2009年01月23日「落語家はなぜ噺を忘れないのか」 柳家花緑著 角川SSC 840円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 落語家がなぜ噺を忘れないのかって? 決まってるだろ。忘れたら、おまんまの食い上げになっちまうからよ。

 ホントはそういうわけではないんですけどね。

 著者の花緑さんは、もち、「人間国宝」。先代小さん師匠の孫。で、最年少の弟子じゃないかな。この人、9歳で弟子入りしてるからキャリアは豊富。先代の小さん師匠最後の弟子は年上だけど、柳亭市馬さんだよね。

 私、何回か、花緑さんの噺、聴いてます。巧いと思う。声質がいい。
 この声質って大きいんですよ。落語でも芝居でも滑舌の悪いのは聞きづらい。いくら演技力があってもね。
 これは漫才でも同じ。ビートたけし、紳助・・・滑舌、めちゃ悪い。ときどき、なに言ってるかわかんない。けど、滑舌の悪さを超えるおもしろさ。だから売れた。

 でも、落語家の場合は致命的。たとえば、立川談志家元。天才的に巧い人なんだろうけど、やっぱり声に色気がない。艶っぽくない。「いくらやっても志ん朝にはなれねえ」というのはわかる。
 あの人はホント艶っぽかった。江戸前の落語だったもん。

 落語、好きですなあ。相変わらず時間があると席亭に行っちゃう。紀伊国屋本店で待ち合わせ。30分なら本屋で立ち読み。1時間なら映画か末廣亭。最近の映画館、途中から入れてくれなくなったから、もっぱら席亭。

 とくに人情噺が好きなんよ。たとえば「文七元結」「淀五郎」「名人長二」「柳田格之進」・・・。とりわけ好きなのが「中村仲蔵」。
 CDもDVDも持ってます。円生、円楽、文楽(8代目)、歌丸、最近では五街道雲助といった各師匠たち。明大落研キャプテンの雲助師匠の「淀五郎」は絶品ですな。

 けど、中村仲蔵がいい。

 噺を知らない方のために少し解説しておきましょう。

 江戸時代、芝居が好きで好きでしょうがない男が1人。やっと念願叶って歌舞伎界に入門することができた。この世界、血縁がものを言うからね。入門することさえ稀なわけよ。
 でも、彼の熱意と努力は尋常ではなかった。で、見かねたある師匠が弟子にしてくれたというわけ。

 といっても、梨園(歌舞伎界のこと)は血筋が物を言う。どこの馬の骨かわからない人間には大した役など回ってこない。いい役は血統書付きのエリートが演じるの。

 けどさ、くすぶりでも芝居が好きで芝居のまねごとができるだけでも嬉しかった。もちろん人一倍精進もした。

 そんなとき、彼は「仮名手本忠臣蔵」の五段目に登場する斧定九郎(おの・さだくろう)という役をもらうのよ。

 さて、五段目てどんな評価か? 当時、芝居は朝から一日中行われてたのね。で、五段目はちょうど昼時。つまり、この幕になると弁当食べ始めるのよ。真剣に芝居なんか観ない。となりゃ、その程度の役者しか出てこない。斧定九郎もその程度の役だったわけ。
 
 でも、役をもらった仲蔵は嬉しかった。奥さんと手に手をとって喜んだ。師匠にも報告した。師匠てえのは力のない田舎芝居出身で檜舞台なんて踏んだことがない。

 さて、問題はどんな演出をするかですよ。従来通りにやれば、問題なし。けど、それじゃせっかくの役が何の意味もない。たとえ弁当幕だろうと「さすが仲蔵だ!」と言われる芝居をお客さんに観せたいわな。

 で、願掛けの帰りにものすごい夕立ちにあった。食べたくもないそば屋に入って雨宿りしてると、「許せ」と入ってきた二本差しの浪人。
 髪は床代がないから伸ばしっぱなし。夏なのに冬物の袷(あわせ)を裏をはがして着ている。スッカラカンの浪人そのもの。だが、顔は真っ白で苦み走ったいい男。「酒をくれ」と一気に飲み干す。

 店の主人から「傘をお持ちになりませ」「ありがたい」と広げてみれば破れていて使えない。
 「バカにされたものよ。これでも元をただせば直参旗本。落ちぶれるってえのはこういうことか」と傘を捨てて去っていく。
 一部始終を見ていた仲蔵。これだ! これこそオレのやる斧定九郎だ!

 斧定九郎は元は旗本。落ちぶれ果てて山賊にまで堕落した。名門に育ちながらも運命に翻弄されて落ちていく人物だったわけ。にもかかわらず、それまでは弁当幕だから適当に山賊の格好で登場してたってわけ。

 仲蔵はそうしなかった。芝居の初日、髪をざんばら髪にして、袷の裏を引きはがす。頭から水をかぶって登場した。まさにあのときの直参旗本だよ。

「なにか舞台に雨でも降ってるようですよ」
「ホント。水が飛びましたね」

 芝居を見ずに弁当を楽しんでいる観客。雨かなと舞台を見上げると、そこにはだれも見たことのない定九郎がいた。あっけに取られて弁当を持ったまま動けない。

「芝居小屋は水をうったように静かになる。みな仲蔵の定九郎に度肝を抜かれた。みなさん、あまりに感動すると、人間、拍手なんてできません。拍手をするなんてね、まだ心に余裕があるときです。あまりの名人芸を目にした時ってのは拍手したり笑ったりする余裕はありません・・・ちょうど、いまのような状態です」

 観客の反応がイマイチなのを見て取った仲蔵。このまま上方に逃げるつもりで荷物をまとめた。
 ところが、芝居小屋の前に来ると、興奮した観客から「さすが、仲蔵!」と高い評価。師匠から煙草入れを褒美にもらった。

「道理で煙に巻かれたはずだ。もらったのが煙草入れだ」

 さて、タイトルの噺の覚え方ですけどね。どうやって覚えるのか?
 やっぱ最近はテープやMD、iPodやDVDもあるしね。花緑さんは噺をすべて文字に起こすタイプ。だから家中ノートだらけだと。

 先代の小さん師匠はまったくノート無し。これが基本。志ん朝さんもそう。
 で、古今亭の前座噺「元犬」を教わろうと志ん朝師匠のとこに出掛けて、いざ、テープレコーダーを用意すると、「んなものいらない。やったげる」。3回連続で熱演してくれたんだけど、足が痺れて噺を覚えるなんて次元じゃなかった。

 戻ってきて祖父の小さん師匠に話すと、物置をごそごそやってる。「これで覚えろ」。なんと志ん朝さんのオヤジの志ん生師匠のテープ。
 数日後に志ん朝師匠の前で披露すると、苦笑い。バレるに決まってるわな。

 落語家も漫才師も巧くなると、「もう1人」が隣にいることがわかりますね。
 落語家というのは1人で何人もの人物を演じ分けます。私ゃ、あの人たちは「多重人格者」だと思ってます。つまり、勝手に人物が憑依してくるのね。

 だけどね、必ずプラス1人=演出家がいるのよ。いろんな役を演じていても、空中に浮かんで「そうそう、それでいい」「もっとたたみかけて」と指示する人間がいるわけ。で、自由自在に自分をマリオネットにして遊んでいるのね。それでいて、満員の会場が揺れるほどウケるわけ。これはおもしろいでしょうなあ。

 座って半畳寝て一畳。けど、もっと小さい座布団の上に広い広い「宇宙」がある。それが落語の魅力なのかもしれないですな。300円高。