2009年02月01日「沢田教一 プライベートストーリー」 沢田サタ監修 くれせんと出版 2000円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 ときに劣等感というのは、人によってモチベーションに火をつける源泉になることがありますな。
 貧乏、学歴、家柄、教養、健康などね。ないからこそ、ハングリーになれるし、人一倍努力しようとするし、創意工夫したり、人との縁を自ら作っていこうとする積極性みたいなものも培えるわけですな。

 沢田教一さんは、青森高校であの寺山修司さんと同級生。彼は早稲田に進学し、沢田さんは二浪の末に断念。郷里に帰って写真屋さんにつとめるわけ。
 写真屋=カメラマンちうのは田舎ではありません。たまたまお店のオーナーは津軽の風景写真でちと有名な人だったけど、カメラなんて中学にちょっとかじったことがあるだけだからね。もち、カメラマンなんて仕事、思いもしなかった。

 けど、縁とか運ちゅうのは不思議なものですな。人智をはるかに超えた霊妙な次元ですな。求めても得られないのも縁だけど、求めなくても気づいたら手中に収まってた、というのも縁だかんね。

 で、この店が三沢基地のPXに出店することになり、彼が転勤することになった。三沢基地といったら、昔から米軍管理下にあるとこ。ここで彼はキャパの写真をはじめ、戦場写真を数多く観るんです。
 若者が刺激を受けないはずがない。まだ勝負を降りちゃいないんだからさ。

 こんなところで燻ってちゃいかん。

 ところで、カメラの技術なんてないんだかんね。ここで真剣に修得するわけ。テーマが決まったら、あとは集中力、ど根性だよ。

 なんとかUPIに潜り込むんだけど、カメラマンとしての実績なんてないから、当然、仕事は事務職。けど、業界の隅っこにいるだけでもチャンスあり、と考えたんでしょうな。
 このまま勤務してもカメラは持たせてもらえませんからね。一応、UPI勤務という一点だけで休暇を取り、自費でベトナムに来ちゃうわけ。

 時はベトナム戦争。米軍が本格的に介入した頃。で、米軍は世論の情報操作のためにカメラマンを厚遇します。どこでも取材OK、ヘリ乗り放題、死んでも責任は負わないけど、できるだけ守る。まあ、こんな特権があったわけ。

 とくりゃ、彼みたいに、いや、彼以上に「ひと山当てるぞ!」ちゅう野心満々の連中が世界中から集まってくるのは当然ですよね。
 
 で、問題はこの競争の中をどうやって勝ち抜いていくか、ということよ。
 
 どうするかいな? それはだれもが尻込みするようなところで撮ること。しかも兵士の後ろをトコトコついて回るのではなく、先回りして兵士を迎えて撮ること。もち、爆撃中だろうと「死」と引き替えに写真を撮ること。
 この命懸けのリスクの裏に富と名声というチャンスがあるわけですな。

 で、1965年9月。ベトコンの本拠地を北爆。いつもいちばんシビアな戦場に赴くことを課していた彼が乗ったヘリは、クイニョン北部のロクチユアン村に降り立つわけ。
 ナパーム弾が降る中、着の身着のままで逃げる村人のなか、必死で川をわたる2組の母子・・・必死にシャッターを押し続けた。
 そのなかの1つが翌年、ピュリッツァー賞を受賞することになる「安全への逃避」。この1枚で彼は富と名声をつかみます。


青森・三沢時代、ダナン上陸、「安全への逃避」、875高地などの写真のみならず自筆原稿も初収録してます。

 人間、どえらい賞をとったりするとどうなりますかね。変わるんでしょうか。
 彼の場合、津軽・青森の典型で口が重たい。だから、いらぬ誤解も受けやすい。で、弁解しない。となれば、傲慢だと噂されてもおかしくありませんな。
 

 10年前、テレ朝で放送された「輝ける瞬間(とき)」は彼をテーマにしたドラマ。

 私、このビデオ(DVD未発売)持ってるんだけど、2回目のビュリッツァー賞をとりたいという野心に駆られていた、というように描かれてます。
「もっといい写真を撮ってもっと有名になりたい」とね。
 で、コロンビア大学の教授に指摘されるわけ。
「君は戦争をメシの種にするのか? あの母子たちは君に賞をとらせるために川を泳いでたわけじゃないぞ!」
 
 参考までに、ピュリッツァー賞というのはコロンビア大学で選考されるのよ。だって、ジョセフ・ピュリッツァーはこの大学にジャーナリズム学科を設置した人物だからね。
 
 このひと言にショックを受け、で、どうしたか? 写真をパネルにして、あの母子たちを訪ねるわけ。最新のミシンをプレゼントにしてね。
 喜ばれると思う? んなことありませんな。

「思い出したくもない。帰ってください。ベトナムから出て行ってください。わたしたちの国からみんな出て行ってください」

 ベトナム戦争は、きっと戦っている米兵たちですら、「大義のない戦争だ」「米国とソ連・中国の代理戦争で失われるのはベトナム人の命と郷里」「勝ってはいけない戦争」と思っていたのではないでしょうか。

 この時から、彼のなかで何かが変わります。写真も変わります。富と名声という次元を超えたなにか。たぶん、ジャーナリズムと呼ばれるなにかに近づいていったのかもしれません。

 本文よりも写真を観るといいですな。1枚の写真がいかに雄弁か、ということに気づきまっせ。
 もう1つ、写真にも「行間」があるんです。この絵の向こうにある世界をイメージしながら観ると、観た人にしかわからないなにかが浮き上がってくると思いますな。300円高。