2009年03月03日「危機の宰相」 沢木耕太郎著 魁星出版 1680円

カテゴリー中島孝志の通勤快読 年3000冊の毒書王」

 NYSEオープン早々から下げ始め、結局、朝6時には300ドル下げ。
 オバマさんが大統領に就任してまるまる1カ月過ぎましたけど、蜜月期間もご祝儀相場もなく、逆にマーケットからは次々に強烈な連打を浴び続け、もうKO寸前でフラフラ状態ではないかしらん。

 為替はポンド・カナダドル・ランドに対しては円高。ほかは円安。
 昨日288円下げた東京市場ですけど、開始30分は要注目。各馬ゲートイン。ロケットスタート・・・意外に小幅減ですみましたな。東京市場で怖いのは円高のみ、ちゅうことですな。

 つうわけで、本書です。「通勤快読」です。

 いま時、どうして池田勇人なの? そう、本書の主人公は3人います。池田勇人。下村治。田村敏雄(敬称略、以下同じ)の3人。

 池田勇人というと、「貧乏人は麦を食え」「中小企業経営者の1人や2人、自殺者が出たって・・・」という舌禍で有名。思ったことを口にしちゃう。この口害たるや麻生さんの比ではありませんでしたね。
 
 けど、麻生さんと根本的にちがう点が1つありました。
 それは「所得倍増論」という具体的、かつ明確なメッセージを国民に提案したことですね。しかも彼はこの提案をたんなる目標数値とは考えていませんでした。
 政治家はもちろん、大蔵省や経済企画庁の高級官僚、民間エコノミスト、それに国民だって、だれ1人として信じていなかった「奇跡」を唯一、いやこの3人だけは確信していたんですよ。

 いまの日本にもし足りないモノがあるとすれば、国民に夢を託せるメッセージテラーがいないことではないかな? オバマさんと当方のリーダーを嫌でも比較するとき、そう感じてなりませんでしたね。ま、オバマさんとてホントはたんなる「口舌の徒」にすぎないかもしれませんけど。

 歴代総理の中で「オバマ」はいないか? 中曽根さん? たしかに口舌の徒? 総理の伝記、評伝、小説を軒並みチェックしたら、いるもんですなあ。
 池田勇人。池田以後の総理ってのは、すべてこの人の焼き直しじゃないか、と思えるほどですよ。もしかするといちばん輝いていた人かもしれませんな。

 京大という官庁の中では傍流の出身。それだけじゃない。せっかく入った大蔵省を2年目に「落葉性天疱瘡」という世界で3人しかいない奇病が原因で退職せざるをえなかった。いきなり落馬ですよ。妻は看病疲れで2年目に他界。
 夢も希望もない5年間。池田がまがりなりにも大蔵省に復職できたのは34歳のとき。出世競争からは完全に脱落。

 競馬にたとえれば、甚だしい周回遅れで失格。もちろん、池田本人も出世しようなんて気持ちはこれっぽちもない。周囲もそのように思ってた。

 けど、人間。万事塞翁が馬ですな。公職追放で優秀な同期生や先輩、そして後輩たちも役所からパージされちゃった。結局、遅れに遅れて出世してなかった下級官僚の池田が残った。で、京大初の事務次官に就任しちゃった。
 ビリだと思ってたら、いきなりトップに躍り出ちゃった。こりゃものすごい番狂わせですなあ。
 
 政界入りすると、吉田時代に独立のために講和会議の下準備で宮沢喜一と渡米。きったねえラブホテルみたいなとこで2人で泊まって作戦を練ったわけ。
 このへんは映画「小説吉田学校」に詳しい。たしか、池田を高橋悦司さん。宮沢を角野卓造さんがやってたんじゃないかなあ(ハリセンボンですなあ)。

 で、大蔵大臣、通産大臣。対立する岸内閣でも田中角栄から説得されて第2次改造内閣に入ります。
 これが総理への道を拓くわけ。

 結局、総理の岸信介は安保反対のデモが国会を取り巻き、女子学生が圧死。米国のアイゼンハワー大統領訪日中止。世論の大ブーイングを背景に辞め、池田が後を襲うわけですな。

 池田が総理をしてた期間は1960年7月18日〜64年10月25日。つまり、東京オリンピックが終わった翌日に総辞職してるわけ。原因? 食道癌です。

 まったく潔い退任ですな。というのも、池田は総理として国政に影響があってはならないと辞めた石橋湛山をものすごく尊敬してたんですね。だから、同じようにしたんでしょう。
 池田の頭の中には「総理在任期間の延長」などは一切ありませんでした。

 終戦後、日本を独立に導いた吉田茂は別にして、歴代総理の中で具体的、かつ明確なメッセージを国民に与えた政治家は、この池田勇人をもって空前絶後だと思いますね。
 田中角栄の「日本列島改造論」は池田の「所得倍増論」の不動産版。小泉純一郎さんの「郵政民営化」など米国の年次改革要望書の刷り直し。在任記録を作った佐藤栄作にいたってはいたずらに長いだけ。ノーベル平和賞? 米国との密約がすっぱ抜かれてその価値は地に落ちてまっせ。

 ところで、この「所得倍増論」ですけど。一般的には下村治立案と言われてますけど、そんな単純なものではないようです。

 こういうアイデアというのは、同時発生的に沸き起こってくる性質があるようですな。つまり、共時性のようなもので、ある日一斉に産声を上げるようなのね。
 
 実は、福田赳夫(福田康夫元総理の父親)も岸内閣の「売り」にしようと画策、経済企画庁に働きかけてたんです。これは経企庁を総動員してやらせてた。
 かたや池田は下村1人にやらせてた。その下村は大蔵省にはいたけれども、池田同様病気がちで、なおかつ調査畑が大好き。「根回し好き」「出世志向」の高級官僚ではないんで、ノンキャリに人気があり、勉強したい彼らが部屋に自然と集まってきてた。その彼らに手伝わせてまとめあげたわけ。

 そして経企庁と下村とで根本的にちがうことが1つあったんです。
 それは経企庁の官僚たちはだれ1人として、池田がいうように「10年間で所得が倍増する」なんてこたあ考えられない、と思ってたこと。10年間で所得倍増つうことは、伸び率は年7.2%ということでしょ? 「信じらんな〜い」と思ってた。しかし、経済を企画しなければならない。で、ペーパーの上では毎年7.2%として計算してたわけ。

 下村はちがいます。年率7.2%とだれが勝手に決めたんだ! 役所が決めてそのままそうなるなら、これはソ連や中国の計画経済ではないか。日本の底力(あらゆる統計データを研究する中、とりわけ注目したのは「設備投資」なのよ)はそんなもんじゃない。12%はいくだろう。こう考えた。
 当然、10年で倍増? 当たり前じゃないか! つまり、確信してたんです。

 かたや疑心暗鬼。というより信じてないグループ。かたや確信。自信満々。
 
 では当の池田は? 書類上は経企庁を優先したけれども、党の方針として下村案を貫くわけ。これは太政官以来の官僚社会の常識では考えられないことですよ。

 実際はどうだったか? 10年の間には、かつてお話したように家電不況、40年不況(1965年)、山一特融など、日本経済を震撼とさせる出来事がたくさんありました。けど、そんなものを吹き飛ばして経済成長を遂げちゃった。
 ホントに10年間で所得は倍増します。池田の後の佐藤内閣は、経企庁が成長率に勝手にブレーキをかけますけど、池田内閣の時以上、すなわち12〜13%も成長したんです。

 下村の透視力は卓越したものがありましたね。彼は所得倍増だけでなく、1976年には「0成長の到来」も予見してるんですよ。

「経済の成長は生産性の向上によって決まる。生産性の向上は技術革新によってもたらされる。日本と欧米との間には大きな技術格差があった。それを凄まじいスピードで取り込んだところに日本の高度成長を生む要因があった」

 しかし、これからは自前の技術革新によって経済成長を図らなくてはいけない。「石油」という資源の要因を無視できた所得倍増論の時代とはちがう、と述べてるんですね。
 同時にこうも述べています。

「池田の時代、経済の時代は終わった、これからは政治の時代だと、人は言ったりする。それは間違いだ。この揺れ動く国際社会の中で、日本人が権威ある発言をしていくためには、その土台となる経済的基盤を固めなくてはならない。それは池田時代の日本にどうして世界の視線が注がれるようになったか、を考えてみれば明らかではないか」

 たしかに・・・。世の中には凄い人がいるもんだ、と客観的に見てたらあきまへん。よし、オレも勉強しようと思わなきゃ。350円高。