2000年07月10日「スーツホームレス」「無間地獄」「目黒警察署物語」

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

さて、今回も3冊ご紹介しておきましょう(敬称略)。
1「スーツホームレス」 小室明著 海拓舎 1600円
 臨界点という言葉がある。ある瞬間を越えると、まったく別物に変化する。その一瞬のことを意味するものだ。
 17歳の子どもがキレる。これも臨界点に達したからかもしれない。また本書で明らかなように、「俺たちも頑張らないとホームレスになっちゃうね」というサラリーマンのつぶやきがある日を境に現実化してしまう。これも臨界点なのかもしれない。
 「段ボールハウスで見る夢−−新宿ホームレス物語」(中村智志著・草思社)という本を読んだときにも感じたことだが、人間というのは徐々に変わるものだ。ある日、突然、段ボール生活をスタートしたりしない。徐々に徐々に変化して、ある日、自然と段ボール生活に落ち着いてしまうのである。
 段ボール生活に至った動機はたいてい二つ。一つは止むに止まれぬから。つまり、ほかに選択の余地がないという場合。それと、「こうやって生きればいいんだ」と誰かからアドバイスや暗示を受けた場合。この世界も縁が大きくものを言うのである。
 よくしたり顔のジャーナリストが言うように、「自由でいいな」とはまったく思わない。
 この業界は弱い者同士が肩を寄せ合って生きる世界ではない。あくまでも弱肉強食が原則なのだ。
 たとえば、賞味期限切れで廃棄されるコンビニ弁当でも、きちんとショバが決まっている。新入りが踏み入る余地はない。既得権がものを言う秩序ある世界である。規制緩和などまだまだ先のことだ。それを打破するにはどれだけパワーがあるかを見せつけなければならない。新入りが強ければ、既得権者が追い出されるのである。
 また、帰るねぐらはいつもの段ボール。こんなもの、どこで寝ても同じだと思われるが、帰巣本能たるやサラリーマン時代よりも強いくらいである。勝手気ままなようでいて、二十四時間、生活道具一式を入れた紙袋を両手にたくさん抱えて、あちらこちらを彷徨う。
 結局、自由などない。というよりも、自由な世界で生きられるほど人間は強くはない。それが段ボールで生きて初めて気づくのだ。

2「無間地獄」 新堂冬樹著 幻冬者 1800円

 1124枚の書き下ろし小説だが、その分量をまったく感じなかった。面白い。一気に読んでしまった。
 主人公は暴力団のフロント企業を束ねた高利貸し。男と逃げた母親、極貧、たった一人可愛がってくれた祖母の自殺。父親殺し‥‥。そのトラウマから結局抜け出られず破滅の道を辿ることになる。
 全共闘世代の愛読書と言われた「邪宗門」(高橋和己著)のベースに流れる虚無感と相通じるものが本書にはある。
 「金がないのは首がないのと同じだ!」−−風俗女を食い物にする男たち、その男を食い物にする人間。「ろくでなし」と「人でなし」が山ほど登場する一大叙事詩である。

3「目黒警察署物語」「美人女優と前科八犯」「平時の指揮官 有事の指揮官」 佐々淳行著 文芸春秋 各550円

 前回、「わが上司 後藤田正治」を紹介したが、あまりに面白かったので佐々さんの本を片っ端から読んでみた。
 子どもの時から克明な日記をつけていたと言うが、そのデータをずばり活かした一冊である。全二冊は佐々さんが新米警部補時代のもの。まだ進駐軍が幅を利かせていた時代警察官物語である。エピソードと当時の東京の風情がふんだんに織り込まれ、また人の上に立つ人間はどうあるべきか、という一点はしっかりとおさえて、著者は意見を開陳している。
 「平時‥‥」は阪神淡路大震災(平成七年兵庫県南部地震)の、ときの村山富市総理の能無し振り、それに輪をかけた優柔不断さに対して、義憤に駆られてものした一冊である。内容はそれだけではない。歴代防衛庁長官のエピソードもずばり。雨の中の閲兵のとき、隊員たちと同じように濡れるがままにした田中角栄。それと好対照なのが師団長、幕僚長といった幹部たち。何時間も隊員を降りしきる雨の中に立たせたまま、自分たちは暖房の効いた部屋で大臣到着を待っている。
 佐々さん曰く、「これが米軍の百戦錬磨の幹部だったら、ずぶ濡れになった隊員、まったく濡れていない幹部たちの対照的な制服ひとつ見ただけで、いま自衛隊の中身がどれほどのものか、こんなリーダーに命を任せようとする隊員がどれだけいるかすら見抜いてしまうだろう」と述べている。
 おそらく自民党の領袖K氏を指している表現もある。
 わたしは以前から、テレビ討論や記者会見などを聞いて、朧気ながらこの人は典型的な役人で政治家とは思えなかった。しかし、それが本書を読んではっきりわかった。好き嫌いでトップ人事を決める。言い訳は上手だが腹が据わっていない。民主党の鳩山代表が選挙前に、「Kさんが自民党を飛び出るなら首班指名を考える」という舌禍事件ともいうべきことがあったが、わたしは絶対にそんなことはないと思った。役人は安全第一である。この人の発言は森首相のように危なっかしくない。どこからも言質を取られないように注意深い。しかし、役人タイプのリーダーに一国を任せることはできない。自己保身のために国民を路頭に迷わせるようなことはしてほしくないからだ。