。つまり、インナートリップである。だから、「地井散歩」レベルでも十分な旅になることもあれば、ギリシャ〜ノルウェーをしばらく移動していた経験もたんなる出張にすぎない、ということもある。
どこがどう違うかというと、「心の気づき」の有無。これだけ。旅はその刺激を受けるための「仕掛け」ではなかろうか。
刺激を受信すること。感じること。思うこと。考えること。考え抜くこと。整理すること。書くこと。話すこと。情報を交換すること。刺激を受信すること・・・このサイクルを永遠に繰り返す。
この中に気づきがある。小さな気づき。大きな気づき。それが人を進化成長させることになる。
人間は小さい葦だけれども、それは考える葦である・・という理由はここにあるのかもしれない。
本書では、著者のいろんな旅物語が綴られている。テレビでもブレイクした「深夜特急」のあとがきのような部分も十分愉しめる。
だが、私が注目したのはやはり「縁」をナビゲータにして無意識に連れて行かれた人生の「旅」だ。旅はこの「縁」がチケットなのだ。
偶然ではなく必然のプログラムに気づかないといけない。
著者は横浜国大出身。ゼミ教師は後に神奈川県知事になる長洲一二さん。社会人1日目で富士銀行を退社。
教授はしょうがなく、「ルポなら書けるかもしれない」といういい加減な教え子のために、1人の物書きを紹介。これが大宅門下の青地晨さん。
彼が紹介した「展望」で、著者は「この寂しき求道者の群れ」を書く。周囲にも近々、雑誌で原稿が発表されると吹聴。
しかし、なかなか載らない。載らないわけだ、青地さんが止めていたのだから。
物書きという職業は世間知らずなようでいて、実はかなり人間がわかっていないとなれない。下手すると、世間ずれしてしまうけれども、良かれ悪しかれ、人間を知らないといい仕事はできない。
なにがいいたいかというと、青地さんはこの才能豊かな「沢木」という青年をある種の危うさを診たのである。
こんなにありがたい先輩はいないと思う。実はわたしも同じ経験をしたことがあるから、そのありがたさが理解できる。
才能はないよりもあったほうがいい、とだれもが思う。しかし、これは勘違いなのだ。
というのも、才能なんてものはとってもあやふやでつかまえどころがなく、壊れやすくて、挫折しやすい。当の本人ですら、自信満々と不安でいっぱいの間を繰り返しているようなものなのだ。
それに才能は身を助けるとともに、身を滅ぼすものでもあるのだ。「才気走る」という言葉を聞いたことがあると思う。そんな才能なら、かえって、ないほうがましなのだ。
青地さんの目には、22歳の若者に傲慢さとすれすれの過剰な自信が映ったのだろう。
はじめて書いてすんなり雑誌に掲載されたら、この若者の将来のためによくない。そこで、本人が諦める4カ月後に突然、掲載するのである。
この原稿に目をつけた連中がいる。TBSの「調査情報」というPR誌の編集部だ。
「テレビ局のPR誌?」とバカにしないことだ。内容には定評があり、業界を超えて高い評価を受けている雑誌なのだ。編集長の今井明夫さんは後に鈴木明というペンネームで大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。
日本の歌謡曲の現状について書いてみないか・・・という話だった。
青地さんから電話がなければ断っていた、という。「絶対に受けろ」「この雑誌はたんなるPR誌じゃない」「編集部の時代を見る目はたしかだ」・・・そう聞いて受けた。
この雑誌を舞台に取材、インタビューの世界に飛び込むことになった。その後の活躍はあなたもご存じの通り。
旅には縁がつきものだ。というより、縁があなたの人生(未来)を左右するナビゲーターなのだ、と気づいたほうがいいかもしれない。300円高。